週刊 東洋経済 2011/4/2

On 2011年3月31日, in 政治・経済, 雑感, by admin

見出しは「国債暴落を回避せよ」とある。センセーショナルな見出しではある。しかしこの問題から逃げることはできない。国債の弁済義務は国会議員でなく我々日本人であるのだから。

010年の政府債務残高は908兆円による。11年度赤字国債が40兆とすると約950兆となる。実際に国債を完済した国家など近年ではまずない。しかしここまで膨れあげると明らかな債務超過である。今回の震災によりGDPが更に下がり税収も減る。当然の事ながら相当の復興費用も要するのでバランスシートは更に悪化する。本誌によるとXデーは2014年だと予測されている。これはあくまで間接的に購入している家計純金融資産との関係からの推測である。直接購入している金融機関の与信度を考慮すると早まることが考えられる。

この処方箋を政治家が描けるのだろうか。処方箋は相当苦い薬となる。その薬の効用を債務者である国民に説明することができるのだろうか。 韓国は通貨危機でIMFが関与した国家である。危機を乗り越えるために家庭から金が集められていた(寄付かもしれない)。
こうしたことは徴兵制がある韓国だから成り立つのかも知れない。しかしそれでもサムスンの相当の配当はいまだ米国に流れている。当然のことながら徴兵制も是非を問うものではない。自由ななかで生きてきた我々が“一丸となる・思いを一つにする”こうしたことがどこまで可能かということだ。

いま我々は“東北復興”へ一丸とならなければならない。これが試金石となるのではないか。一橋大学経済研究所准教授 小黒氏は「財政破綻確立は震災により倍増した」と述べている。国という入れ物は相当の傷を負っている。これまで傷の痛みを国債発行により緩和させてきた。しかし歳費も政党助成金も何一つ減額することができない。民間は乾いた雑巾を絞る。このバランス感覚の無さで処方箋など書けるはずはない。実際には、学者や官僚から上がってきたものを判断することができないということだ。

自分なりの考えを創っていきたいと思う。

 

彼らが日本を滅ぼす

本書は2011年1月初版である。東日本大震災の2ヶ月以上前の書であるが民主党政権の危機管理に対する危うさが記されている。しかし自民党内閣にゆり戻されることで安定するなどという結論ではない。
本書が懸念する事柄として“尖閣問題”があげられる。近海ではこの非常時においても中国艦隊が見受けられる。またロシアも同様の行為をしている。こうした背景について本書は次のように述べている。

【2010年5月、鳩山由紀夫首相(当時)は、全国知事会議の席上で石原慎太郎都知事から追求され、「領有権については中国と協議」「五条の適用については米に聞いてみる」と重大失言をし、中国側に間違ったメッセージを送っていた】

領有権を協議するなど論外である。先般も民主党(現在は離党)衆議院議員が竹島領有権を主張するのは誤りであると署名をしてきている。さらに当時仙石官房長官は自衛隊を“暴力装置”と言い放ち参議院で不信任が決議されている。こうした問題に対してクリントン国務長官から“日米安保条約第五条は尖閣問題にも適用される”と確約を得る
功績を果たした外務大臣は数万円の献金問題で辞任に追い込まれている。更には、尖閣問題で“暴力装置”発言をした仙石代表代行が官房副長官として内閣入をした。暴力装置呼ばわりをしたリーダーが入る内閣で働くことはさぞかしつらいと思う。国内では船頭多くしてどうするという野党側の声はまったく聞こえないらしい。

本書では“滅ぼす彼ら”とされた数人に対し強烈なメッセージが送られている。政治システムの問題かも知れない。しかしシステムを変えることは極めて難しく時間を要する。現行の中でこの危機を乗り越えるしか無い。またひとつの言霊が人を救うことも多い。自らの政党より明日の日本を考えて欲しいと思う。

 

雑感  宮台真司メルマガ  

On 2011年3月29日, in 雑感, by admin

東日本大震災の政府対応が様々なところで批判されている。2週間が経過しているが原発の問題を含め対応は短期的な着地点すら見えてこない。神奈川県住み東京で勤務する自分はいくら被災者の事を思っても布団に中で休み11日と何ら変わらない生活をしている。
出来ることは長短両面から考察し今の自分にできることを全力で遂行する以外にないのだと思う。

