「忙しい」「時間がない」をやめる9つの習慣 (だいわ文庫)

月末や週末に“やりたいこと”や“やるべきこと”をよく書き出す。それを時間軸に落し込んで見る。ノンストップであったり少し睡眠時間を削るなどするとどうやら時間は確保できそうに思ったりする。しかしそうはいかない。時間あたりの質が低く量をこなせていない。それでも自分なりに工夫はしている。最近ではタイマーを活用し常に時間を意識するようにしている。買物などは週間予定の中に組み入れそれ以外は買わないことに決めている。最近もっとも有効に感じているのが禁煙。これで1日に30分以上は節約できているはずだ。

いま自分なりにテーマとしているのが、時間あたりの質をあげることだ。読書やセミナー量とアーカイブの量、仕事に費やす時間と硬化、山行や自転車なども費やす時間と楽しみの質も常に気づかっている。著者はセミナーでのメモの活用について次のように教えてくれる。「….今取った“メモを見返す”作業のやりかたです。これがじつは時間術との関わりでもっとも大きな意味を持っているのです。結論から言えば話が終わったら可能な限り早く、帰る道すがらでもいいですから、メモを見返し、話を思い出しながら「補足メモ」を記入しておくのです。…」

“補足メモを入れる”ことを“義務”にすると良いのではないだろうか。強制にすることで聴講の姿勢も変わるのではないだろうか。そのうえでセミナー終了後10分程度の時間を予め確保する。この2つで相当効果がでるように感じる。次回のセミナーから早速実践を試みてみたい。その効果をこの場でシェアできればと思います。

アーカイブは発信をすることではじめて価値を見出す。経営学であれば実践となるのだろう。著者は“本を何のために読むのか”について問いている。実は私も特に政治関係の本を何のために読んでいるのかと思う時がある。社会人として流れを知る、マーケティングの大枠として考えるなどあるものの読みすぎには注意をしている。アーカイブにもならない趣向のために割く時間は出来る限り少なくしいと思っている。

著者は時間管理の考え方から教示する。こうした本は適度に読む必要があると思うのだ。

 

日本国はいくら借金できるのか?―国債破綻ドミノ (文春新書)

著者は元中日新聞論説委員であり政府税制調査会専門委員などを歴任。そんな著者がいまの日本を分析した一冊だ。

国債発行の限度が近づきつつあるからなのか。この2~3週間、社会保障費削減の論調が目立つ。消費税増税や公務員経費削減程度ではプライマリーバランスさえ危うい。世論づくりの胎動がはじまったのかも知れない。本書はこうした日本財政危うさを他国や歴史的事実と比較して学習することができる。

まず本書をもとに日本の借金状況について確認したい。OECD予測によると2011年末の対GDP比は217%である。いまさらギリシャではないが同国は165%、イタリア127%、米国97%、英国90%とある。2011年9月末の債務は954兆4180置くである。それに地方債が約200兆円。合計1154兆円となる。これに対して個人金融資産が1471挑円ある。数値的には、あと3兆円超えは国内処理が可能ということを本書は数値として固めた。

復興債や特別会計を加えると本年度予算の赤字幅は約50兆。これを債権で賄うのであるから概ね5~6年ということになる。日本国債の保有は、銀行44.3%、生損保20.5%、公的年金9.7%、年金基金3.8%、海外投資家5.7%、家計4.1%とある。こうした数値元にした著者の試算では、あくまで現状維持であれば5年程度は持つようだ。

 格付会社や所有金融機関の問題、TPP、人口比率などを考えれば残された期間は3年というところか。ここにあげられた本書の数値は概ね公開されているものである。プライマリーバランスの均衡は財政に中立であるだけで赤字が減少するわけではない。国は対外からの信用があってはじめて成り立つ。信用を担保するには、だれが考えても増税による歳入増と社会保障費も含めた歳出削減以外に方法はない。著者はもうひとつの方法として“景気回復”をあげる。ここに知恵を絞ることで解を見出せないかと述べている。それは小泉政権を指す。

イノベーション巻き起こす民力と覚悟を持ったリーダーが歴史的に求められているのではないか。

 

