人生の道を拓く言葉130―偉業をなしとげた人々の「志」 (日経ビジネス人文庫)

言葉はときに自分を支えてくれる。言葉を知ることで捉え方や解釈が変わってくる。帯には【時空を超えて勇気と元気を与えてくれる先駆者たちの思い】と述べられている。先駆者との出会いは著者がライフワークとしている【人物記念館の旅】である。その旅でであった言葉を中心に、志をめぐる言葉を130人選び解説が加えられたのが本書となる。

一日一冊読書を続けて3年になり、途中空白期間はあるもののブログを綴るようになり3年近くなった。いまだ先駆者の端緒にもつかないがこうして続けることで自らが成長できればと思う。私は“座右の銘”はないが“人は誰でもができる努力を、質をあげ、量を増やし淡々と続ける”これいがいに成し遂げる方法はないと思っている。休む理由はいくらでもつけられる。ただ“休まないこと”だけが成功する方法なのだと。これはどんな職業人でも一線に立った人に共通することなのだと思う。本書目次にある【志を立てる】【志を育む】【志を磨く】これを一気通貫しはじめて“業を成し遂げられる”のだと痛感する。数多くの偉人の言葉が詰まった本書ではあるが、ここではこの3つの著書の言葉を紹介したい。

【志を立てる】人は生まれながらに人となるのではない。人が人になるためには、志を立てることが最初の一歩となる。志のない人生は浮き草のように頼りない。自分を生きること、それが人をも生かす。そういう志を立てるところから、意味のある日々が始まる。

【志を育む】立てたばかりの志は、弱々しい小さな灯火のようだ。日々を襲ってくる風と雨によって、あっけなくその灯が消えてしまわないように日々の生活の中で常に新しい空気を吹き込み、その灯を心の中で育てていきたい。

【志を磨く】艱難に耐え、辛苦を嘗めて、志は磨かれ、しだいに本物になっていく。それは選ばれた人に天が与えた試練なのだ。その試練を克服していく人生という長くそして短い時間を立て、育んだ志は実りを迎える。

志を育み、磨く。成功の条件は“志を成し遂げるには艱難辛苦に耐え歩み続ける”これに尽きるのだと改めて気づきを得た。

“月に一度読み返す”そんな思いになる一冊だ。

 

新自由主義の復権 – 日本経済はなぜ停滞しているのか (中公新書)

さすが“中公新書”と言いたい。副題に「日本経済はなぜ停滞しているのか」とあるが、この紙幅でこれだけ幅広く問題を提起し、処方箋を示したものを最近読んだ覚えがない。

経済停滞の要因は複合的であり、処方箋も対処療法にすぎないことは間違いない。その最たるものが政治の停滞だろう。この点について序章で次のように示している。

「市場が効率的に機能するためには、健全な市場を守るための競争政策や、震災への対応を含めた社会保障など政府の役割も重要である。問題なのは、政府による市場への過度の介入から生じる「政府の失敗」である…現実には経済社会の環境が大きく変化したにもかかわらず、過去の高い経済成長時代の制度や刊行がそのまま維持されていることが、経済活動の効率性を損なっている。そのような「政策の不作為」が長期経済停滞の真の原因であれば、その大胆な改革なしには、いつまでも問題は解決しない」

高度成長期を基軸にした“政府の思考”や“法律”を変えることが経済政策に求められる。これは消費者にも言える。高度成長期が人口ピラミッドを考えれば現在の社会保証政策が成立しないことを理解する必要がある。“成立はしない”しかしそれを前提としてベターではないベストな方法を考えなければならない。求める規制改革ができない理由を次にように指摘する。

「あらゆる制度や規制は、それが生まれた時代の環境に適合するようになっていることから、経済社会環境の変化に応じて、常に改革される必要がある。しかし、日本では戦後半世紀企画も続いた高い経済成長の時代の成功体験に、国や企業が慣れ親しんでしまい、それが終わった後も、いつか古きより時代が戻ってくるかのような幻想を抱いて、ささやかな既得権益にしがみついている。そう、まるでかつての社会主義国家のように。これが、構造改革に総論では賛成でも、各論では反対する「先送り政治」を生んできた」