 いま置かれている状況を捉えるには政府発表とTVなどのメディアまたはSNSやメルマガなどとなる。高所からの発表はあまり信頼を置くことができない。TVなどのメディアは政府系の学者が多少の批判を加え論じているに過ぎないことが多い。コメンテーターなどはその最たる者である。政府批判をしていたら政権政党から立候補などできようはずはない。3月17日厚生労働省からの知事などへの通達を見ると影響を軽微にするため食品への放射能汚染を暫定的に認めている。一時的数値に犯されたものを食して良いはずがない。
そうしたことからメルマガなどの情報をもとに考察を深めることとした。

まず佐藤元県知事との電話対談が掲載されているので抜粋する

「02年8月29日に保安院が「東京電力は福島第1・第2原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたって点検記録をごまかしてきた」と認めました。ところが、保安院は00年、すでに東電社員、もしくは協力会社のみなさんから、この問題に対しての内部告発を受けていたのです。それなのに2年間放置して、しかもそれを東電側に知らせていた。…私が主張しているのは、原発を推進する経産省の中に、原発をチェックする保安院があるのはどう考えてもおかしいということ。保安院は経産省の役人の下で動いている方々ですから、原発事故が起こる土壌は整っていたといえます。」

これだけの事故が人災であるということを元知事が語っているのである。そもそも管理体制がまったくできていなかったということに結びつく。こうした問題が民主と自民の対立構造で解決の可能性が見いだせるのかというとまったくそうではない。そのことについて宮台真司は次のように語っている

「電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)を支持母体とする民主党は、旧民社党系や旧同盟系の人間を歴代の経産大臣に据えている。つまり、原子力政策が変わらないように、旧同盟系労組、あるいはそれに支えられた政治連中の動きが、経産省の行政官僚たちをバックアップしてしまっているわけです。そして、電力会社の巨大スポンサーシップを背景に、この問題に触れることはメディアでもタブー視されてしまっている」こうした構造は自民党よりずさんな状況だと思う。

主権がどこに存在するのか甚だ疑問である。すでに民主党政権は当事者能力を失っていると思う。ここで体制が崩壊する可能性がある。まずは一次的処理を速やかに行う。そのうえで今おかれている日本の立場を俯瞰して考察し新たな制度が構築されることが望ましいのではないか。それが道州的なものかまた2代政党性なのかそれとも他の形なのかは検討がつかない。しかしこうした状況から我々は鋭角なVラインを描かなければならない。愚策は糾弾されなければならないのではないか。

 

21世紀の成功心理学  青木仁志

On 2011年3月28日, in 書評, by admin

21世紀の成功心理学 改訂版―自己実現ガイダンスの決定版

昨日著者が経営するアチーブメント㈱にて東北大震災チャリティ講演があった。著者の講演が第2部で行われた。そんなことから久しぶりに本書を紐解いた次第である。
本書は個人が如何に“目的を定め”目的に向かって目標を定め実践するかについて書かれた一冊だ。変わらない目的を定めること、目的に向かって実践することは極めて難しい。いまだその端緒にも付けていない。生涯に渡って考え、実践する他に方法はないのだろうと思っている。しかし目的や目標のブレがあってはならない。何か物事を達成するには短期間では成し遂げられない。1年や2年で得たことなど競争力とはならない。私が尊敬する方々は10年以上の歳月を要しているように思う。“ぶれない目的”を掴む方法なども本書には記載されている。試行錯誤しながら目的を考えつくには数ヶ月を要するような気がしてならない。

自己理念とは自らが守っている考え方や行動基準である。広くは価値観とも整合する。また倫理観も深い繋がりを持つ。自分が“どういう人間になりたいか”を突き詰めるとこうしたことを考えざるを得ない。
少し経営者の文脈で考察をしてみる。会社の規模や個人資産を追わない経営者は少ない。また“挑戦と安定”を対立軸にはしたくない。しかし挑戦や安定も“どんな企業にしたいのか”がイメージされていなければ、追われる経営になりやすい。自らの理念とビジョン形成がなされていなければ魂が浮遊する。ベクトルが見えず社員も浮遊するのである。こうした企業の結果は言うまでもない。中小企業組織論の肝はこのあたりではないか。