山行日誌 八ヶ岳東天狗

On 2012年2月27日, in life Style, by admin

週末日帰りで八ヶ岳東天狗に挑戦。2月号岳人で日帰りコースを発見。早速従兄弟と楽しんできた。コースは渋の湯、黒百合ヒュッテ、中山峠、東天狗山頂のコース。往復6時間半を予定した。

午前9時あずさにて茅野駅着。予約のタクシーで渋の湯登山口へと向かう。登山口はすでに雪に囲まれていた。

今年の雪山は3回目だが、八ヶ岳となればいつも以上に心が浮かれる。黒百合ヒュッテを目指し歩きはじめるものの5分もしないうちにアイゼンが必要に。黒百合ヒュッテまでは樹林帯が続く。雲竜渓谷、川苔山もいい。だが八ヶ岳はもっといい。そんな気分で樹林帯を歩く。煙草をやめたからか息が切れることはない。途中休むこと無く約2時間。疲れを感じはじめたころ黒百合ヒュッテに到着した。

黒百合ヒュッテ前の気温はマイナス12度。黒百合ヒュッテで軽く行動食を取り靴やアイゼンの足回り、防寒対策を行なう。手元はストックからピッケルに取り替えた。

黒百合ヒュッテを後に山頂へ。山頂まで約1時間半。約10分で到着する中山峠以降は稜線が続く。この日を選んだのは天気が晴れだったから。だが八ヶ岳の洗礼は過酷だった。雪は降らないものの高度をあげるつど風で雪が舞う。中山峠をすぎ稜線に入ると風で身構えるときが時折あった。振り返るとトレース(足あと)が薄くなっていく。目の前の岩をひとつずつしっかりと捉えながら一歩一歩前に進んだ。風に煽られ、頬は強張る。ペットボトルの水は氷へと変わった。昨年の凍傷を思い出す。2週間手足のしびれが取れなかった。体感的にはマイナス20度か。自分でもこの苦しみが快楽になっているのは変質的かとも思う。だがなんとか山頂に到着。

隣の西天狗に10月頃行ったことがあるがあの風景はどこにもなかった。それでもなんとかシャッターは押した。このように山頂からは何も見ることができない。

山頂には2分もいただろうか。目標を達したあとは下山あるのみ。低木松の間のトレースを頼りに我々は山頂を目指した。しかしそのトレースはすでに雪に覆われていたのである。ピッケルを突いた穴らしきものを頼りに少し迷いながらも樹林帯へ入ることができた。昨年の硫黄岳も同じだった。このリスクを考えると雪山一人山行の難しさを感じる。

樹林帯をしばらく降り黒百合ヒュッテに到着。小屋でお茶と軽い行動食を取り渋の湯へと向かった。雪山の洗礼は厳しい。パノラマを見ることもできなかった。それでも自然の恵みに感謝。

だがそれでも十分楽しんできた。贅沢な日帰り山行であったと思う。下山後の温泉はまた格別だった。

 

政権交代とは何だったのか (岩波新書)

自民党が新進党と割れた目的は政権交代可能な二大政党制を作ることにあった。それから20年ようやく近づくことができた。完成などはないがあるべき姿とはいまだ程遠い。それはどちらの政党にも言えることだろう。北海道大学教授の著者は学術的視点を加え二大政党制の必要性を論じてきた。

民主党には綱領がない。それは経済社、社会保障制度、外交・防衛などの指針が無いことにつながる。経営も理念なき企業が短命であることは明らかだ。理念なき政党について著者はつぎのように述べている。

「長年この党を応援してきた私が言うのも愚かな話だが、政権交代に期待を集めた民意の大きなエネルギーを実体的な政策転換につなぐことができなかったのは民主党の「方便政党(てだて)」という限界があった。….民主党は非自民の政治家が小選挙区を生き残るためのいわば方便であった。“自民党ではだめ”という否定形の命題を共有しさえすれば、異なった思想を持つ政治家も民主党で共存できた。この党に綱領がないということはしばしば批判されたが「何はともあれ政権交代」という目標以上の綱領をこの党は必要としなかった」

