読書会  ゲスト 安永雄彦氏  ファシリテーター 橋本大也氏

90分が短く感じる読書会であった。価値ある時間を実感できた。

著者は銀行員として20年以上勤務し、転職、独立という歩みをしている。また現在も経営者、大学院教授、僧侶として活躍し、その上で『日本型プロフェッショナルの条件』などの書籍を執筆しておられる。ファシリテーターの橋本大也氏も実に多彩である。氏には以前情報工学の教えを半年間受けたことがある。経営者、大学教授、執筆活動と多様な分野で活躍しておられるのである。お二人とも実に多彩な人物である。

何をもってこうしたことが可能になるのか。議論でもその話がでたのだが抽象的にとらえると『ドメイン』がぶれず、『内発的動機』により行動しているのである。安永氏はもともと『精神科医』を目指していた。受験に失敗し慶応大学経済学部に進学している。進路の選択理由(銀行)は『転勤により数多くの人に出会える』のが選択理由なのである。『人の心』という【ドメイン】からずれていないのである。内発的動機からキャリア形成にズレが生じていない。

内発的動機が自己充実を可能とする。自己充実が客体からの評価であると充実することは難しいように思う。『モノ』や『資産』の自己充実は客体評価に影響を受けやすい。自分が心から求めている『コト』を追求することが主体的行動になるのである。こうしたことを踏まえて安永氏は次のように述べた。

『客体が望むものと主体が望むものの、一致性を高めることが重要である』まさにここが重要なのだ。主体が望む『コト』を一心に追い求めても客体である環境からズレていれば孤立してしまう。事業であれば売上が成立しない。言葉を換えると【こだわり】のようにも思える。こうしたことを、これから就職をする人と共に考えるのは我々の役目なのだろう。自分自身の研究テーマであるマイクロビジネスの成長と組織構築にも主体と客体の関係は深く関与している。経営者の考え方であり、もう一方は従業員から見た企業である。こうしたことはフォームを創ることは難しい。しかし不毛な要素を削ることは可能かと思う。

一意専心これまで以上に研鑽を重ねていきたい。

 

日本型プロフェッショナルの条件  安永雄彦
 <アメリカ型論理思考では問題は解決できない>

日本型プロフェッショナルの条件―アメリカ的論理思考では問題は解決できない

今夜著者にお会いすることができる。月例で行われている、著者を交えた20人程の読書会が行われており、本日の主題は本書なのだ。読書会のコンセプトは音楽であれば【live】ということである。知識リーダーシップ研究所のコンセプト創りの素晴らしさに舌を巻く。

さて著者は銀行員の後、エグゼィティブ・サーチ企業を創業。現在は大学院教授、僧侶を務めるなど多彩な人物である。本書からもその英知を伺い知ることができる。キャリアやプロフェッショナル的問題解決思考について述べている。
私自身【生きること】【成長すること】が如何に難しいかを日々感じる。こうした思いを著者自身は次のように語っている。

『いざ本を書いてみると、自分が主張し教えていることを、いかに十分実践できていないかを改めて実感しました。『わかること』から実践や徹底までの道のりはやはり遠いのです。謙虚を謳い、克己を説いてきた尊敬すべき世の先達も、持論を書にして、他者に説くことで、自らを戒めていたのかもしれません。毎日が『一日一生』。自分が生かされていることの幸せを思い、ありがたく感謝する日々であります。自分の成長への終わりのない営みはまだまだ続けていかなくてはなりません』

本書への思いがここに表れている。“謙虚な心”が人を成長させるのだと思う。知を深める、拡げることで自らの無知を知ることと同じではないだろうか。尊敬する方ほど謙虚に日々進化している。型は重要であることは言うまでもない。【守 破 離】を心がけ愚直に邁進し高みに達するには著者のような心構えがあって初めて成し遂げることを可能にする。
この繰り返しがプロフェッショナルな人材を創り上げるのではないだろうか。