再び本書に戻りたい。【現在の行動と自分の願望が一致しているか】本書はこれを実践させる書とも言える。何度も何度も繰り返し一致させることこれが願望実現に近づく一歩であると私は思う。

 

コトラーのマーケティング3.0 ソーシャル・メディア時代の新法則

ネーミングは出版社センスを疑う。しかし本としての価値は十分である。CRMを始めとしたone to one マーケティングの時代は過ぎ去ったと考えて良い。商品セールスの時代から消費者が参加型によるソリューション・マーケティングの時代になったと考える。消費者が商品を購入する場はwebや大手流通が軸となっている。流通の販売員はすでに派遣社員の働く場へと変化している。
 こうしたなかで我々は“商品”を考え顧客に提供しなければならない。この軸となるのは“コンセプト”であることは間違いない。セレンディピティである。またクリエイティブ・クラスの時代ともいえる。こうしたことを本書は次のように解説している。

【マーケティング.2.0は今日の情報化時代、すなわち情報技術がコア・テクノロジーになった時代に登場した。….消費者の生活は豊になっている、彼らは幅広い機能特性や選択肢の中から選ぶことができる。今日のマーケターは消費者のマインドとハートをつかもうとする。この消費者中心のアプローチは、残念ながら消費者のマーケティング活動の受動的なターゲットであるという見方を暗黙のうちに前提としている、これはマーケティング2.0、すなわち消費者志向の段階の見方である。….マーケティング3.0では、マーケターは人々を単に消費者とみなすのでなくマインドとハートと精神を持つ全人的存在ととらえて彼らに働きかける。….自分たちの不安に対するソリューション(解決策)を求めるようになっている。混乱に満ちた世界において自分たちの一番深いところにあたる欲求、社会的、経済的、環境的公正さに対する欲求に、ミッションやビジョンや価値で対応しようとして探している。…マーケティング3.0では感情に訴えるマーケティングを精神に訴えるマーケティングで補うのである。】

 2010/10が本書初版である。構想へ遡れば2008~の変化であろう。マーケティング3.0をPPCやSEOという販促手段を補うと私は捉えている。横連携のSNSでハズ・マーケティングがKFSになるのではないだろうか。Face to face の繋がりが見直されるかもしれない。絆の作り方がポイントになるのかもしれない。

 自分なりの考え方を研究したいと思う。やはりマーケティングはおもしろい。
 追ってマイクロビジネスの文脈に落として本書詳細を解説したいと考えている。

 

知がめぐり、人がつながる場のデザイン―働く大人が学び続ける”ラーニングバー”というしくみ

マーケティング≒webに近づきつつある。フェイスブックを始めとしたSNSが絆を深めるうえで欠かせなくなりつつある。こうしたことが強まるほど直接的な【対話】を軸とした【場】が重要になるのではないかと考える。経営者の文脈で考察するに経営者は進化し続けなければならない。進化の方法は書籍やメディアなどさまざまな場がある。そこに“対話場”があることにより急角度に考察が深まるときがある。こうした“場”の形成が弊社の会員に皆様方と形成できないかと考えていた。そんなとき本書と出会ったのである。

ラーニングバーとは東京大学准教授である著者が企画している社会人を対象とした【学びの場】である。人があつまり商品やサービスを生み出す、学びを吟味するそんな場だと紹介されている。一般のセミナーは聞いて帰るというのが一般的である。ラーニングバーは【聞く → 考える → 対話をする → 気づく】プロセスを踏む。効果の高さは経験者として明らかである。残念なことにこうした場はあまり見かけないのである。プランナーやファシリテーターの技術が重要なことはいうまでもない。しかし背景にあるコンセプトには気付かなかった。少し長いがご紹介したい。

「茶道のもてなしでは、主人は道具などを準備し、空間を演出し客を待ちます。これを【用意】と言います。しかしおもてなしの本質は主人の側のみにあるのではなく、主人がと客がともに、すなわち【主客一体】となって互いの役割を果たし、茶会を成り立たせること、すなわち協同で場の構成にかかわる【一座建立】にあるのです。これを用意して【率意】と言います。同じようにラはラーニングバーでは主催者側はテーマの設定や講師との打合せも含め【用意】を怠りなくして参加者を待ちます。そしてバーがオープンしたあとは、参加者にも【率意】を発揮してもらうことが積極的に求められます。【主客一体】となって、ともに良い学びの場を作っていこうと呼びかけるのです」

