決断力  羽生善治

On 2011年9月30日, in 経営戦略, by admin

決断力 (角川oneテーマ21)

それぞれの立場に置き換えて読むと色々なことが見えてくる一冊。

著者は2冊目となる。将棋を通じての考察に興味を感じる。相対する相手の思考を読むことはビジネスに通ずるからだ。セールスは当然のことマーケティングに同様であろう。ターゲットに必要だと気づかせ誘導する。など将棋で自らの手に誘導することと近いものがありそうだ。しかし実際顧客は我々の想定外の利便性を感じていたりすることが多い。これは企業単位で解決すべき課題が違うことにある。同業種でさえそうなのだから異業種となれば変わることは間違いない。変わらないのは組織における問題だけだろう。本書によると相対する将棋でさえ自らの考えの想定外が繰り返されるらしい。

プロ将棋は想定が繰り返しとのことだが、将棋には『定跡』がある。仕事においても定跡はある。戦略論・マーケティング・組織論どれをとっても定跡がある。研究者や実践者が積み重ねてきたものだ。良く書店に平積みされている『絶対に売れる営業の法則』のようなハウツー本ではない。どちらかと言えばこれらは単に成功したケースを並べているに過ぎない。背景や個人の力が変わればできるはずはない。FXや株のハウツー本などまさにそのものだと感じる。100人の著者を買って分析したら面白い結果が出るのかもしれない。それでも定跡には程遠いだろう。

ビジネスモデルは基本的に『定跡』を抑える必要がある。定跡を外すのであればその理由を明確にしリスクを検討する必要がる。この考え方も成功の定跡だと思っている。
本書によれば『これが定跡だといわれているものが、必ずしも正しいとはかぎらない。十年前、二十年前に定跡といわれているものが、実は間違いだったということが多くある。定跡は否定され続けて今日に至ったとも言える。鵜呑みにしないで、もう一度自分で、自分の判断で考えてみることが、非情に大事である。言い換えれば知識は単に得ればいいというものでなく、知識を積み重ねて理科していく中で「知恵」に変えないと生かすことはできない。…..方向性やプランに基づいて、ばらばらの知識のピースを連結するのが知恵の働きである』とある。

定跡は知識に違いない。自己の文脈に置き換え「知恵」に変えることが求められる。『動態的』という言葉が適切なのか。失敗を防ぐには定跡は必要である。しかし発展のためには定跡をカスタマイズすることが求められる。これの可否が成功のKFSなかもしれない。

 

サイバー攻撃のNEWSが日々の新聞を賑わしている。中国からの攻撃ということが明らかになりつつある。しかし認めるはずはなく攻撃は止みそうもない。世界的問題となる日も近いのかもしれない。その国に今年も民主党議員団は訪問するという。何かしらの功績を示して欲しいものだ。“中国を知る事”がリスクマネジメントのように感じる。

NEWSWEEK 10/5号は「増殖する中国スパイ」として大きくページを取っている。世界共通の問題であるに違いない。米国が情報戦に弱いなどとは思わないがこんな事実もあるらしい。「ビル・クリントン元大統領でさえ、中国への接近ぶりが問題視されたことがある。“クリントン大統領は、天安門広場の虐殺を命じた連中が…米軍トップに近づき、高度な軍事技術を入手するのを黙認している”トーマス・ムーア元参謀本部議長は議会指導部への書簡で断罪した」このように米国でさえ“すき”を見せれば報復を受ける。“尖閣問題”140人代議士が中国を訪問した翌々年のことだ。改めて凛とした姿勢のもと距離を保つ必要性を感じてならない。

見出しは“中国当局が狙う最大の標的は米国だがその同盟国などあらゆる国々にスパイがいる”とある。その戦術は多様で企業に入り込む、社員を手懐けるなど多様のようだ。米国ではスパイ活動の隠れ蓑になる“フロント企業”は数千に登るとのことである。フロント企業も含めて見過ごすことができないのが“企業買収”でありそのことについて本誌は次のように述べている。

「企業や大学は概して、情報漏洩に対する備えが甘い。「より大きな問題は、欧米の企業が中国から事業を受注するために重要な技術を提供する契約を結びことだ」と情報研究センターのチャーチル・ビアール会長は言う」日本は同盟国として十分に注意する必要がある。故意の情報漏洩など論外である。