代議士、官僚ともに家業としての成功体験者や受益者が多いように思う。“イノベーション”などとは程遠いグループが司っているのが“政官”の世界なのだろう。いまも続く社会体制を著者は【日本における伝統的な“反自由主義”の思想】と言う。また新自由主義を【政府による市場への個別介入よりも、一定の枠組みのもとで、個人や企業が利益を追求する仕組みを活用するほうが、社会に望ましい結果をもたらす。これは、多様な商品・サービスが溢れている先進国経済では、市場の価格変動に対応した分権的ない意思決定のほうが、中央集権による司令よりも優れているという経験則に基づいている】と述べている。小泉政権では“選挙は勝利”明らかに政策として掲げられている“新自由主義”は反対というおかしな現象が起きた。その後政策転換されるものの何ら解決に至らずいまに至っている。
本書は新自由主義の正当性について250ページの渡り論じているものである。機会をみてレビューを重ねたいと思う。政治・経済・社会を考察する上で必読の一冊だと思う。

 

1秒も無駄に生きない 岩田健太郎

On 2011年8月29日, in 経営者, by admin

1秒もムダに生きない 時間の上手な使い方 (光文社新書 525)

ネーミングで購入した一冊。そんなわけで著者のことは知らなかった。
履歴によると1971年生まれ 感染症医師 神戸大学大学院教授で
ある。著書も多数出版されており、業界では著名な方なのだろう。

これだけの方の時間損出は社会的な損害だと思う。時間管理の考え方
に所得で除数計算する方法がある。時給1万であれば2時間失うと2
万マイナスとなる。年収1000万でも1万円の損害である。大手企
業の役員会を想像すると10人も集まれば時間15万程度の会議費と
なるだろう。著者のような医師ともなれば患者の「生命」とも関係す
るのだろう。

著者は「プライオリティ・リスト」よりも「やりたいこと」をやるべ
きだという。その前提として”人間は快楽を求める動物でしが、いつ
も快楽ばかりを求めているわけではありません。ときには率先して、あ
えて苦痛を伴う選択をすることだって多々あります”と述べる。その上
で東日本大震災に多くの医療関係者が自ら赴いたことについて次によう
に述べている。

「このような苦しみこそが、自分たちの「今一番やりたいこと」だった
のです。人間が「やりたいこと」は快楽を追求することとは限らないの
です。多くの日本人にとって(そして少なからぬ外国人にとっても)、
やりたいことは「あえて苦しみを伴う選択肢を取る」ことなのではない
でしょうか。僕らは、しばしば定型的に考えられるほど、あるいは功利
主義者の一部が主張するほど、快楽というもにひかれないのです。した
がって「今一番やりたいこと」を優先的にやるのは、快楽に溺れて自堕
落な生活を送る、という意味ではありません。多くの人にとってそのよ
うな空しい生き方は今一番やりたいことではないからです」

人は”自堕落”ではないという前提が必要になりそうだ。少なくとも
「医師」という立場になれた人だから可能なのではないだろうか。この
原則が”適用する自分”になれば、その時はすでに時間はあまりムダに
していないだろうと思う。こうした自己への厳しさを保つ自分になるこ
とがはじめの課題ように感じるのである。

課題を与えてくれた一冊に感じる。

 

GOETHE 10月 朝活

On 2011年8月29日, in life Style, by admin


GOETHE (ゲーテ) 2011年 10月号 [雑誌]

週末、早朝トレランにチャレンジした。6時半スタートなので
朝活人にとっては早朝とは呼べないのかも知れない。従来と比
較してということで理解を得られると幸いだ。

最近”朝活”が静かなブームのように感じている。原因は流行
・景気もしかすると人口構成の変化なのかも知れない。直接的
な原因は”個人時間の確保”ということになるのかと思う。

どちらにしても快適にすごせなければ意味がない。いまのところ
平日を含めRUN・BIKEなど運動系が多いのだが、あと30分から
1時間早く起きることができれば、もう少し有効に使えるように
感じている。2コマ確保が当面の目標となる。

今回も中沢峠を走った。南高尾は今回で4回目。前回にくらべ弱
冠タイムが良くなった。前日のジムが効いているのか走り始めは
足が重かったが、汗の量と比例して快適感が増してきた。時間パフ
ォーマンスもよく静かなマイブームである。

 

