皆様へ
今年も一年間ありがとうございました。
こうして年末を無事迎えられたこと心から感謝申し上げます。
皆様の2010年は如何だったでしょうか。
私は“時を大切にしなければならない”と心から思い始めた一
年であったように感じています。
【事を成し得た人物】の話を拝聴すると、考察の深さに驚きを覚
えます。なにが奥行きの深い考察を可能にするのか。そこには必
ず哲学がありました。普遍的とも言える哲学は、人から受け入れ
られ人との絆、つながり作ります。つながりもまた一景だと思い
ます。
愚直な一歩一歩の行動は、一歩一景でありその数が“不動の礎”
であり“奥行き”を構築するのではないかと感じたのです。数
多くの一景を有するには時間を必要とする。更には熟成の時間も
必要とするのではないかと思います。
こうした“あたりまえのこと”を心から気づいたことが今年の
糧であったように思います。
今年一年本当にありがとうございました。
感謝の心をこめ、皆様方にとって来年が今年以上に良い年とな
ることを心から願っております。
12月23日日帰りにて【茅ヶ岳・金ガ岳】を参考した。茅ヶ岳は私にとって大変アクセスがよい。ゆったりとした出立が可能だ。自宅から概ね2時間で登山口まで到着する。
茅ヶ岳は百名山で著名な深田久弥氏終焉の地でもある。山行昼食時に脳溢血での突然の亡くなったと言われている。
本山は深田久弥氏終焉の地を記念した公園が登山口となる。幅広い登山道を歩み始める。この季節少し歩くとアンダー一枚で良いほど熱くなるのだが、体があたたまるまでは強烈に寒い。スタートラインに着く、マラソン選手気持ちをほんの少し理解することができる。
1時間程登ると最初の目的ポイント女岩に到着する。女岩は幅20㍍高さ10㍍の岩盤となる。ここから少し急登である。手足を使う箇所が数カ所あったように思う。汗を拭きながら女岩と同じように30分程登ると茅ヶ岳山頂となる。途中深田久弥が亡くなった地に石碑が立つ。ここで昼食をとっているときに死去されたとのことだが、ここから眺める八ヶ岳は実に雄大で美しい。その後変更になったのだがこの時は、30~31日に八ヶ岳山行予定をしていた。あの雪山にチャレンジするのかと思い、“わくわく”と“どきどき”が入り乱れ。こうして写真などとっていると凪いではいるのだが実に寒い。
稜線の気持ち良い寒さを感じながら山頂へと向かう。寒いはずである。山頂は一面真っ白な雪で覆われていたのだ。足を踏み入れると10㌢には満たない。アイゼンが無くとも大丈夫かと感じるが、軽アイゼンの準備を怠ったことを反省せざるを得ない。
雪で覆われた足元のもと、昼食には早いので小休止を兼ね素晴らしい眺望を楽しむ。
途中岩場を超え金ガ岳へと向かう。予測されたことだが稜線は雪に覆われている。上りはまだしも“下山でアイゼンが無いのはまずいな”と思いトレースを確かめながら登った。途中冷たい風は気分良く下山のリスクを時折忘れさせる。また今年は雪山をしっかりと楽しもう、ゴールデンウィークまで何本行けるかなどのんきなことを考えながら一路金ガ岳へと向かった。
ここまでも約1時間で到着。金ガ岳山頂は茅ヶ岳以上に雪深かった。また金ガ岳に負けず眺望も美しい。昼食とも思ったが体調を考え、山行の喜びを噛み締めながら下山することとした。
ここまではトレースがしっかりとあったのだが、下山ルートはまったくトレースがない。ルート確認には注意を払い赤いリボンもあることから間違っていることは考えづらい。どうやら車での山行らしく往路はそのまま戻っているらしい。アイゼンもトレースもないが他に選択肢はないので注意深くゆっくりと足をすすめることとした。
30分も雪道をあるくと少し土が見え始めた。もう終わりかと残念な気持ちであったが温泉を目指し、明野村ふれあいの里を目指した。
実に気分の良い山行だった。来年早々、雪山トレーニングとしてチャレンジしたい。