著者はプロフェッショナルについて次のように述べている。
『一流とは何かの道に熟達することだと述べましたがそのためには、比較優位の世界から離れて、自分の信じる道を進んでいくことが不可欠です。….自我とは意識の中心のことで、自己とは意識と無意識を統合した全体の中心を意味します。個人の中に内在される可能性を実現し、個人の自我を高次の全体性へと向かっていく過程が、個性化の過程、自己実現の過程であり、人生の究極の目的だとユングは考えたのです。』

 個性化の過程により充実感を得る。このプロセスが一流の人材へと近づけるというのが著者の主張である。俗世間的には“過程”を貫くことができずに終えるケースが多いように感じている。時に自己承認で終えているようなケースを見ることがある。やはり自己実現を評価するときに何か定量的な評価が欲しいものだと思う。

壁にぶつかったときにお進めの一冊である。

 

「中国問題」の核心  清水美和

On 2010年10月27日, in 書評, by admin

「中国問題」の核心  清水美和

「中国問題」の核心 (ちくま新書)

著者は、京都大学経済学部を卒業後、中日新聞に入社し北京語言学院に留学、コロンビア大学東アジア研究員、香港特派員など、東アジアや中国に関し極めて知見が深い。その著者が、世界が抱える『中国問題』の核心について論じた一冊である。

中国に関心が薄い日本人は少ないことと思う。尖閣諸島の問題で一層の賑わいを見せている。ビジネスで中国と付き合いがある方は何とか治まらないものかと考えている方も多いのではないか。その表れはたとえば、日経に記される「中国」というキーワードの数だけでも推測がつく。

私は中国についてどれだけのことを知っているのだろうか。この知識を深めない限り「中国」に関する議論ができないように思っている。本書はそんな隙間を埋める書籍である。しかしその理解が端緒にも着かないことは著者の次の言葉からも明らかである。

「素直にいえば日頃中国理解の難しさに難渋している私もこれに同調する誘惑にかられないわけではない。学生のころ、中国を初めて訪れ北京郊外の『万里の長城』の外に広がる茫漠たる荒野を見たとき….伸びゆく先も見えない長城を築いた漢民族の強い恐怖心と深い猜疑心に驚くほかなかった。四方を海という天然の要塞に囲まれた日本人には到底、理解できないとも思った。梅棹が『文明の生態史観』(中央公論社刊)で指摘するように、大陸国家で絶えず内陸からの遊牧民族の侵略という脅威にさらされ、中国人の苛烈なまでの打算とリアリズムは鍛えられた。中国人との交際でそれを思いしらされるたびに、所詮日本人に中国と中国人の理解は不可能ではないか、と自問自答することも多かった」

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観では日本人の特殊性を著者は論じている。しかし理解困難な隣人であることに違いない。私も数名ではあるが中国人の友人がいる。彼らから知を得るときは良いのだが、ディベートにはならない。相手の話を理解しようとはしないのである。自分の意見を通すことに全力を尽くす。日本人でもそうした人はいるが『理解したふり』をして疎遠になっていく。個人的な関係であれば一向にかまわないが、対国家や企業ではそうはいかないことは言うまでもない。如何に困難であっても、我々は、12億からの民を約20人の中央政治局が選挙もなく支配する国家と深い関係性を構築しなければならない。良好な関係を保持することはこれからの日本にとって有効であることは疑いないと思われる。知見を深め自らのスタンスを取ることが課せられた使命ではないか。

中国については、三井物産戦略研究所中国経済センタ−長であった『沈 才彬教授』から講義を受けていたいことがある。沈教授は中国発展の可能性について深い知見を有し、その著書については以前にも数冊紹介しているが、本書は全く角度が違う。本書は直近の史実をもとに中国との関係構築が如何に難しいかを教示してくれるのである。今後の日本を考察するうえで必読の一冊ではないか。

 

MBA経営戦略 グロービス・マネジメント・インスティテュート(編)