経営は人・モノ・金・情報が重要である。このなかで最も大切なのは“人”でありと思う。資金がいくらあっても活用するリソースがなければ時間の問題で無くなっていく。またどんな価値がある情報も活用可能なリソースがなければ活かすことは難しい。モノを販売することも同様だ。中小企業において主たるリソース所有者は経営者だと思う。“人”といのは経営者に結びつくと思う。
経営者が進化発展する機会が“ラーニングバー”なのだろう。企画展開してく予定である。

 

インテリジェンス読書術 年3000冊読破する私の方法 (講談社プラスアルファ新書)

年間3000冊は凄い。コンサルタント、ビジネススクール講師やプロデューサーとして活躍をしながらであるのだから尚更である。自分を振り返ると年間300冊以上は本を購入する。雑誌などを含めても400冊オーバー。実際手にするが35というところだと思う。実際読書に取られる時間はそうとうなものである。山行や自転車ではない日は一日中読んでいる。尖閣諸島の問題意向は日経と産経を読む。立派な活字中毒と思ってはいるが著者の足元にも及ばない。正月休みなど一歩家から出ずに楽しんだことがある。

読書は「創造的な知的生産の場」であり「発想の道具」だと著者は述べる。まさに的を射た答えだ。知的生産に結びつかない本は読むに値しない。創造を掻き立てる読書の時間は至福のひと時である。

本書は読書の価値や手法について著者の考え方を述べた一冊である。価値とは知的生産力の向上にある。日常の中から仮説を導きだす力であり、断片と断片を整合する考察力である。当然のことながら“対話力”も向上する。会議で発言ができない人の多くは自らの考えが浮かび上がらない人とも言える。結果として指示待ち型となる。そうなるとITC社会での自己成長は困難になると考えられる。また大人になると誰も注意をしてくれない。ここに気づきを与えるのも本のように思う。

 

東北地方太平洋沖地震

On 2011年3月22日, in 雑感, by admin

東北地方太平洋沖地震において被災された方々に心からお見舞い申し上げます。また本地震によりビジネスや生活へ数多くの方々が影響を受けられたことと思います。心中をお察し申し上げます。

我々はいま2つの視点で考え、動かなければならないと思います。まず東北地方の方々に何ができるかです。義援金やボランテイアなどいくつかの方法があるかと思います。ユニセフ赤十字を通じてカードから募金をする方法があります。容易に行うことができるので是非行っては如何でしょうか。
現在ボランティアもさまざま方法があります。自らも行いたいと考えております。

友人に現地へ赴く医療関係者がおります。こうした人々に心から感謝を申し上げます。医師や看護師は被災地以外の地域でも不足している。緊急車も同様である。我々はこうした業務に携わる人の厳しさを忖度しなければならない。こうしたことも立派な協力だと思う。

10日が過ぎ、この地震の影響が今後の我々の仕事や生活にどう影響するかを考えるときがきたと思います。今週発売の経済誌では影響の予測が掲載され始めました。東北地方における自動車工場の閉鎖はその他地域の工場へと影響し、そこで働く派遣社員やアルバイトの処遇は今後大きな問題になると考えられます。すでに都内の飲食店は前月比売上90%ダウンも珍しいことではありません。歓送迎会、卒業など繁忙期であることから存続問題となっているとろもあるようです。こうした身近な被災に対しても何ができるかを考える必要を感じております。自らのビジネスをじっくりと考察しなければならないと思います。

政治の動きも与野党に軽薄な議員が見られる。またメディアもあまり信頼感することができない。大本営発表だけでは思考停止と成りかねない。その現れがセ・リーグの開催日程だろう。自らの言い訳が未だ通用すると思っているようだ。Webを通じた情報や各国大使館の発表なども併せて確認をする必要があるのではないか。

短期と長期の2点を見つめ考え行動して行きたい。

 