『一日一冊読書』を始めてから2年を経過した。そのうえでこうしたブログに併せて発信を行っている。2年間に手にした本は800冊を超える。他にビジネス・時事問題に関する雑誌、山渓、自転車関係を含めるとゆうに1000冊を超える。これに新聞が加わり山行や自転車以外の休日は一日中読み続けることとなる。それでも読み切れていない本が山積みではあるのだが。
読む背景にはすきなことがあるのだが、知を習得し自らの価値を上げることが目的である。本書は『自分の知らないこと、未経験の内容文章は難しい、それに比べ知っていることが書かれている文章は簡単に読める…未知を読むベータ読み…頭脳を刺激し、読書世界を広げるベータ読みを身につける方法とは?』との目的が裏表紙に記されている。
自分の知らない世界を読むのは実に難しい。しかしそれを理解し自らの力としたとき得られる喜びは大きいのだ。著者はイギリス B・バーンスタイン(社会言語学者)のRC(限定用法:親しい間柄などで用いられる省略の多いことば)とEC(論理的で文法的にも整備されたフォーマルな言葉)について説明をしている。その上でイギリスの社会現象について次のように論じている。
『なぜ中流の子女がすぐれた学業成績をあげるのかと言えば、学校の授業、先生の説明のことばは主としてECによっている。過程でより多くのECに触れている子女の方が有利になるのは当然だというのである。
このことは階級の問題と結びつけて考えるべきではなく、むしろ教育の品質に対して光を投げかけるものとして受けとめたほうが良いように思われる』
読む込むことは知識の習得だけなく知能の向上に帰結するのだ。情報でなく『考え方や思考の方法』を得られるような方の話を拝聴すると『形容詞』が少ない。そうでない会話は形容詞が多いように感じる。主観中心の対話はそうなりやすいのだろう。どちらにしても未知との出合とはなりそうもない。著者ののべるECはこうしたことも類似性があるように感じる。
本書はいわゆる『勝間式ノウハウ本』ではない。よって論理的に読解することが困難な本や論文の解読方法は載っていない。しいて言えば『…その場でわからぬことは、あれこれ時間をかけて考える。時間が加勢する。一度でわからぬ文章を何度も何度も読み返す。…やがて通じ合うところまで近づくようになるのかもしれない』
単純に解釈すれば教養や知を身につけるには近道などないのである。仮に雑誌などでエッセンスに近づけたとしても情報に過ぎないと思う。周辺知や奥深さがなければ本質や精髄とは成り得ないのである。
本書はこうしたことも気づかせてくれる貴重な一冊なのである
中国事情をフィールドワークから論じた作品を最近読んだ。本書は対象とも言えるアメリカの社会調査結果を論じた一冊である。この手では『堤未香 貧困大国アメリカ』も著名である。バラク・オバマに期待しながら、その理想と乖離した現実を実に鮮明に描き出しており、興味深く読むことができた。
以前こんな講演を聞いたことがある。田原総一朗(ジャーナリスト)氏が日本共産党の不破哲三元書記長に“理想とする国家はどこか”と尋ねたときに『アメリカ』と答えたという。後に志位書記長へ同様の質問を投げかけたところ同じ答えがかえってきたと述べていた。国内では民主主義の対象にあるようにも思える共産党でさえも、米国を理想の国家としているようである。無論、現有国家からの選択ではあるのだが。こうした理想とも言えるアメリカの実態を本書は詳らかに調査を論じている。
所得の2極化に関する問題は日本国内でも随所で論じられている。中国でも蟻族問題が挙げられていた。米国においても同様である。『アメリカ人の10%を占める裕福層が連邦税全体の55%を支払っている。その一方、連邦予算の約60%が個人に給付され受益者のほとんどが貧困層と中間層である』また『マイクロクレッジトを用いた貧困救済で有名なバングラディッシュのグラミン銀行は、…ニューヨーク市クイーンズ区ジャクソンハイツに全米初の支店を開設し、2010年には2500人対して500万ドルの有史を始めた。同銀行はその後同市ブルクッリン区やマンハッタン区、ネブラスカ州オマハなどへ展開している』
