働き方  稲森和夫

On 2011年1月31日, in life Style, 書評, by admin

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

 京セラ名誉会長、JAL会長である著者が【働く】ということについて哲学を示した一冊。私自身、著者の言葉に幾度と無く助けられた。いまでも指針としている。
 “誰にも負けない努力”ということを著者はことあるごとに述べる。過去の自分と比較して頑張っているか否かで良いはずがない。尊敬するような人物の行動と比較したとき努力が勝るから否かが目安なのではないだろうか。こうした思いを現実化させたとき、納得のうえで思いを現実化させられるのではないか。
 
著者は【願望を潜在意識に浸透させる】ことが思いを実現させるには重要であると述べている。

「漠然と思うのではなく、「何がなんでもこうありたい」「必ずこうでなくてはならない」といった、強い思いに裏打ちされた願望、夢でなければならないのです。寝食を忘れるほどに強く思い続け、一日中、そのことばかりをひたすら繰り返し考え続けていくと、その思いは次第に「潜在意識」にまで浸透していきます。「潜在意識」とは自覚されないまま、その人の奥深く潜んでいるような意識のことです。普段は表に出てきませんが、思いもかけないとき、またいざというときに現れて、計り知れない力を発揮します」

 自己啓発にはよくある言葉である。誰でも“なりたい自分”になりたい。私はそこに“公共善”が存在することが重要だと思っている。自己の欲が成り立つために周囲を不幸にするのならその思いは成し遂げられてはならないからである。その判断基準は普遍化が可能でなければならない。唯我独尊的は論外であろう。公共善は倫理。あるべき姿がここに帰結していること。これがすべての始まりではないだろうか。
次にいくつかのステップが求められる。例えば職業としたいときの資格試験は合格することが目的ではない。合格したうえで何を成し遂げるかが目的であるはずだ。起業もどうようである。そのステップを明確にプラニングし潜在意識に落とし込まなければならないのである。“思い”をロジカルシンキングに変換する。そのうえで潜在意識にするこませることが大切ではないだろうかと私は考える。

 


成功者の絶対法則 セレンディピティ

広辞苑はセレンディピティを「偶然を捉えて幸運に変える力」としている。
本書はドラッカーの言葉を引用しセレンディピティを次のように説明をする。

 【ドラッカーの言葉にベンチャーが成功する条件の一つとして「考えてもいなかった市場で、考えてもいなかった客が、考えてもいなかった製品やサービスを、考えてもいなかった目的のために買ってくれること」と述べている。何かなにも考えずに事業を始めたようにも見えるがもちろんそうではない。そもそも自らの“想定範囲などたかが知れている。知らない範囲のほうが大きいことを認識し、想定外の所で起こりつつある機会に敏感になれ”ということである】これがセレンディピティを言い当てていると本書では述べている。しかしこの一節には枕詞があり「日頃から積み重ねている努力があり勘が鋭くなっている」という必要条件がある。

こんなことを前提としつつ“混沌から真を見出す力”という意味合いで【セレンディピティ】を捉えている。実際のビジネスはマーケットからサービスや商品を想像し生み出すかその逆かどちらかである。業務が拡大すれば付随する業務が発生するがストレートにはこの2極で考えて良い。セレンディピティは“小さな変化を見逃さない”ということが重要となる。その前提には“日頃の情報収集と分析”が欠かせないことはいうまでもない。

 こうしことが今後のビジネスに有効性が高いことはドラッカーだけでなく現場ベースでも耳にする。その理由は【ロジカルシンキングの限界】という事になるのかも知れない。当然のことながらロジカルシンキングを否定するものではない。まして情報収集と分析などの一端である。全体に枠組みを俯瞰して捉えることが尚更求められるということである。本書ではノーベル賞の事例などで説明をしているが現場とはあまりにも乖離がある。実践ベースでは“編集能力”とも言えるのではないか。“融合によりイノベーションを可能にする”そんなイメージだ。融合させる“何か”を見出す力が大切であると私は思っている。
また生み出したからと言って安泰ということはない。類似商品やサービスがすぐにでる。国内出生率のように1.37のような低い数値では生き残れるはずもない。社内に産婆機能が求められるのである。本来個人が有するのか組織として持てるものなのか。しかしセレンディピティが多発する組織文化を構築することは、企業に取って重要なキーワードであることは間違いない。たとえば京セラの経営哲学はまさにセレンディピティを生み出すものと言える。本書を読み終えたのち【働き方 稲森和夫】を拝読するとしっかりとそれが裏付けられた。本書については明日にでも書きたいと思う。
こうした組織文化を可能とする論理を今後も研究課題として考えて行きたい。