TPPや増税を伴う社会保障制度の問題は自民党も含めて問題意識は共通しているはずだ。極めて緊急性と重要性が高い政策だ。それにも関わらず “選挙インセンティブ”がこうした行動を取らせる。これを抑えるのは理念しかない。政治家が職業になってしまっているのだろう。投票者が信託したい政党や政治家がいない状態が続いているようにも感じる。角度を変えると民主主義の弱点があらわとなったと言えないだろうか。問われるのは“いまの政党がどう変化すること”なのだと考える。平和や安全のビジョンをまず示して欲しいと思う。

平等についても同様である。最近は当然のごとく“平等・再分配”という言葉が使われる。極端な例が1%の人が得る富の再分配である。大多数の1%は相続で富を得たのではない。幼い頃から学び続けリスクを取り今に至っているのではないのか。20:80のパレート最適で考えても同様だと思う。フラット化する世界では国外へ移転することは容易だ。“20%が日本と海外の選択をする時代”そんなリスクも考えるべきではないか。

本書は政党のあるべき姿を示している。このままではソブリン危機が日増しに近づく。一日も早く正常な姿になって欲しいと思う。

 

政府は必ず嘘をつく アメリカの「失われた10年」が私たちに警告すること 角川SSC新書

政府は【嘘】をつくのだろうか。嘘をつくリーダーは果たして【真実】を知っているのだろうか。“尋ねないから報告しない”こんな疑問を本書から持ち少し調べてみた。

政府の定義を確認しながら進めたい。実際の政府の枠組みは三権分立の行政府を指す。焦点を絞りやすくするために“各省庁”を政府として考えたい。リーダーである大臣は激しく変わる。例えば2007年1月に組織変更された防衛省はこの5年間で9人の大臣が歴任している。外務大臣も同様である。

単純化すれば一人あたり半年強である。これでは組織がまともに動くはずはない。判断を得ようなどするはずもない。ましてや対外交渉など期待できるはずない。選挙には勝つが【政治・政策はわからない】・【ガバナンスなどできない】ということではないのか。これは大臣個々人の資質でなく政府という組織、選挙システム、選挙民といった全体の問題だと思う。ここには官僚とメディアを本来加えるべきだが本書の意図から離れるので問題定義はここまでにしたい。

国民から問われなければ政府は【嘘】をつく必要はない(知らないことは【不作為】であり、知っていることにして語っているのでここでは【嘘】にしておきたい)。そうした意味では数多く問われた震災時の政府答弁は“嘘の塊”だったのだと思う。言葉を大切にしなければならない政治家が前言を翻すとき“潔さ”を求められる。それが信頼を構築するすべだと思う。当時の大臣の発言を伝えた責任としてメディアは検証する必要があるのではないか。

本書では枝野官房長官の事例を取り上げている

「…この「ただちに健康に害はない」というフレーズは日本中を駆け巡り、放射性物質への不安を抱く国民の上に、絶え間なく降り注いでいった。人間は恐怖を感じると無意識にそれまでの日常や、思考パターンを続けようとする。….4月19日、原発事故において非情に危険レベルの高いメトルダウン(炉心溶融)の可能性についても枝野大臣は「メトルダウンはない」と発表。だが一方で、5月31日の衆議院復興特別委員会集中質疑でこう言っている。「私は事故直後から、メトルダウンの可能性を申し上げてきた。避難指示なども適切に対処した」…」

震災における言動を取上げれば枝野官房長官の発言になるので気の毒だとは思う。しかし結果として言葉の違いがあればそのことについて説明をする必要がある。国民の納得が得られるまで行なう「アカウンタビリティ」が求められる。それができなければ「意図的な嘘」と捉えられる「立場」に政治家はある。

本書は日本だけでなく米国を含めた他国の政府発表についても取り上げている。アカウンタビリティの問題は他国も同様だということを知ることができる。情報はメディアを通じて見聞きする。Webを含めて入手した情報を自己の文脈を通じてどう解釈するか。これが問われるのだが、幸いなことにいまはSNSがある。SNSを通じて“他の文脈かのアウトプットを知ることで多様な解釈を知ることができる。そうした意味では本書もひとつの情報にすぎない。

情報と解釈。嘘は見ぬくことは難しい。それなら文脈を太くし危うさを感じ取るクリエイティビティが求められるのではないだろうか。

 