米国にグラミン銀行があるなど考えもつかなかった。貧困者救済のコンセプトのもと中南米を軸に展開していた銀行がニューヨークに存在するのだ。こうした一面を見ると、もはや理想とは言えないのではないかもしれない。過日の日経でグラミン銀行の収益性や取立て行為が問題視されていたが、これらを踏まえると世界規模で抜本的な問題解決が必要なのかも知れない。それよりも社会以前からこんな状態でありITCが表面化させたに過ぎないのか。この答えの端緒を本書は次のように示している。
『人口動態調査(2006)によると、アメリカ国民のうち貧困層(4人家族で年収2万1000$に満たない者)は12.3%であり、貧困との戦いを掲げたリンドン・ジョンソン政権時代の1968年の12.8%からほとんど改善していない。黒人のその割合は24%に及ぶ』
以前から抱えていた問題なのだ。それぞれ国家で状況は違う。しかしこの問題解決が難しいという共通点は一致している。制度、文化、慣習などが違うのに、なぜどこの国も解決困難なのか。『個々人』の問題なのだろうか。以前、複数回転職者についての考察を重ねたが『個々人の問題』という背景が感じられた。しかし思考停止することなく、社会問題として解決策を講じなければならないのだ。
いささかデモクラシーとは離れたが本書からはアメリカが抱えているコトを数多く読み取ることができる。自分たちがアメリカに何が出来るかを考えなければならない時がきているように思うである。
本書は日中関係、共産党支配、中国軍、格差などで構成されている。靖国参拝に対する中国の反応や問題などを考察するとき、日本の政治・経済環境、中国の政治・経済環境を十分に整理しなればならない。そのうえで過去の『日本と中国の関係』、『日本と東アジア』、『中国と東アジア』またこれに関連する米国の対応などを俯瞰して観る必要がある。そうでなければ不毛な時を過ごすことになりかねない。本書はこうした問題意識を少なからず解決してくれる一冊なのである。新書でありながら幅広く論じてられることから日中関係についての考察を試みたい。
日本と中国の関係を考察するキーワードとして『従軍慰安婦』『台湾独立』『靖国参拝』の3点があげられる。このうち『従軍慰安婦』に関することは過去の出来事に対する解釈であり台湾と靖国は未だ継続している問題である。よって過去の出来事であれば十分な調査を行い、それを当時の文脈に置き換え考察し、議論し整合性を保ち結論を出すということになるのではないか。
裁判であれば原告と被告、相互の証拠を出し合い証拠を裁判官が認めることから始まる。この件について本書では次のように述べている。
政府答弁では『答弁書は、河野談話について閣僚の署名はなく『閣議決定はされていない』と客観的指摘を装いながら、実際にはその政治的意義を矮小化し、『(政府関係資料には)軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示す記述は見当たらなかった』と安倍の国会答弁を追認したのである』と述べている。
その後“林博史 関東学院大学教授が米国で発表した論文をもととなり、に安倍首相は
訪米時のメディア取材に対し「慰安婦問題については日本に責任がある」「わたしはかねてより河野談話を支持していた」と、従来の主張とは180度異なる発言をした。
これが本件に対する結末ではないであろうし、詳細は今後も詰める必要があるだろう。私が懸念するのは今後議論重ねるうえでの『資料の信憑性』である。国内では薬害エイズ問題や昨今では検察による証拠改ざん問題などもあった。中国は餃子事件や汚職など国家としての信頼性に疑問を持たざるえないことが数多い。相互信頼できる資料でなければ前に進むことは極めて難しいと思う。相互国民の理解が得られる結論が一日も早くでることを望んでならない。東アジアの一員またリーダーとして信頼される国家となるためには、威厳を持ってこうした問題に取り組む必要があると考える。