MBA経営戦略

グロービスMBAシリーズは現在14冊発行されている。書棚を覗くと12冊程ある。足りないものは早速購入しようと思う。さて本書MBA経営戦略を最初に手にしたのは10年以上前になる。経営をロジカルに勉強し数年経過したころだったように思う。結果的に本を読込むだけでは雑学の積重ねに過ぎないとの考えから大学院、MBA取得へと結びついた。本書はこうしたきっかけを与えてくれた一冊に間違いない。先週レビューした『経営戦略』(有斐閣アルマ)をMBA的にケース中心に記したのが本書である。ケースを勉強したく再読した次第である。

マイクロビジネスはケースを活用することが難しい。その理由は規模の違いがあることはもちろんであるが“経営者個人能力”が大きな変数だからである。裏を返せば経営者個人の能力をあげることで経営をダイナミズムに変革することが可能なのである。そうすることでケースを自己の文脈に置換えることが可能になるのと私は捉えている。この作業はゴールがなくエンドレスに続けることとなるが、どんな職業でも変わりはないと思う。

大手企業で使われる理論をマイクロビジネスの文脈に置き換えて見たい。たとえば『アーカー・事業拡大マトリックス』(ダイヤモンド1986)などを本書ではキャノン、事業拡大の事例として取り上げている。事業拡大マトリックスは ① どこで戦うか ② 何を提供するか という方向性に加え『どのように事業をするか』=『Business System』についての理論である。具体的には、技術を拡張するのか、マーケットを深く追求するのかなどとなる。これなどマイクロビジネスでも十分に追及できる理論であり、日々実践していることに過ぎないのだ。
当社などの事例で考えれば、【電話代行業務】の拡張性とともにマイクロビジネス・コンサルティングを行うなどとなる。ドメインの拡張ではなく深耕となる。研究と経験がここでの強みとなる。

事業拡大などにおいて重要なのは“自社の強み”である。ニーズをつかみ他社がまねをすることができない技術によって競争力を維持する。ここの判断基準の厳しさがサスティナブルな発展の可否なのである。
実際の経営は【変えられない】ことに包まれている。マイクロビジネスは十分なリソースを有しているとは言えず、流れを止めることなどできる筈は無い。現実には、目標やビジョンが見えたら、妥協せずに現状を分析しリアルに即したマイルストーンを置くことが重要である。

経営戦略に限らず研究者の英知を自己の文脈に落とし、自己の知識蓄積することが経営に取って重要であることは言うまでもない。本シリーズがそうした端緒であることに間違いない。

 

山行日誌  大菩薩嶺

On 2010年10月25日, in life Style, by admin

山行日誌  大菩薩嶺

 月例山行が仕事の都合で、今回は日帰りとなった。日帰りで人気の奥多摩や丹沢も検討したが、山梨・長野のダイナミックな地形や喧騒を離れた静けさを思い、今回は大菩薩嶺へ歩みを進めた。
大菩薩嶺は標高2056m。標高は低いが百名山でもある。昭和30年代は夜行列車で行き登ったらしい。塩山周辺の飲食店ではそんな話を聞くことができる。丸川峠をはじめとして、いくつかのルートを楽しめるのだが、日没が早くなっていることから概ね5時間のルートを選んだ。

上日川峠~福ちゃん荘 0:25
福ちゃん荘~大菩薩嶺 1:10
大菩薩嶺~大菩薩峠  0:45
大菩薩峠~福ちゃん荘 0:40
福ちゃん荘~上日川峠 0:20
上日川峠~千石茶屋 1:10
千石茶屋~登山口入口 0:30

2割程度の余裕を考え4時には下山することを考えると、これからの季節の日帰りは中々難しい。実際テント泊は4時が夕食の目安となる。これが自然の生活なのだろう。
またこの季節の山行は紅葉も楽しみの一つである。しかし2週間ぐらい早いだろうと期待はしていなかった。しかし意外と山は色づいており紅葉を楽しむことができた。

9時に塩山到着し、タクシーで上日川峠へ向かう。空気が澄んでいてとても気分が良い。いつも来て良かったと思う瞬間である。軽い登りをゆっくり20分進むと福ちゃん荘へ辿り着く。ここでの賑わいに少し驚きを覚える。