後藤田正晴  政と官

On 2011年8月26日, in 政治・経済, by admin

政と官

後藤田正晴は31年間、官僚として使えている。警察庁長官を経て閣官房副長官で勤めを終える。その後政治家へ転身するのだが、官僚トップ経験者として職務をどう考えていたのか興味深いところである。今日8月26日正式に辞任表明した菅内閣は「脱・官僚政治」を理念に上げていた。それは官僚が政治を司っていることの現れであり、権限者は官僚だということに繋がる。政治家と官僚、またその職について次のように述べている。

「..政策は、与党および内閣を構成する国務大臣が、互いに協力しあいながら最終決定するのである。この決定を行政機関が実行する。これが、日本国憲法が想定している役人に位置づけだ。ところが、現実問題して、日本の場合は政党政治が未熟である。政党自身が独自に政策立案できるだけの組織もなければ能力も有していない。政策に必要なあらゆる情報や資料を行政府が独占しているのである。行政府は日本最大強の、というよりむしろ日本唯一のシンクタンクなのである。その結果、どういう弊害がでてくるかというと、行政官が政策そのもの決めてしまうという行き過ぎた事態が生じてくる」

本書一版、時代は“細川連立政権”の1994年だ。リクルート事件、佐川急便事件と続き政治改革が叫ばれていた。いまから15年以上も前になるが官僚と代議士の関係、政治システム、また政治と金の問題は一向に解決がなされていない。15年前にいま官僚人生を終えようとしている方々を交えて行政改革が始まっていれば政党のありかたも大きく変わっていたのだろう。

いまだ発展過程なのだろうかと思ってしまう。停滞または衰退しているようにさえ思える。変わったのは政治資金問題で取上げられる金額がずいぶんと少なくなったものだなという程度だ。政治はマニュフェストなどの解釈を変え、その場しのぎを断続的に続ける。立場を守ることが目的であって提言を実行することが目的になっていないのではないか。そもそもミッションとしてマニュフェストを作成しているようにも感じられないのだが。

2大政党制になり「国民の納得」という言葉が使われる。自社の消費者層をマーケッターでさえ掴むかことが難しい。さらには国民の意思などバラバラでまとまるはずなどない。安易であり言霊とは程遠い。私はどちらと言えば官僚に対して批判的ではない。官僚の存在が政治を形にしていると思っているからだ。しかし著者は「役所の威信」を尊守することが目的化しているとして次のように述べている。

「役所が目的を達成するには、国民の信頼が必要である。ところが、いつの間にか、信頼と威信が入れ替わり、目的は二の次にされて威信や対面ばかりが強調される。これは困ったことである。なぜかたという自省できなくなるからだ」

多い時、国務大臣は年に数回変わる。自省してこれを変えることこそ難しいだろう。それならば専門家・シンクタンクとして官僚・役所が機能することが望ましいように思う。どうにか自省するシステムを取りれれば、質、時間と三方治まるまるのではないだろうか。

政治に期待を持てない裏返しではあるのだが。

 

後藤田正晴 日本への遺言

On 2011年8月25日, in 政治・経済, by admin

後藤田正晴 日本への遺言

東京帝国大学卒業後、後藤田正晴は高等文官試験に合格し内務省へ任官する。昭和14年入省、16年12月8日太平洋戦争が始まる。後藤田は昭和15年4月台湾歩兵第二連帯補充隊として台南に入り以降昭和21年4月まで軍務につく。

書を通じて感じるのは、戦争体験が背骨を鍛え哲学を深めているということだ。その経験は安全保障政策の根本を成している。安全保障問題や米国への考え方は戦争や戦後の経験を経た世代と以降とでは違いを感じる。恵まれた生い立ちが原因なのかも知れない。寺島一郎学長は団塊世代を「日本人ではじめて自由を手にした人」だという。後藤田氏は団塊世代について次のように述べている。

「団塊の世代には僕はいじめ抜かれたから、本当は腹が立っているのだけれども実際、今日本を支えているのは団塊の世代です。これは。そしてね、生まれた時から死ぬまでね、競争社会の中で生きているんです。だから非情にバイタリティのあるね、世代じゃないですか。この世代にしっかりしてもらわなきゃ困るんだ、これは」

「何とかせい」という心が伝わる。だが大正世代と“自由と競争世代”では背負っているものがまるで違うのだと思う。戦地へ赴けば生きることすら自己判断できない大正世代。修羅場という言葉さえ空々しく感じさせる。“背骨の違い”という言葉が的を得ている。自省もこめ、“根の力”ともいえる揺るがない信念に物足りなさを感じる。