『台湾独立』『靖国参拝』などやるべきことに限りはない。
中国という国家を知るうえで大変参考になった一冊である。
高学歴者、就職難問題についてフィールドーワーク調査を論じた一冊である。しかし本書は、国内問題を論じたものではない。中国、就職難問題を論じたものである。本書は未就職や大学院への進学が困難となった高学歴未就職者についてのリサーチ結果と論評また蟻族の伝奇を掲載している。中国の実態に近づくことができ、興味深く読める一冊である。
中国は農民が都市部へ押し寄せること、急激に大学を増設したことなどにより、大卒新卒者は625万にも及ぶ。日本の新卒者数は 大学 55万4千人(他 短大 6万7千人・高専 1万人・専修学校 21万3千人・高卒 17万1千 合計 1.015.000人)となる。中国は約12倍近い大卒新卒者を抱えている。日本は最終的に90%の大卒者は就職が内定する。とてもではないが中国は世界2位のGDPで甘んじていることは困難であろう。いくら2桁に近い成長をしていても雇用を吸収することなどできるはずはない。
著者はこうしたグループを“社会的弱者集団”と位置づけている。
『出稼ぎ農民やリストラ労働者、農民と比較して「大卒低所得群居集団」には多くの異なる特徴がある。それらの人々は高等教育を受け、職業の理想も高く、民主と平等の意識に目覚め、都市生活への適応 能力も高い。しかし同時に、教育条件や家庭の制約から、総合的な素養や競争能力で、同年齢の都市の青年や出身家庭の良い青年にはるかに及ばず、それが大きなコンプレックスとなっている。この集団の多くの人が、大都市は「経済的には受け入れるが、社会的は排斥する」というシステムが自分に対して不公平であると既に認識しており、そうしたことで骨身にしみるほど社会の不公平を味わっている』
一流大学合格と親の所得という国内事情と一致が見られる。正負どちらも連鎖しやすいという事である。国内ではこうしたことが派遣問題などへ繋がり、何か“あきらめ”の印象を感じてならない。蟻族の暮らしは、衣食住すべてが国内では考えられない環境下にある。なぜなら住居といっても簡易宿泊所のような共同ベッドである。更にトイレは屋内になく公衆用を使用するといった状況なのだ。しかし本書を通じて感じる蟻族は苦しいながらもあきらめず希望を見いだし生きているように思えるのだ。
『….数日前ある友人と話していたら不意に、もう2009年なんだ、と気がつきました。また一年が過ぎたのです。前はいつも自分なんてちっぽけな若造だと思っていましたが、急に自分が大人になったような気がしました。….でも今の境遇は三年前に比べるとずいぶんよくなりました。少なくとも給料は転職するたびに良くなっていますから。そう考えると、そんなにがっかりすることもないかな』
本書から感じられる劣悪な衛生環境からこうした希望を持てることに力強さを感じてならないのである。自分に言い訳をすることなく置かれた環境下から希望を見出すギャップを埋める努力を続ける。実に素晴らしいと感じる。何かと問題の多い国家であるがこうした人は素直に応援をしたい。
過日著者を囲んでの食事会に参加する機会を得た。15~20人の会であり著者の本音を伺うことができたように思う。著者は月刊誌willやvoiceなどで毎月のように発言をされているのでご存知の方も多いかと思う。そのテーマとなったのが本書である。
本書は概ね政治軸に経済と中国問題について論じている。本書初版が9月29日であるので尖閣問題直後が初版となる。残念なことに尖閣についてはふれてはいない。しかしこうした問題が発生する環境が国内にあることを著者は述べている。
『細川護煕内閣は94年4月にわずか8花月で羽田孜内角に交代し羽田内閣もまた1ヶ月半で村山富市内閣に代わった。面倒な事件が起こったときは与野党が一致して首相を支え、またマスコミも国民も覚悟を決めて国難に当たるべきだと思うが、そういうことがまったく感じられない珍しい国だとも言える』