ずっと大過なく過ごせればそれが良いに違いない。しかし30年50年100年という単位で考えればそんなことがあろうはずはない。明治維新からまだ150年も経っていないのだ。子、孫の世代という長期視点と短期視点この2つ視点で考察することが大切だと思う。天安門事件はたった20年前の出来事である。多感な20歳の青年がようやく管理職となったばかりである。
一歩下がって考えても良いのではないだろうか。

 

沖縄と米軍基地  前泊博盛

On 2011年9月27日, in 政治・経済, by admin

沖縄と米軍基地 (角川oneテーマ21)

沖縄に米軍基地が集中し県民の方々が騒音、治安などで苦しんでいる。このことは日本人全体が共有しなければならない問題である。しかし変えることのできない事実として思考停止している人も多い。軍隊は本土だけでなく世界中にある。果たして沖縄での問題はこの地域独特ことなのか。本書を手にするまで知らないことが多すぎた。
神奈川県厚木市に米軍基地がある。この近辺に幾度か仕事で出向いたことがある。大和市を含め広い範囲で騒音の渦の中での生活を余儀なくされている。治安問題などもあるのだろうが沖縄と共有出来るレベルではないと思う。本書によると『…統計が確かな72年から2010年までの38年間だけでも5700件を超えている。うち1割が殺人、強盗、強姦などの凶悪事件です』とある。単純に計算して年間15件の凶悪犯罪という数値は高い。警視庁データなどを参考に試算すると人口ベースの凶悪犯罪件数は年間74件である。約20%が米軍がらみの犯罪となる。こうした都市部での生活者は経済などとリンクして考えやすいが“犯罪率”という視点からも大いに改善しなければならない。

沖縄米軍は日本の問題である。菅直人前首相が副首相のときに問題が大きすぎるので“独立してくれないか”と発言したらしいが、方向性すら示すことができないのが現実だ。残念だが米国に決めてもらいそれを粛々と実行するのが現実のようにも思える。
本書は沖縄生活者の目線で日米安保や米軍基地問題を論じている。ジャーナリスト・研究者の視点であるから民意ではないのかもしれない。十分に勉強になる本書だが特に気になる一節があったので紹介したい。

『12兆円という莫大な国家予算と38年間の期間を経てなお政府主導の沖縄振興策、とりわけその目標となった「自立的経済発展」が田勢できない理由を、琉球大学の大城常夫名誉教授は「安保維持政策としての沖縄振興策の当然の帰結」と指摘してきました。沖縄が「経済自立」を手中にすれば、さらなる経済発展に必要な場所を求め、米軍基地返還の動きを招きかねない。そうなれば在沖米軍基地に大きく依存する日米安保は根幹を揺るがしかねない。日米安保を将来に渡って安定的に維持、運営していくためには米軍基地の拠点として沖縄の経済発展をいかに抑制し、米軍基地なしでは地域経済が成り立たないような体制を如何に保持するかが日米両政府にとって重要な見方です』

とあり。正々堂々としておらず腹に落ちないのは私だけだろうか。国として正面から犠牲を強いるが….ということはできないのだろうか。本書には多々日米安保における米軍基地のありかたについて反論がなされているが、俯瞰して考えれば沖縄に基地が必要なことは明らかではないのか。そうであるのなら大臣クラスの職責の方が沖縄担当 として赴任し関係性を保つようなことをすることが必要ではないのだろうか。もっと沖縄の方々を大切にしなければならないのではないか。

これから普天間問題や中国との関係性などから、沖縄問題を議論する機会が増えると思う。どの立場であれ知識として抑えたい一冊である

 

    

24日土曜日、前回と同じく“道志道”を走った。
北岳山行から1週間、未だ筋肉痛が残るなかでのランだった。しかし和らいだ暑さとトレーニング効果により、休憩1回で目的地にたどり着いた。これも日々の積重ねかと思うと今度は辞める勇気が無くなりそうだ。

あとひと月もすればこのあたりも紅葉一色となるだろう。最終目的地である山中湖には間に合いそうもないが、紅葉の名所までは何とか完走したいと思う。こまのさわキャンプ場は先日の台風の影響で水量が相当増えていた。川としては見ごたえがあるものの自然の脅威を感じる。8日からの連休もアウトドアを楽しみたいと思う。

 

大局観  羽生善治

On 2011年9月22日, in 経営者, by admin

大局観 自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)

作家の選び方として経営学であれば研究者や実践者、政治経済であれば履歴などで決める。また参考文献などということもある。本書のような業界一人者のような方の本はあまり手にしたことはない。スポーツ選手もどちらかというとその部類に入る。そんな考えを変えようと読んで見ることにした。