戦争は「運」を正面から見つめさせられる。台湾から東京への飛行コースを後藤田は自ら示し飛行士に飛ばさせている。変えたことで九死に一生を得ることとなる。その件について前書後藤田正晴に保坂は以下のように述べている。

「もしあのとき、航空班の商工に指示されたとおりのコースを飛んでいたら、自分は生きていなかったはずだ。予め情報をよく解析したうえで自らの考えを主張し、そのとおりに実行したから死なずにすんだのだ、情報を良く分析したうえでの結論はあくまでもとおせ、そうすれば悔いは残らない。といった信念がこのとき固まった。判断力と実行力は両輪である。両輪を回転させなければ、人は「運」さえ自分の側に引き寄せることはできない、と思った。後藤田が単純な運命論者に終わらずに、さらに一歩進んで身につけた処世の方程式であった」

“ロジカル・シンキングと強い心”この両輪を目的に向かって回転させることでしか目的を達成する道は無いという結論に帰結する。後藤田のロジカル・シンキングの起点は「勘」だと著者は述べる。「勘という語が多くの情報を収集し、理知的に解析し、その結果を基に実行に移す」これに経験も加味するのだろうと思う。

しかしこれは特別なことでなく我々も日頃から行っていることである。要するに突き詰めているか否かの違いだ。強烈な体験をしていてもすべてが後藤田のように生かされてなどいない。経験を自己の文脈に落とし、次にどう活かすかの違いに過ぎないのかも知れない。

 

新編 後藤田正晴 保坂正康

On 2011年8月24日, in 政治・経済, by admin

新編 後藤田正晴―異色官僚政治家の軌跡 (中公文庫)

この2ヶ月程『後藤田正晴』に関連する本を10数冊読んだ。二十歳頃から床屋談義的に政局を面白く見てきた。この数年は『危機感』を持って政治を観察している。日本の総理大臣は長期政権そのものが珍しい。“追米・経済拡大”が可能であればビジョンが無くとも政治は可能だった。しかし94年(宮澤内閣退陣)以降、混沌を極め政局を楽しめる余裕が無くった。
確かにGDPの下落、就職率の低下、3万人を超える自殺者など世相は厳しさを増している。だがもっと深いところ不信と不安を抱える。それは『揺るぎ無い背骨』が消え失せたからではないか。この菅首相は8月で総理を辞する。批判的に“首相に成りたかったのであり何をしたいがない”と言われる。これはご本人の著書からも十分に伺えることだが、は、これが宮澤内閣以降の首相の特徴ではないだろうか。またあったとしても『揺るぎ無い背骨』が無いがために崩れやすいように感じてならない。しかしこれは首相というリーダーだけの問題なのか。それを支える官房長官や秘書官に左右されるのではないか。組織論の“右腕人材”と相通じるものがあるのではないか。そんな思いから『後藤田正晴』関連の著書を読んでみた。

履歴をざっくりと消化すると、後藤田正晴は大正3年生まれ。東京帝国大学卒業、高等文官試験合格、内務省入省、第二次大戦兵役。その後復員。警察官僚として警察庁長官、中曽根内閣で官房長官、宮澤内閣で副首相を歴任している。
圧倒される経歴ではるが、この能力が先天的か後天的なものかは知る由もない。しかし本書を含め影の努力者であることは間違いないようだ。また生い立ちは厳しいものがある。7歳で父、10歳で母を亡くしている。悲しみを推し量ることなどできようがないが凛とした人柄に影響を与えたのではないか。

インタビューから著者は次のように感想を述べている。

『幼くして両親を無くした寂しさ、孤独を癒す術は、たぶん人によって異なるのだろう。十歳の後藤田少年が選んだのは、両親のいなことを自分の努力不足や他人に負けたときに言いわけにしない、逆に孤独感をバネにして強く生きるという道であった。誰にも負けたくない、自らの志は必ず貫徹するという意思を持つと考えることであった。無論十歳の少年は、その年代でははっきりそう自覚したとは言えないかも知れないが、すくなくともそうした道に向かう出発点に立つことにはなったのである』

天は厳しさ与え自らは強さを養ったと言える。先天、後天などでなく“どう生きるか”を定めたことがこのあとの人生を構築したことは間違いない。さまざまな書籍を照会しながらじっくりと人物を追っていきたいと思う。

 