この理由は峠へ到着するあたりで納得が得られた。福ちゃん荘を後大菩薩峠、大菩薩嶺へと進む。流行りの山ガールに多数出会う。緩やかな登りが続き急登などなく峠へ到着する。峠からの見晴らしは素晴らしく、甲斐駒ケ岳、甲武士岳などが眺められる。午後から雨の予報もあり雲の動きがとても速い。しかし満足を得られる眺望だった。わずかだが富士山も顔を出した。

峠からは稜線を歩む。途中には、ここが山頂かと見間違える2000mのポイントを過ぎると大菩薩嶺は間もなくである。この山頂は林に囲まれ眺望が無い。軽食を取り下山へと向かった。


下山後いつものように温泉へ浸かり、ビールを片手に山行を終えた。次回11月が最後の秋山だろう。12月から5月まで半年間雪山となる。雪に向かって鍛えることが今の私の使命である。

大菩薩嶺は2000mを超えるにも関わらず初心者でも十分に苦しまずに歩める。また山小屋が多数あるので食事も楽しむことができる。こうしたことが人気の秘訣なのだと思う。

 

経営戦略  大滝精一他

On 2010年10月22日, in 書評, by admin

経営戦略―論理性・創造性・社会性の追求 (有斐閣アルマ)

経営戦略  大滝精一他

『組織論』でも紹介した有斐閣アルマシリーズである。書棚を見るとこのシリーズが20冊以上はありそうだ。有斐閣アルマシリーズの特徴を説明すると、幅広い基礎知識が習得できることがまずあげられる。次に著者が第カテゴリーの第一人者の一人であるということ。三番目に取り上げられる参考文献は知を深めることを可能にする。政治、経済、法律など正面から学ぶことを可能にする。いつも頼りにしているシリーズである。

本書『経営戦略』も期待を裏切らず基礎知識を改めさせてくれた。経営戦略もある程度読込んできたつもりであったが、振り返りを含めて本書を手にした。
 経営戦略は小規模ではなく、大規模組織においてはじめて効力を発揮するもの。また小規模な組織では戦略より戦術などいう話を聞くことがある。しかしもう少し別な捉え方ができないだろうか。経営戦略が無いということは環境を構築していないということなのである。変数である環境に左右され当事者能力に欠けるということにもなる。少し俯瞰して考察を重ねると、小規模企業の経営は『コントロール可能な構造』であると考える。
 たとえば経営戦略を立案・実行するうえで『環境変数』は重要な要素である。大規模化すればするほど実際には正確な環境変数を組込むことは難しい。家電メーカを例に取って見ても在庫調整の手法を変更するだけで数億単位の収益が変わるとのことである。これは実際に行った日本を代表する企業の方に直接お話を聞いた。またその場におられた他のメーカの方も認めていた。更に工場で数銭の単位で原価調整をしているにも関わらず、量販店では数万円の値引きを行っている。また為替により数億単位の利益が変動する。など環境変数が多数存在する。
 マイクロファームの経営戦略ではこうした『環境変数』を考慮する必要はあまりない。私は『リソースの見極め』が重要な課題であると考える。特に『経営者個人のリソース』である。“経営者個人”が核となるリソースであることは珍しくない。こうした企業は、組織がゴルフのプレイヤーとキャディの関係にある。プレイヤーが万能とは限らない。ドライバーは上手いがパターは勉強が必要ということも多い。パター専門の人材補強によりスコアーは上昇する。良い決算が迎えられるということである。