当セミナーはいつも楽しみにしている。理由のひとつにスピーカーの見識の深さがある。費用などを考えると大学の研究者で中々難しいのではと思う。それぞれのテーマで30分ずつお話を頂いた。


そのなかでも“ティーパーティ”の話では多くの知見を得た。ティーパーティは前回下院選挙で大きな影響力を示し、民主党の過半数を失わせた。要点は3つ。まずティーパーティとSNS、大統領への思い、小さな政府である。
日本にいても話題の絶えない草の根運動ティーパーティ。そこには“SNS”の秘訣があった。アラブの春よりはるかいぜんに米国ではその力を発揮していたのである。SNSは米国を揺さぶったのである。民主党がこの勢力を見誤ったのか否かは知る由もないが大統領選挙への影響力は図り知れない。

次に大統領への思いだ。オバマ大統領選を勝ち抜いたころ友人が米国へ長期出張をしていた。リーマン・ショック直後にも関わらず熱気に満ち溢れ手いたとのことだ。国民は“成長した民主主義”の喜びを分かち合っていたらしい。こうした思いとは別に、イラク戦争で疲労しオバマを支持した人も多かった。結果としてブッシュ否定というplus票が差を広げたのである。だが表面的には“小さい政府から大きな政府・リベラル”とイデオロギーが転化したように写った。しかし示された資料は20年間以上に渡りイデオロギーは変化していなかった。

ここで得た知見は「小さな政府」へつながる。実際の民主党の見解はわからない。だが大きな信任を得たという自信が“保険制度”などの改革へ結びついていった。このことは“自分のことは自分で”という米国の理念を変えることになる。理念の変化を求めない人仲間は“連邦政府の私生活介入反対”というティーパーティを生み出ていくのである。

政府・州・個人は互いの干渉を否定する。これが文化なのかも知れない。日本文化のバイアス、極めて少ない情報さらには少ない知識。これでは合理的に米国を考えることはできない。2時間のセミナーから数多くの知見を得た。こうした機会を利用しながら対話をできる知識まで自分を高めたい。アウトプット、ブラッシュアップの繰り返しが知層を積み上げて行きたいと思っている。限定合理性の枠を広げることが仕事にも役だって行くに違いない。色々な機会を利用して少しでも自分を高めていきたいと思う。

 

官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機 (光文社新書)

福島原発事故の対応は歴史が是非を明らかにする。事故発生時の官邸対応は現時点では酷かったと感じている。本書は内閣参与として官邸へ詰めた田坂教授がインタビューイーとして綴った一冊である。事故以前の問題、事故後の対応、これからのエネルギー大きく3つに分けて語られている。エネルギー政策や組織論について深く考えさせられた。

尖閣や普天間、震災、円高は、防衛・外交・社会保障・エネルギー・環境について考える機会を得た。それは短じかい時間軸だけではない。これから生まれる子の環境といった長期的視座が併せて焦点となる。こうしたリスク・マネジメントについて著者は次のように語っている。

「そもそも「真のリスク・マネジメント」とは「起こってしまったリスクを最小限の被害に抑え、迅速に収束させる」ことだけではありません。「今後、起こり得るリスクをすべて予測し、いち早く、そのリスクへの対策を打つ」ことです。その視点から見るならば、いま、我々は目の前の「原発事故」と「放射能汚染」のリスクに目を奪われるあまり、その先にやってくる「さらに深刻なリスク」を見つめることを忘れています。それは「真の危機」と呼ばれるものです」

危機は物理的・精神的の2つに分けて考えることができる。著者が究極の問題として捉える“高レベル放射性廃棄物”は現代の研究では処理方法が無い。それを大量に発生させてしまった。もうひとつは信頼クライシスだ。それは震災対応だけを指すものではない。この数年間に取った政府の行動への不信感だ。不信が折り重なっていることは大政党の支持率を見れば明らかだろう。技術面、精神面ともに不信はつのるばかりだ。だが時間は止まらない。4月にはすべての原発が止まる。製造業が稼動し文化的生活を営むには代替エネルギーが可能となるまでの間、原発に依存することとなる。しかし東京電力問題さえ決着することができないのが現状だ。