結果は正解。将棋を通じ人生観や物事への取組みなど多くを学ぶことができた。
成功の秘訣は『誰でもできることを誰よりも続ける』だと思っている。ごくあたり前のことで一定のレベルに達している人は皆やっていることだ。本書はこうしたことについて次にように語っている。

『一流になるための反復練習。練習はたくさんすれば良いのだろうか。将棋を始めたばかりの時は、何よりも練習量が必要ではないかと思う。基本や基礎をしっかりと固めるためには、とにかくある一定のまとまった時間を費やさなければ身につかないし、そこからの大きな進歩も考えられない。最初のうちは練習量に比例して上達していくが、いずれその伸びが止まり、停滞期に入ることもある。その時はどうしたら良いか。量によってその壁を乗り越える方法もある。とにかく多くの時間を使って、繰り返し、繰り返し、練習を重ねてレベルアップして突き抜けるのだ。また、この時期に練習の質について見なおすアプローチもあるのではないかと思っている。メゾットを変えることによって現状を打破しブレイクスルーを起こすやりかただ』

“始めたばかり”として語っているが果たしていまの練習時間はどうだろうか。当然のことながら名人ともなれば練習方法が初心者と違うだろう。こうして書を書くこと事態が内省へとつながり訓練に結びついているのだと思う。“努力できる才能”という言葉があるが達成者は皆自らに厳しいという共通項がある。才能というより自分に厳しいという言葉が適切なように思う。厳しさが脳力を育むということはないだろうかと脳学者に問いてみたい。

ここでは“練習”などということを取り上げたが集中やジンクス、理論、セオリーなど一流人ならではの考え方を数多く教示してくれる。一流人は『やるべきこと』が数多いだろうと思う。こうして本を書くことだけでも多くの時間を費やすはずだ。その間に将棋の勉強をし、講演を行い雑誌やTVなどのメディアにも登場する。生を受けて与えられた時は同じはずだ。これだけは変わらない。あたり前のことだが、結果が大きく違うのは脳力だけではない。それ以外もあまりにも違いすぎるのだ。
最近こうしたことが骨身に染みて感じてくる。こんかいも大変勉強になった。この教訓を必ず活かしたいと思う

 

アナロジー思考  細谷 功

On 2011年9月21日, in 書評, 経営者, by admin

アナロジー思考

昨夜著者を囲んでの読書会に出席をした。ひとことで言うと『連関的思考力』ということになるのか。連関を広辞苑で紐解くと『多くの経験内容が一定の関係にしたがって結合し、一つの全体を構成すること』とある。結合と構成がアナロジー思考の『肝』であるように思う。著者はアナロジーを『複雑な事象に潜む本質的構造を見抜き、それを別の分野に応用すること』だと述べる。

昨日のワークショップでは“鞄の特徴”仕分から予算組を連関させるのだが、特徴をキーワード分類すると当てはまる。実務的にはマトリックスに落とすキーワードなど実践的訓練が必要だと思うが、事業発想や問題解決など新たな発想をするときに、おおいに活用できると考える。

連結思考力という言葉で表した理由は『構成=構造』ということに起因する。本書では図を持ちながら“対称型と非対称型”に分類し方程式に直して解説をする。

対称型  : 並立関係、対立関係、相互因果関係
非対称型 : 因果関係、順序関係、大小関係

『2者間の関係を意識しれおくことは、日常生活やビジネスの現場でも因果関係なのか鶏と卵なのかを区別するという形で役立つ。たとえば仕事を任せられないのと部下が成長しないなどというのは因果関係なのか相互に循環する鶏と卵の関係なのか、どう解釈するかによってその後の対応策も変わってくるだろう』

と述べている。事象を構造分解して考察することの重要性はビジネスだけでなく論文執筆などでも言われる。本書で重要なのはこの因果関係モデルを他の事象からの考え方を引用することにある。

今後更に詳しく詰めていきたいと思う。あらゆるビジネス層の参考書ではないだろうか

 

ライフスタイル 北岳山行

On 2011年9月20日, in life Style, by admin

 7月、海の日いらい久しぶりの北岳山行。今回のテーマはリベンジ。

前回は体調を崩し惨憺たる山行。この原因は怠惰な生活にあり。アクティブなライフスタイルを続けるべく“約27年間日々飲み続けた酒”を一日置きに。そのうえ8月100㌔、9月150㌔のラン。体重4㌔、ウエスト5㌢減という結果を得られた。