 経営者個人が、自己や企業のリソースを正確に判断しないことが成長を阻害しているのではないかと考える。精神論やモチベーションは当然のことながら目標達成において重要な要素である。しかし企業として他社より優れている点、劣っている点を謙虚に評価する必要がある。更に定量化するこが重要だ。すべてではないが、アバウトは思考を停止することがある。精神論も同様なときが多い。戦略を構築するにはまず自社のリソースを見極めるここがスタートラインなのである。
そのうえで『部分的無知』のもとで決定していることを認知しなければならない。将来は不確実性が支配している。不確実性で覆われているということは柔軟な創造性により多様な角度からの解釈し対応可能な状態を構築することが求められる。こうて述べると難しそうにも見えるが、構造パーツである変数が少ないということは戦略の有効性が高いことに結びつくのである。
長くなるので一度止めるが、戦略と構造、構造と変数、変数と組織については別な機会に論じたいと思う。

 

伝える力  池上 彰

On 2010年10月21日, in 書評, by admin

伝える力 (PHPビジネス新書)

伝える力  池上 彰

内容は簡易に読みやいが、奥行きは深い。本書は社会のさまざまな場面で求められる『伝える力』をどのように養い実行するかについて述べられた一冊である。自分の思いや考えを相手に伝えるのは難しい。またこれができれば解決できる問題も多いだろう。
本書を通じて思い知ったひとつが『どれだけ自分が単語を理解しているか』ということである。日銀の事例は的を射た説明である。日頃、電子辞書を片手に本や論文を読むのだが、筆者の意図がぼやけたときはこうしたことが起こりやすい。たとえば【有機体】を広辞苑では「①生活機能を持つように組織された体系②多くの部分が一つに組織されその部分が一定の目的の下に統一され部分と全体とが必然的関係を有するもの」の2つの意味で説明する。こうしたことばの解釈は常にしっかりとしておかなければならない。まず自分が360℃理解すること。そのうえで相手の目線で対話をすることである。

 昨日まで『創造性』について述べていたが、創造性を含んだ単語を使う時の留意点が記されているので取り上げて見る。

『便利な言葉を使っていると、使う人が思考停止になってしまう恐れがあることを知っておきましょう。
「~的」「~性」という言葉の多く、あるいはいくつかはこうした性格を持っています。「創造性」「必要性」「生産性」「機能的」「絶対的」「政治的」など、日常よく使う言葉も、もう一歩踏み込んで考えてみるといったい何を意味しているのか、曖昧な場合が少なくありません』

 良く使う言葉が多数含まれている。上手く表現できないからこうした言葉使うことで思考停止をごまかしているように思える。相互が形容詞で話している会話を良く耳にするがそれとあまり変わりはないのだろう。本書では「カタカナ」表記もこれに準じていると述べている。確かに意図が伝わりやすいと感じないこともないが、その場合も一語一意を把握しなければならない。

自らの理解が曖昧であれば、相手に伝わるわけはない。私がそもそもブログを書き始めた第一の意図は【国語力のUP】であった。原稿用紙4枚を基準に自らの意見をまとめる。これを繰り返すことで人としての基礎力を身につけたいとの思いだったのである。情けないことに果実を得られていない。また論文執筆でご指導頂いた教授には【一文一義】を徹底して言われた。伝える力の一端に【国語力】があるのだと思う。ビジネス基礎力である、読取りと表現の力を今後も高めて行きたいと思う。
また【聞く力】が重要であることは言うまでもない。“対話が可能な知識”身につけ相手の意図を引きだす。また上手く伝えきれないことを【言葉を創る】ことで相互の理解を深める。また逆も真なりであろう。対話をすることで自らの考えを引きだして頂くことは良くある。こうしたことからもビジネス力に影響を持つ【伝える力】を身につける必要があると考える。

 

知的創造のヒント 外山 滋比古

On 2010年10月20日, in 書評, by admin

知的創造のヒント (ちくま学芸文庫)

知的創造のヒント 外山 滋比古

帯には『個性的なアイデアを生み出す思考習慣』とある。思考習慣というと常にポジティブでいようとか思い付いたらメモを素早くメモを取るなどということが思い付く。そもそもポジティブになどというのは自らがネガティブになりやすいことを認識しているということになるのか。考えを深めると難しそうである。またメモの大切さは著者も多く語っている。