日本の国境問題  孫崎 享

On 2011年8月23日, in 政治・経済, by admin

日本の国境問題 尖閣・竹島・北方領土 (ちくま新書 905)

海を挟んで隣接するすべての国と国境問題を日本は抱えている。それは北方領土、竹島、尖閣の帰属を指す。だが活発な議論を聞いたことはない。北方領土における鈴木宗男氏(収監中)を始めさまざまな個別交渉はあるのだろう。“尖閣など領土問題など存在しない”という発言もある。だが現実は断続的とも言える領海侵犯が行われている。竹島は実効支配がなされ韓国領土だと声高々に叫ばれている。過日の国会議員入国拒否などその典型である。それにも関わらず『政権選択』時に政党の国境問題への姿勢が分からないというのは甚だ遺憾である。

こうした問題があることを我々は認知する必要があると思う。著者、孫崎享氏は外務省にて駐在、大使を経て防衛大学校教授(09年退官)が論じた書であり“国民が知っておくべきこと”を主眼としている。こうした書により問題の本質を知ることは国際関係論を考察するうえで大変重要だと思う。グローバルソブリンリスクにも深く関係し為替動向にも影響を及ぼしかねない。

本書は歴史的背景を踏まえ帰属を詮らかにしているが、実際に国境問題が活発になるのはロシア、韓国、中国の国内政治と関係が深い。その例を1年前の尖閣問題で示したい。

『国境紛争は内政の動向と関連する。その時には、この緊張で誰の立場が強くなるか、その人物が結局は緊張を煽っていないかを見ることが重要になる。

2010年9月尖閣諸島で緊迫した時期では中国では重要な人事の時期であった。10月の党中央委員会第5回全体会議(五中全会)の直前である。中国指導部は世代交代を行う重要な時期である。次期リーダーと目される習近平が軍の要職である中央軍事委員会副主席に選出され、国家主席の後継を固めるか否かを決める重要な次期である。8月頃、中国では権力をめぐり内部闘争が緊迫しているという噂が流れた。こうした時期には内政上の闘争を有利に展開させるため、意図的に対外関係を緊張させるグループが出る。歴史的に見れば、多くの国で国境紛争を緊張させることによって国内基盤を強化しようとする人物が現れる。そして不幸なときには戦争になる』

このように述べている。先般の北方領土大統領訪問、韓国における竹島ヘリポート改修工事なども同様であろう。問題の質はそれぞれ違う。“米国の見解”に影響されるのでなく日本国としてこの問題をどう捉えどのように行動していくのかきちんと示す必要がある。それは政党や政権によって変わるものではない。未来永劫変わらない姿勢を明確にすべきではないだろう。政党間で違いがあれば選挙や政党間協議によって定めるべきだと思う。こうしたことは“発言の質”が長きに渡って問われる。村山発言や河野発言が未だ国家の姿勢なのか否か人によって違う。退任の直前であろうがなかろうが官房長官発言が重いことは言うまでもない。発言をした事実がある以上国民とコンセンサスを得て折衝する他方法がないのではないか。

欧米が不安定になれば、こうした問題はいままで以上に経済に影響する。外交、政治、経済と意識改革が求められる時期なのではないか。“揺るぎ無い理念を持つ”これが重要なのではないか。

本書は国境問題の教科書である。一読する価値あり。

 

世界の運命 – 激動の現代を読む (中公新書 2114)

混沌としているからNEWSになるのか、明るい情報がないからその理由は知る由もない。しかし世界が錯綜とし不安定な状況であることは間違いない。米国、EU、東アジア、どれひとつとして安定的ではない。本書は「大国の興亡」の著者であるポール・ケネディがエッセイとして政治・経済・社会の問題提起と処方箋を示している。エッセイではあるが巧みな分析と提言は論文を思わせる。