北岳は標高3192㍍、富士山に次ぐ日本高峰である。今回のコースは広河原から山頂手前、肩の小屋まで約1500㍍を一気に登る。初日コースタイム合計はひたすら登りの約6時間。もう30分短いコースを選択予定だったが台風20号の影響でコース閉鎖。さらにあずさの予約が取れず登山口着10時、到着予定時刻は休憩無しで4時半だった。

午前9時18分韮崎駅着。予約済みの韮崎タクシーに乗込み広河原へ。しかしどうやら時間を勘違いしていたらしい。予定時間を30分オーバー。出立時刻は10時半をずいぶんと回ってしまった。これで休憩無しでも到着予定が5時となる。日があるうちに到着できる可能性はずいぶんと低い。無謀なことはしたくない。最初の目的地である御池小屋、次の二俣の到着時間によっては御池小屋泊まりに変更し、翌朝山頂を目指すプランに変更することとした。

しかし2ヶ月間のトレーニングは裏切らなかった。まさに野口みずきの“走った距離は裏切らない”そのものだと思った。なんと山頂小屋とも言える肩の小屋までタイムオーバーすることなく登り切ることができたのだ。日頃から『誰にでもできる努力を誰よりも質を高め続けること』これ以外に成功の道はないと思ってきた。自らの言葉を証明することができたのである。そんな達成感の中で見た夕日は美しくなにものにも代えがたかった。

 

「応援したくなる企業」の時代 マーケティングが通じなくなった生活者とどうつき合うか (アスキー新書)

著者名が『博報堂ブランドデザイン』なる部署名というのがおもしろい。実際は宮沢正憲氏なる博報堂ブランドデザイン・リーダーが執筆者となっている。ブランド・マーケティングは大学院でも学んだが、欧米の翻訳をなぞっているという気がしてならなかった。教授にも国内ブランドとグローバルブランドの差異性について議論をしたが、枠組みが大きすぎ明確な応えは出なかった。

本書は“ブランド”というコンセプトよりも、売れない時代のコンセプト・デザインの創造法を語っている。論文形式ではない。しかし随所に豊富なアーカイブを感じる。0章とした“はじめに”で消費者=生活者がなぜモノを買わないかについて次のように述べている。

『すでに物質的に満たされているなかで、違いがほとんどわからない似通ったモノをつぎつぎに発売されても、興味がわくはずがない。企業が思い描いていることも、やろうとしていることも、生活者には的外れに感じるのである。その結果、企業はモノやサービスを無理やり売ろうとする存在としてぼんやり認知され、自分たちにメリットをもたらす仲間と思われるどころか、悪くすれば、敵のような存在としてとらえられてしまうことすら起こっている。景気がどういう以前に、こんな状態では企業からモノを買おうという気になるはずがない。問題はずっと根本的なところにあるのだ』

本書はこの根本をさぐりながらコンセプト創造の考え方や手法について述べる。“『モノ』から『コト』へ”という考えかたはこのブログでも随所で述べてきた。この考え方が1980年代に始まる発想転換だと些か驚きを覚えた。確かにライフスタイルの創造や利用シーンの想像など経験価値を提示する広告が溢れていたように思う。しかしどうやらプロダクツ領域までは浸透していなかったようだ。これが『売れない時代』を迎えている要因かも知れない。企業ベースで考えれば“消費構造の変化”を感じても“企業構造の変化”に結びつけることは短い期間には困難である。数年単位に時間を要するだろう。

コト・コンテクストの考え方はマーケットと企業という存在軸を変える。たとえば山登りの道具の製造や販売する会社は、モノを売っているのでなく準備を楽しむ時間、登っている時、下山後にシェアしている時、山登りにかかわるフローそのものに関係してくる。そうなれば提供者と顧客などという関係からは遠く離れる。著者は企業と生活者の関係を“with C”という言葉で表し企業と生活者は『対等な目線』であるという。自分に置き換えると趣味系のショップなどがこれに当てはまる。著者は『マーケターは“似た嗜好の人々で集まりたい”互いに助け合いたい“といった人間の基本特性を学ぶのに多くの時間を割りあてるべき』というモーランの言葉を引用し考えを示している。

本書は実に的確にわかりやすくマーケットを教えてくれる。この週末研究ノートとしてまとめてみたいと思う。

 

現代語訳 福翁自伝   福沢諭吉

On 2011年9月15日, in 書評, by admin

現代語訳 福翁自伝 (ちくま新書)