創造性はビジネスに限らず、社会生活全般に取って重要であることに異論は少ないだろう。しかしイノベーションを可能にするような創造性を有する人材は少ない。そこで大きな枠からは飛び出せないが、興味を引かれる、利便性を向上させる、またはアクセスを増やすなどの創造性を保つことは誰にでも可能なことではないか。私はこうしたことを可能にするにが【編集力】と考えていた。市場化されている形式知を集め自らの文脈に落とし新たなモノ・新しいコトへ結びつけるという考え方である。編集=孵化機能=集合知である。著者はこうした私の【創造】の捉え方を否定し、【酒造り】のメタファーで論じている。

『アイデアはいわば化学の分子に相当する。ものは分子からなっているが、単独の分子ではない。個々の着想や思考が有機的に結び合って、人を酔わす力を持ったとき独創となる。酒が生まれるのである。カクテルのうように酒を材料にして酒を作るのは加工であって創造ではない。酒でないものに反応をおこさせてアルコールを醸成したときはじめて酒を造ったということができる。創造とはこの意味の醸造でなくてはならない』

真なる【創造】は著者が論じる通りなのである。またカクテルばかり造っていたら、酒を創ることはできないだろう。執念が創造性を生むことすらあるだろう。しかしビジネスではここが難しい判断となる。正解などない。サントリーやエーザイの研究室の話を聞いたが成功はしているものの経営的には【期限】を切られているのである。リソースが十分ではないマイクロファームの文脈に落とすと、基礎研究を含む開発的創造は困難であろう。しかし【酒を創る】という考えを持つことで創造を可能とするのかも知れない。ここには運もあるだろう。しかし結局“執念”や“こだわり”だったりするのではないだろうか。

そのためには創造性を磨く環境が必要である。付きを与えてくれる、感じさてくれる人間関係が重要だと思う。不毛な会話は磨きをかけるどころか錆が着くかも知れない。異業種で自らが有していない知や感性を持っている人と対話を楽しむことがKFSではないかと思う。そのためには自らも切磋琢磨し、相手に求められる人物となる必要がある。自らを進化させ知を蓄積することが良い関係性を構築するのだろう。いわゆる準備ともいえる。

創造性と問題意識、問題意識の欠如とルーチンワーク。この4つを比較すると昨今の就職問題に結びつかないか。就職が困難な人物はどのような者か、履歴や経歴はどうか。ここを改善することが大切なのではないだろうか。企業は成長するためには【人】が必要なのである。【人】がイノベーションを可能にするのである。 

 

創造性とは何か  川喜多二郎

On 2010年10月19日, in 書評, by admin

創造性とは何か(祥伝社新書213)

創造性とは何か   川喜多二郎

KJ法で著名な著者の価値ある一冊。創造を広辞苑で引くと『①新たに造ること。②神が宇宙を作ること』と記されている。英語ではCreationとなる。今後社会で求められるのは創造性を有する人であると思う。その創造性を根本から考察したのが本書である。

始めに著者の【創造性】の定義を紹介する。『創造性とは何かというと、現状を打破し、つねに新しい状態に変えていくことで、その最も代表的な例は新陳代謝であろう。外からつねに新しいものを取り込んで同化し体を作り変えていかないと、体の保守すら維持できないというのが、それである』ようするに問題解決能力ということになる。

著者のいう【新陳代謝】が実際には難しいのである。組織学習論でいうダブルループが困難であるのもここにあるが【人は保守的】なのである。保守と創造のバランス感覚を保つことは想像以上に難しい。年齢差もあるのだが20代も後半になるとこうした傾向が生まれる。難しい理由は【過去を捨てる】または【パラダイムの転換】にあると思う。粘着的進化は創造性を有しているとは考えづらい。経済学者の中谷巌教授が『資本主義は何故自壊したのか』を一昨年出版された。これは著者のそれまでの考え方を否定するものである。よって帯には懺悔をいう文字が記されていた。著者はこの考察を深めるに10年要したとのことである。60歳になろうかというときから新たに創造し論理を構築する。これこそ脳の新陳代謝であり創造ではないか。こうした新陳代謝機能がどうも20代から薄れているように感じるのである。創造性が欠如すればイノベーションなど起こるはずもない。
創造性を有することが発展のKFSであることは間違いない。『ゆとり教育』なるものはその一環であったはずなのであるが。