オーバーシーという考え方が通用しないことは十分理解している。国内に限定した仕事をしていると、「対岸」という考えがあったことは否めない。しかしそうではない。日々刻々と変化する世界情勢が我々の環境を変化させる。8/22「日経・経済教室・伊藤元重・東大教授」は「世界経済の回復が遅れるほど、グローバルソブリンリスク(政府債務の信認危機)の危険は拡大していく。背景に違いはあるものの、日米欧すべて国債への資金シフトが起きたことが、この問題をグローバルな存在としている。今や日本の財政問題は日本だけの問題ではない。欧州や米国で国債価格が下がるような動きがあれば、日本だけがその動きから遮断されることはありえないからだ。ソブリンリスクとは財政リスクというより金融リスクである。国債市場におかしなことが起きれば、それは国債を大量に保有する金融機関の問題となる」と論。また為替は円高傾向にあるが「敗者競争」のランキングはいつでも変わるとも述べている。
EUはギリシャ国債問題や暴動を抱え、米国は地方債が暴落している。日本は円高問題や政治不安を抱える。こうしたなか来年は世界中で政権交代が進む。年替わりの首相とは影響力が違う。オーバーシーの「混沌」は序章に過ぎないのかも知れない。

しかし本書は環境を踏まえ的確に本質を導く。激動の現代を読み提言を発信するのである。活路を見出そうとする、著者の思いはこの一節に込められているのではないか。「民主主義は、戦争状態にならない限り戦略的に考えることはできないという、「地政学者」の創始者ハルフォード・マッキンダーの有名な言葉を論破しようではないか」この言葉は知、活路を見いだそうとの思いが犇々と伝わってくる。単なるエッセイなどではない。未来への問題提起・処方箋という言葉が当てはまる。

G2には次の問題を投げかけている。

「世界の外貨保有残高全体に占める、ドル比率の減少は米国の影響力の減少を意味する。…ドルが弱まれば弱まるほど、つまりほかの通貨の価値が高まれば高まるほど、米国の国際的な重みは減少する、ということだ。…要するに中国に通貨切り上げを迫るのは愚策である。北京は、さらに米国を見下し、実に協力なポーカーの手札をもらって驚くだろう。米国の要請を丁寧に断れば、中国の大衆が喜ぶ。人民元を切り上げれば、ドルはさらに弱体化する。これを見て、アジアやアフリカ、中南米の各国政府は、保有外貨のドル離れに着手するだろ。だが、目下のところ米政府と米連邦準備制度理事会は、聞く耳を持っていないらしい。経済をさらに刺激し、さらにドルを刷りましするつもりのようである。….」

これは経済に素人の私でも理解できる。伊藤元重教授の示す「通過安敗者論」と結びつくのである。つまるところ“高失業率=選挙敗北”の構図が通貨安競争に滑車をかける。結果としてケインズ政策は行き詰まることとなる。日本の20年そのものとも言える。解決の処方箋は劇薬なのかも知れない。社会保障制度揺るがし人々を混迷させるのかも知れない。しかし不時着でも着陸さえできれば次の展開が見えるのではないだろうか。

折を見て再読したい一冊である。

 

渋沢栄一  島田 昌和

On 2011年8月20日, in 経営者, by admin

渋沢栄一――社会企業家の先駆者 (岩波新書)

副題に「社会起業家の先駆者」とある。渋沢栄一は、近代史最初の国難である“明治維新”を農民、武士、官僚、企業家として業を成し得た。そんな人物であるから成し得たのだと思う。国立第一銀行、王子製紙、東京海上、サッポロビール、日本郵船など長期に渡るリーディングカンパニーの代表、株主という結果を出している。こうした強烈な実績は周知されている。本書を通じ興味深かったのは「ベンチャーキャピタル」としての一面である。

金融の直関比率は明らかでないが融資制度が未整備であったであろうことは想像が付く。海外渡航の経験がそれを成すのか知る由もない。しかし日本の礎を築いたことは間違いない。

「損益勘定でも収益資産編入や協同積立基金、渋沢自身への利益配分など資産管理の原資となるような収益部分を持っていた。しかしこれらの利益部分は近代産業の草創期であることから事業リスクが未知数または高い会社へ出資したり、個人への融資に消極的な金融機関に代わって個人に対する多額の貸付を積極的におこなう渋沢にとって、備えとして絶対に必要な原資だったのである。この時期には解散に追い込まれる会社がいくつもあり、その際には共同積立金を取り崩して償却したのである。」

環境の違いから比較することなでできないが、現代のキャピタルとは大きな違いを感じる。米国で聞く“エンジェル”に近いのかも知れない。また当時の報酬は役員報酬というよりも出資への配当に重点が置かれていたとのことである。いまでいう創業経営者の状態に近いのかも知れない。

本書は渋沢栄一の生い立ちから人脈、国づくりへの考えかたなど新書のボリュームを超え教示を得られる。近現代史の側面を学べる良書だと思う。