いまの文化を維持するなら“原発再稼働”を選択する他ない。今回の事故でもわかるように300㌔先までのリスクを視野にいれる必要がある。それは国民全体への説明となる。
著者は「まず、我々は、何よりも今回の事故が国民の信頼を決定的に裏切ってしまったことを強く自覚し、深く反省しなければならない。そして、その反省に立ったうえでこの原発事故の原因を徹底的に究明し原子力行政と原子力産業の抜本的な改革を行わなければならない。そのうえで、我々は、国民の前に深く頭を垂れ、謙虚に最後の審判を仰ぐという姿勢を持たなければならない。それをしなければ、我々は、国民の信頼を完全に失い、原子力の未来は決定的に失われると思っています」

我々ができることはまず判断選択ができる知識を付けること、次に信頼に足る政策を検討すること、そのうえで精緻に管理する。こうしたことが求められるのではないか。裁判員裁判制度ではないが、国民参加型の決定システムがあっても良いのではないかと思う。

時間をおいてもういとど読み直したい一冊。震災後の1年を検証するには最適な一冊ではないだろうか。

 

「東日本大地震が内包している意味」・「エネルギー・環境問題のパランダイム転換を再考する」このテーマを元に寺島実郎学長が語った。あとわずかで震災から1年になる。被災地から遠ければ人の記憶も少しずつ薄れていく。問題は多くゆっくりではあるが新たな生活に舵がきられつつあると思う。だが東京電力の問題はこれからが本番を迎える。

この講義を聴講するまでは岡本行夫氏のセミナー評でも書いたように、政府が原発保証会社の存在となるのはどうかと考えていた。しかしそれはまったくの誤りであった。10兆に及ぶと言われている債務を民間企業が背負い存続などできるはずはない。事業計画は成り立たない。りそな方式・JAL方式など方法論を問うてもこの巨大な債務を弁済できないのである。現実的に考えられるのは、賠償は政府が行い、東京電力は解体し新会社化ではないだろうか。分離方式などはその次の課題となる。だが東京電力でさえ賠償が不可能なのである。すべての原発は国家が運営するということになる。

日本は抜本的にエネルギー政策を考える必要に狭まれている。サスティナブルな成長戦略に深く関わるエネルギー政策を描くには高い見識が望まれる。国内でも限られた人物になるのだろう。エネルギー調査会がその役割をするのかも知れない。こうしたことを踏まえ寺島学長はレジュメには「非核国として原子力を平和目的だけに利用している国の代表国として自覚」を持つことが必要だと述べている。さらにベストミックス試案として原子力の比重を2割程度にした電源供給を提言されている。

その理由は原子力技術の側面、福島原発の経験を世界にシェアすること、化石燃料の問題などをあげておられた。経験のシェアは核問題処理の先頭を日本は走ることになる。IAEAにとっても貴重な国家となることは間違いなく世界に必要な国家となれる。また化石燃料輸入環境は不安定極まりない。一次エネルギーの4割を中東に依存し8割のタンカーがホルムズ海峡を通過する。米国とイランに関係は最も不安定な関係にある。さらには再生エネルギーが短期的に原発の代わりになるとは考えづらい。

長期戦略をフルスピードで考案しなければならない。こうしたことを踏まえ自分なりの考え方をこれからまとめて行きたいと思う。国家としては、まずエネルギー政策を含めた、10年後の全体ビジョンを掲げ国民の合意をとって欲しい。その上で東京電力のあり方を決定して欲しいと思う。

 

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)

書店で平積みされていたので購入。ずいぶんと久しぶりの神田昌典だった。だが本書は小説「告白」や短期間で結果を出す販促プランとは違っていた。癌に侵されていたこと、経営が思わしくない時期があったこと、これからの社会の問題解決方、ライフスタイル、事業展開など新書の紙幅では少し足りないのではと思ったりした。