創造性が社会に必要であることにあまり異論はないと思う。現状を打破またはパラダイムを変えることは『破壊』に近いとも感じられ破壊も創造性の一環ではないかと考えることも可能ではないか。著者は創造性と『破壊』を次にように論じている。

『保守とも創造とも結びつかない方向に向かったのが破壊で、破壊には全く循環がないということである。つまり創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えないということである』更に西田哲学から『これが絶対矛盾的自己同一である。本来、保守と創造は絶対矛盾的であるが、同時に偉大な創造にあっても大きな循環で『自己同一』を果たすのである。したがって、偉大な創造と破壊は見分けがつかなければならない』

破壊は循環しないことを哲学的に論じている。考察を進めれば“創造的破壊”創造を否定する保守的な慣行を『破壊』することである。【保守】→【破壊】→【混沌】→【創造】→【保守】という循環の一環と考える。昨今の社会の文脈に置換えると自らは【保守】でありながら社会には【創造的破壊】を求めているようにも感じるのである。国内ではクリエイティブクラスを感じることができない昨今である。

 

ダメな議論   飯田泰之

On 2010年10月18日, in 書評, by admin


ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)

議論は楽しく成果が得られる対話が数多い反面、不毛だったなあと思わせる時もある。不毛なミーティングは時間の浪費であり、会食は残念な時間を共有した気持ちとなる。成長を可能とし価値ある時間を共有する為にはどうしたら良いか。自らがどう変わることで価値ある時間を過ごすことを可能にするのであろうか。そんな思いから本書を手にした。

著者は経済学者である。経済学を視点に誤った議論を、論理的に見抜くノウハウを提供しているのである。基本的に本書における議論は対話でなく、論考などの議論であることを示しておきたい。少ないながらも対話について示しているのが『コールドリーディング』である。コールドリーディングは説得術のひとつの手法である。興味深いので本文を引用して見る。

基本ステップ 
①  ラポール(肌があうような感覚)を深める ② ストックスピール(誰にでも適応する対話)で信頼を深める ③ 悩みのカテゴリーを探る ④ 悩みの核心に迫る ⑤ 未来の出来事を予言する 
怪しげなこの対話手法は宗教家や占い師の手法なのである。しかし“対話の活性化”や“相手を知る”ときに十分に活用可能である。信頼関係を築かなければならない組織やチームのリーダーには大いに参考になる。

実際に議論が深まらない時を思い出しながら読み進んだ。議論のうえで意味が無いと感じるのは、あいまいな抽象化である。原因のひとつは定義やエビデンスがあいまいなことにある。こうした形式知の共有は議論の可否を左右する。本書は論考でのチェックポイントとして次の5点をあげているのだが、対話においても同様であろう。

【チェックポイント 1】 定義の誤解・失敗 
【チェックポイント 2】 無内容または反証不可能な言説
【チェックポイント 3】 難解な理論の不安定な結論
【チェックポイント 4】 単純なデータ観察で否定
【チェックポイント 5】 比喩と例話に支えられた主張

論考であれば読むに値しない、または採用しないということになる。対話の時が困りものなのだ。自己の文脈に置換えているが主観多く普遍的でない・形式知の解釈が違うなど良くあることである。自らに置き換えても多々あるだろう。議論すべき相手を選ぶということが大切なのだろう。議論の積重ねは、暗黙知を形式知に変換するトレーニングとなる。また形式知化することで知をより深めることになるのだ。

実務的に捉えれば、組織内の議論が活性化するbaの形成は成員が成長する機会と言える。こうしたbaの形成を深め有意義な議論が可能となれば組織は成長すると考察する。
自らを省みる意味でも価値ある一冊だった。