これは米国と北朝鮮の1993年のプルトニウム問題時の米国の対応と国内を比較して著者は述べている。こうしたときの日本の姿勢はいまも全く変わっていない。例えば尖閣と同様の問題が明日発生したとしても現状の国内法では自衛隊が出動することは未だできないのである。それも国際法上は認められており国内法が無いこと事態が問題なのにである。一部議員からはこうした問題の発言がなされているが、議論すらなされていない。やはり珍しい国家なのか。
著者は94年時の日本に対応について『アメリカは日本にも協力を要請した。北朝鮮の原爆開発は日本の驚異だから協力は当然だと思ったらしいが、日本はす右往左往するだけだったので、アメリカはあのとき日本を見捨てたと思う(その時は村山談話が出た)』
おそらく著者の推測が正しいのだと思える。というのはウイリアム・J・ペリーが日本経済新聞「私の履歴書」で次のようのべている。『アスピンに請われ国防副長官になっていた私はBUR(ボトムアップレビュー)の総指揮官を任されていた。そして最終的に出した結論は米軍は二正面戦略を維持できないというものだった…その現状は今も変わっていないと思う』
要するに米国自身が何らかの問題を抱えている状況(今回のアフガンのような)ではこうした問題が発生したときは長期的な対応が難しいということになる。著者や京大中西輝政教授の発言を一考する必要があるのかもしれない。こうした問題は国内法だけでなく米国はもちろん東アジア全体のことを考え国民とコンセンサスを取らなければならない。リーダーある首相や与党の説明責任は大きい。また長短両方の視点で考察を重ねる必要もある。軽はずみな言葉がその後の方向性を損なうのである。私はこの1年間のいたずらと言っても良い発言が今の事態を引き起こしていると思うのである。
自らも日頃の言葉や行動は慎重を期さなければならないと再び認識する次第である。
著者がいつまでもご健康であり、またあのような機会を持てることを願ってやまない
著者は図解を伴って思考し問題を解決や発想をはかることで著名な人物である。自己啓発と自己管理を考え本書購入した。手元に届くと主たる中身は手帳であった。しかし目標達成や自己管理についての考えや手法が50ページ程記載されており目的は十分に達した。
毎年秋にあると来年の手帳が販売されるが最近は手帳ブームらしい。女性はプライベートとビジネス2冊持つ方もおられるようである。いままで“手帳による自己管理”の類はずいぶん購入したように思う。また著者が誰であれ中身に大きな違いはない。それでもこうして時折購入するのは『自己啓発』と『自分のプロデューサーは自分自身』ということを改めるためだ。自らを戒めることが目的である。
大きな違いはないが少し本書の特徴を紹介したい。
第一の違いは図解により自己を棚卸し、価値観を見出そうとすることにある。
こうした図による考えや過去(キャリア・価値観)を整理する機会を持つことは大変重要である。自らが“求めているコトは何か”を心の中から導き出す作業となる。そのうえで自己理念を具体化し目標設定をする。本書はこうした本来最もやらなければならないコトの手伝いをしてくれるのだ。
ひとつのドメインを定め、積重ねの一年を過ごすことが長い人生において重要である。そうでないと『スクラップ&ビルド&スクラップ・ライフ』となってしまう。結果としてなにも構築されていない。こんなあたりまえのことをどこまでわかっていたのだろうかと思うことがある。
本書を通じて来年以降のプランをしっかりと考え実行したい。
著者の名前から略歴がおわかりになるかたも少ないと思う。著者はアメリカグーグル副社長、日本法人社長を歴任され、現在グーグル日本法人名誉会長である。今夜の読書会にて著者の話しを聞く予定である。そんなことから本書を拝読した。