いまの社会やこれからの社会の厳しさはこのブログでもずいぶん紹介してきた。ここではその解決策を起業に求めていることを紹介したい。
会社という器の変化、ビジネスモデルが変化し雇用形態がいま以上に変わるというのが著者の考え方だ。実例としてAppleを取上げてみたい。AppleはiPhoneなど企画・製造・販売するが自社工場を持たない完全なファブレスだ。国外で製造することから販売量が増えれば貿易収支は悪化する。米国内ではあまり雇用を生み出さない。近年日本企業のものづくりや流通も同じ傾向にある。この動きは加速が予測される。さらなる加速と量の拡大は10年後の社会は雇用環境が大きく変える。問題を放置すれば失業者が溢れてしまう。数年前の派遣村が色々な公園に生まれることになるのかも知れない。
著者は失業問題を解決するKFSを起業に求めた。

確かに起業環境は10年前と比べても変わった。レンタルオフィスや携帯電話は充実した。スマートフォンやPC、web環境は比べ物にならない。Facebookなどのコミュニティ、リスティング広告などビジネス環境は大きく変わった。これらは起業の初期投資を大きく下げた。投資の低さはリスクも下げる。起業環境は整いつつある。

問題は何の事業で起業をするかだ。起業コンサルの側面から言えば“文脈の太さ”が重要となる。言葉を変えると“コンセプト創発パワー”とも言える。既存事業でもオリジナルな発想力を加えれば「違う事業」になる。こうした企業は“価格競争”に巻き込まれない。実際には難しいがこんなオリジナルでも良い。

文脈の太さは起業するまでの能力開発による。アーカイブの質と量、気づきのパワー、人脈デバイス。こうしたことの積み重ねが太い文脈を創る。これらに加えて“胆力”が求められる。本書では著者の胆力に触れることができるので後で紹介したい。

アーカイブと気づき(感覚・クリエイティビティ)を著者はこう語る。

「論理的解決策が見つかりそうもない中で、業績を上げていくためには、MBAではなくMCA(マスターオブ・クリエイティブ・マネジメント)が必要だ。ビジネスを管理するだけではなく、多様な人々が触発し合う場を創り、いままでにない価値を想像する能力が求められているのだ」

ワールドカフェのような場創りが想像される。著者の考えを否定するものではない。だが論理思考を徹底的に詰めるまえに感性に頼るとそれは博打に近づく。実際の現場ベースの答えは“教科書”に載っていることが多い。それを実践したのが星野リゾートだ。星野社長はそのうえでクリエイティビティを発揮している。この順序が経営の実践では大切ではないかと考えている。

少し長くなったので次回に繰り越したい。

 

セミナー    岡本行夫 

On 2012年2月15日, in 政治・経済, by admin

岡本行夫氏の聴講ははじめてだ。セミナー前列から10番以内の席をなんとか確保。元外務官僚、橋本内閣・内閣総理大臣補佐官をはじめとし日本の外交政策に深く関わる人物だ。議題は経済問題~沖縄まで幅広い。だが焦点が絞られており理解しやすかった。

誰もが日本経済の危うさを感じていると思う。国に問題解決力が“ある”政治が変われば経済が“変わる”と考えている人もいる。私は、日銀やシンクタンク、評論家のセミナーや本などから権利者が“権利を手離す”政策ができなければ再起に相当の時間がかるのではないかと考えていた。そんなことから、私は政治家に問題解決力は“無い”のではないかと感じていた。講話のなかで岡本行夫氏は“増税などを実行できる政治家はいても”権利を取上げられる政治家はいない”と述べた。考えは確信へと変わった。

果たして国力回復のシナリオは書けるのか。今日聞いた、国内の現状や外交との関係を示す数値は厳しいものばかりだった。フォーブスで発表されるアジア50社に日本企業が1社も入っていない・現代の社会保障制度は1961年平均寿命が男性66歳女性71歳の時のもので破綻は当然・中国は台湾と同じ法律で尖閣諸島を捉えているなど。甘い幻想など抱いていないが、経済・社会保障・外交これらすべて高い壁で覆われている。

社会人を含めた学習意欲の不足、ITによるすり合わせ技術の地位低下、政府債務の増大、潜在成長率と人口、さらに円高を始めとした7重苦など。優位性を示されたのは“現場力”だけだった。だがこうした現実から逃れることはできない。決して対岸の火事ではなく、会社や個人へと深く関係する。

自社の成長戦略もこうした社会環境の中から考えなければならない。もっと緊張感を持ち考え行動しなければならないと感じたセミナーであった。

貴重な講話に感謝