訳者、明治大学教授・齋藤孝氏は最近メディアへの登場も多く、ご存知の方も多いかと思う。このブログでも著書や推薦図書を何冊か取り上げている。“学問のすすめ”もそうであったが150年をゆうに超える古い本を訳者は実におもしろく、リアリティを持って読ませる。原典の素晴らしさは当然のことであるが、これが訳者の実力なのかと感じさせる。

さてここで本編についてのレビューをしてみたい。
福沢諭吉は慶応義塾大学の創設者であり、日本有数の啓蒙思想家である。国の礎を築いた一人である。その人物がどのような『人間』であるかの端緒を本書から伺い知ることができる。「酒と福澤」は心の内を良く知ることができる。福沢諭吉は自らが政治家や官僚ではなく、教育・思想家の道を歩んだ。江戸幕府での実績を捨て、こわれるも自らの道を歩んだ。昨年の流行語に『断捨離』という言葉がある。本書を読みながら『断捨離』が的を射た人物ではないかと感じた。

「人の知恵を借りようとも思わず、人の指図を受けようとも思わず、人間万事が運命だと覚悟して、務めることはあくまで根気よく努めて、種々様々のやりかたを工夫し、交際を広くして好き嫌いの念を断ち、人に勧めたり人の同意を求めるなどということは、人並みにやりながら、それでも思うようにならないときは、なおそれ以上に進んで哀願しない。ただ元に立ち戻ってひとり静かに思いとどまるだけです。つまるところ、他人に頼らなないというのが私の本願で、この根本方針は私がいつ思い立ったのやら、自分にもこれという覚えはないが、少年の時からそんな心がけ、いや心がけというよりもそんな癖があったように思われます」

 知を得るためには最善の努力を積む。しかし何やら淡々としているイメージを受ける。訳者はそのあたりを次のように解説する。

「福澤は自身の精神を「カラリ」としたと表現していますがまさにその形容がぴったりです。…福澤の知性には、スタイルがあります。単なる合理性というのではありません。自分自身の気質を良く知っていて、それに合わせた自分の型を持っている。だから相手や状況に振り回されずにすむ」

 自らの『型』を知る。『型』造ることは理念にも繋がるのだと思う。ふらつかない、人に惑わされない。これだけでも人は進歩しやすくなる。福澤という人物も淡々と日々の積重ねがあったに過ぎないと思う。明日の夢を語る時はすでに進んでいることが大切だと思う。ときとして語ることが現実を回避していることがある。

 

日本の経済 伊藤修

On 2011年9月14日, in 政治・経済, by admin

日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書)

日本経済を学ぶ上での要点が詰まった一冊。Web,新聞、テレビと経済に纏わる話題は絶えない。本来基礎的な経済学はリベラルアーツとして学ばなければならないという。その一科目として本書を加えても良いのでないかと思う。

副題には【歴史・現状・論点】とありこの筋で纏まっている。構成は副題の通りであり全11章からなる。日本経済は“失われた20年”と言われて久しい。これを踏み台にして次の展開が見えているのならまだしも“産業空洞化”へと進みつつある。パラダイム転換が求められているにもかかわらず旧来の政策のマイナーチェンジでお茶を濁しているのが現状だろう。今日9月14日の日経には無借金経営企業が増加について記されていた。先が見えないことの表れである。

経済は市場経済信認型か不信任型かに分かれる。日本はその中間を行っている。本書ではその構造を次のように解説している。

「市場経済の効能にどれくらい信頼を置くか、「市場の失敗」をどれだけ重く見るか。『公』の役割をどのくらい必要と考えるか。この点をめぐって経済学者は大きく二つの陣営に分かれる。市場を信頼し、市場の失敗はたいしたことがなく、『公』は最小限でいい、とする立場は市場主義とでも呼ぼう。それを徹底する立場の呼び方は市場原理主義でも市場万能主義でも良いだろう。この人たちは『公』の役割を政府の失敗もあるとおう点を強調して否定する。この立場は経済学における右派をなす。その反対の考えか方、つまり市場の失敗は軽くなく公は必要だ、という立場は左派ということになる…」

小泉政権の右路線から振り子は左に戻っている。どちらも結果はでていないが“公”に経済を支えるパワーはすでにないだことは明らかである。そこで『知恵』ということになるのだが、知恵であれば民間の知恵を取り込むべきだろう。

本書は歴史を綴っていることから類似の現在と類似のケースを見ることができる。またメディアでは南欧州の問題を日々扱っている。本書で得た知識をもとにこうした事例を検証するのはとても楽しいひと時である。

すべての社会人にお勧めしたい一冊である。