これだけの人物は日頃、どのような思考をするのかまた行動へどう結びつけるか。極めて興味深い。結論を先取りすれば題名の通り『シンプル』なのである。本文でも論じられているが、原理原則を貫きぶれないのである。浮ついていないとも言える。
原理7カ条
1 会社の仕組みを知る
2 財務・簿記の基礎知識を身につける
3 疑問はその日に解決する
4 仕事の目的は顧客満足にある
5 仕事のプライオリティをつける
6 アイデアは頭で考えない
7 デール・カーネギに学ぶ
こうして見ると極めて単純であり、自ら行っていることも多い。結果の違いは徹底して行っているか否かにあるではないだろうか。実は原理原則を貫くことは大変“辛い”ことなのだ。日頃よく思うのだが努力や頑張ったと実感するのは『過去の自分との比較』や『自分の周囲との比較』に過ぎない。著者のような方をベンチマーキングしそのうえでの比較ではないのだ。例えば京セラ稲森名誉会長の『誰にも負けない努力』やソフトバンク孫社長の『勉強の鬼』など成し遂げた人物は徹底して物事を行っている。こう考えると結局自分の一生懸命など端緒にも届かないように感じる。日々数%でも成長することが大切なのだろう。
著者は『何事においても“まず森をみること”これにつきる』と述べている。近視眼的、ステレオタイプでなく俯瞰して物事を考えることは7カ条全体の共通事項であると言う。
前記した原理原則やそれに伴う努力もこれに通ずることは明らかである。本書を通じて原理原則の著書が紹介されている。俯瞰して考察をするには原理原則の知識が求められることは述べるまでもない。
知の研鑽を重ね、デール・カーネギの考え方や倫理観を持ち人と接し行動する。その
上で再び俯瞰し考え行動する。こうしたことを日常とすることにより相乗効果が起きるのだろう。
こうした考えを実践した著書とお会いできる今夜の会は大変楽しみである。企画者に感謝申し上げたい。追って感想をこの場でも述べたいと思う。
チャレンジとは言ったものの走行距離は75㌔とロードバイクでは一般ではあまり特別なことではない。個人的に長距離を走ったことが無いに過ぎない。論文執によりスポーツクラブを休みがちとなったことから昨年秋に購入。この夏以降時間はできたのだが山行が中心となりロードバイクはいささかおろそかになっていた。そんな折に友人が購入したことからツーリングに行くこともあるかと思い、普通に100㌔の一環としてトレーニングを試みた。
最初の目的地である平塚海岸まではおおよそ40㌔程度である。地図で示すと中央相模川を246少し上がスタート地点となる。厚木あたりから平塚海岸へと下り、海岸を右折し小田原へと向うルートである。日中は12月にしては暖かくラニングのスタイルで十分だった。久しぶりの風を切る感覚は実に気分が良かった。
相模川は未完成な自転車道ではあるが丹沢と川に挟まれて進む自転車道は実に気分が良い。
気分がよすぎるのも危険を伴う。少しペダルを踏観込むとむと35㌔オーバーのスピードとなりやすい。人によって違うが信号などを含めると概ね時速15㌔~18㌔程度ではないかと思う。途中コンビニへ寄った程度で概ね2時間強で海岸へ到着した。
久しぶりの海は気持ちが良かった。20代~30代の前半まで毎週のような海通いは生活の一部でもあった。いつも復帰を夢見ている。なんとか春をめどに復帰をしたいものだ。
そんな思いの中一路湯河原へと向かった。実は最初の目的地は湯河原温泉だったのだ。前夜息子と飲み過ぎスタートが遅くなり結果として小田原で断念したのが実際のところである。海岸に到着した段階では湯河原温泉を目指しており時間の関係から休憩もそこそこに海岸線を走った。
しかし日没には勝つことができなかった。そこで真鶴を目指すことに変更した。3時半の段階で小田原まで10㌔とあり、概ね20㌔なら行けると判断したのだが、4時を回った頃から一気に日が落ち小田原城を目的地に再度変更した。山ほど日没時間を気にする必要もないが距離的にも納得ができたのでOKとした。次回は湯河原温泉を達成したい。