本稿を論じる前に東日本大震災における被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。厳しい日が続きます。一日も早い復興を心より願っております。

本書は3月12日、地震翌日購入した。国家債務の問題は今後の発展に暗い影を落としている。この問題の解決または解決への展望が見えない限り国家の発展はないと考えている。この震災で莫大な復興資金が必要になるのは明らかである。阪神大震災における補正予算は3.4兆円である。広域性、津波、原発などを掛けあわせれば数倍で収まるとはとても考えづらい。仮に10倍の34兆が必要となった場合果たして国家はその使命を果たせるのだろうか。果たすとは償還を含めてのことである。

当然のことながら即刻補正を組む必要がある。本予算が通る以前に補正とは如何なものかと思うが関連法案が通過しない以上補正となり国債増発となる。しかしこの後に及んで子ども手当、高校無償化などと併せて野党に打診をしたとのことである。マニュフェストの順守。政党や一部の国民に取っては重要なことなのだろう。しかし国家としてのプライオリティとは何か。安心と安全とは何か。その考察の深さは見えない。

いまの民主党から“言霊”は響いてこない。竹島問題の土肥氏は離党をした。当然のことである。現場では自衛隊が最も頼りになる存在の一つであるに間違いない。“暴力装置”と発言した前官房長官はどのようにこの光景を見ているのだろう。被災者を救うため世界の国々が協力をしてくれている。その一つにアメリカ軍があげられる。前首相数々の発言。無責任とさえ感じてならない。佐々淳行氏は【震災危機を管理危機にするな】(2011/03/16 産経)と論じる。オーストラリアのメディアは「日本の報道は信用できるのか」(2011/03/16日経)と報じた。これらは言霊の不在、ペーパーの読上げから起きていることではないのか。

言霊の欠如と無責任。自己の文脈に置き換えれば会社存亡の危機となる。国家に主権者は国民であることは間違いではない。国家債務は主権者の債務なのだ。こうした視点を本書は教示してくれる。900兆を超える債務償還はいまの状況ではとても困難だろう。国内に預貯金が国債投資に回る。金融は商品開発を安全な投資先がある。よって企業に商品提案はない。この循環は金融能力の低下を及ぼす。エリートが銀行に就職しないということを聞いた。その理由の一旦かも知れない。

次回は本書に入って行きたい。

 

ファンサイト・マーケティング

著者は「口コミマーケティング」株式会社ハー・ストーリィの代表者。10年程前品川のオフィスにおじゃましたことがある。当時コンシュマー(家庭)を対象としたビジネスをしており著者の記事を見て口コミマーケティングの相談に伺った。コストの関係で依頼には結びつかなかったのだが、リアルの現場感覚を持つ著者の視点はwebにおいて優位なはずだ。

本書は2005年初版でありFace Bookなどソーシャルマーケティング生まれる以前の執筆である。内容は自らが手がけたファンサイトの成功事例を解説しているものである。双方向マーケティングの実践の解説となる。6年を経過する著書であるがそこに古さは感じさせない。これは“道具”であるwebは進化するが“ヒト”のうねりはダイナミズムにゆったりと動くということなのかも知れない。
本書でも“キュレーションの視点”の重要性が随所に散りばめられている。ビオトープと繋がり。これがwebマーケティングのキーワードになりそうである。

繋がりは何のために求められるのか。我々はどのような“繋がり”や“絆”創ることが可能なのだろうか。企業である以上そこには収益性が求められる。その答えの端緒が本書にあったので紹介したい。

「課題を解決するコミュニティであることだと考えています。ビジネスとは何かの課題を解決する商品を出していくということです。コミュニティも同じで、課題のないところにコミュニティは起こらないのです。「ベネッセウィメンズパーク」も明るい主婦たちの情報交換というイメージですが、その情報の多くが悩みとか不安などの「課題」であると言えるでしょう。そうしたものを会員同士で解決していくという意味では「女性のために課題解決口コミのコミュニティサイト」とも言えます」

課題のヒントや答えが得られる絆は我々経営者に取っては極めて重要である。絆の深さやコミュニティの大きさによっては価値ある存在になるのではないだろうか。実践にはいましばらくの時間を要する。もう少し研究を重ね実践へと移行したい。