 

残念な人の思考法  山崎 将志

On 2011年1月25日, in 書評, by admin

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

新書コーナーでよく平積みされている一冊である。17版とはずいぶん売れたものだ。来週著者の座談会に出席するので拝読させて頂いた。“仕事が出来る人の視点”と“行動”について具体的に述べた一冊である。

ここからは自分のことを棚にあげて書かなければならない。過日、パネルディスカッションのモデラーを行った。モデラーの一人が環境を考えず良く話す。話の脱線はしばしば、相手が何を求めているかを自己の文脈だけで話すのである。終了後にリスナーと少し話をしたのだが私の懸念していたことを尋ねられた。まさに本書における“残念人の思考法”なのだ。

「高級ホテル、接待向けのレストラン、ブランドショップなどの従業員は、自らがそのサービスを利用する機会がマクロドナルドほど多くはない。一泊5万円のホテルに泊まるゲストが何を求めているのか、接待の席では本当は何がどのように行われているのか、実体験としてわからない」と著者は述べている。

この問題解決は難しい。しかしリッツカールトンのような成功事例もあり解決は十分に可能なのだ。“自己の枠組み”と“周囲の考え方の枠組み”や“価値観”に違いがあることを認識する。認識から推測する。そのうえで考え行動する、こんなところがスタートなのかと思う。

こんなケースにも当てはまる。「飲食業で働いているかたは飲食業を知らない」ということだ。他店をリサーチしたくとも可能な日はライバル店も休日だからだ。それでも時間を作って色々な店へ行っている店舗は顧客数も多い。思考の材料が増えるのだか当然と言えば当然である。こうした行動を取らない人は“残念な人の思考法”と言える。

残念な思考法の人は、どうしたら残念ではなくなるのか。まず“自分もひょっとした残念な思考グループ?”という疑いを自分に持たせることから始める必要がある。その上で改良改善を習慣化させなければならない。実際ずいぶんとチャレンジをしたのだが指導力不足から結果を出せていない。問題なのは本人が習得したと思っていることなのだ。これは視点の変化ができていないことが要因である。そのためには知識を積み上げ、感覚を研ぎ澄ます必要がある。

まずは経営者である自分自身の成長が最も重要ということになる。

 

核心  (1/10 日経) レビュー

On 2011年1月24日, in 政治・経済, by admin

 著者は日経・論説委員長 平田育夫氏である。著者は「30年後の日本人を守ろう」と次のような提言をしている。第一に「新興国と同じ土俵で戦わない」第二に「強い分野が存分に力を出せるよう経済の非効率な部分を改める」第三に「経済の命取りになりかねない財政問題に早く正常化のメドをつける」。どれもごく当たりまえ
のような提言である。しかしこうした核心、琴線にふれた提言は数少ない。

「新興国と同じ土俵で戦わない」これは産業構造の転換を指す。いま現在、輸出製造業GDP寄与率は10%に過ぎない。日本総研・三浦氏は「先に経済成長を遂げた新興国から発展が遅れた国に仕事が流れる傾向が強まっている」(2011 日経)と述べている。日本から東アジアや東アジアから南アフリカへという流れが加速しているということだ。その加速の結果今回のチュニジアの内覧へと結びついている。
 こうした考えに基づき20年以上前にアクションを起こすべきだったのだろう。それが起きなかった要因に政治があることは間違いない。“過ぎたるは及ばざるが如し”この状況から我々は何をすべきか。これが第2、3の提言となる。

 “非効率な経済”とはサービス業を指すのだろう。しかしサービス業はあまりにも広い分類である。ここでいうサービスはアカデミックを含めた【知識産業】とその周辺サービスであると考える。英国エコノミスト前編集長 ビル・エモットは「研究開発分野、大学、職業訓練学校も国際競争力をつける必要がる」(日経 1/24)と述べている。これはクリエイティブ・クラスとなり広く通用する人間となることが求められると考える。

 日々メディア発表される政治動向を見て感じることは“あきらかな停滞”である。消費税が“打ち出の小槌”のように言われている。税は上げたが何ら解決されない可能性もある。政治は無力化し、経済は加速的にボーダレス化している。“そのひとつに新興国のインフレは受給バランスでない。金余り減少から起きた一次産品の値上がりである。よって利上げ効果が小さいという見方も出ている”政治ではないが中央銀行の力が落ちている現れでもある。
大田弘子前大臣が経済財政諮問会議を無くしたことを非常に懸念されていたことを思い出す。その重要性は明らかだった。民主党は戦略室と名称変更し深みを増すということを述べていた。しかしいまとなってはその存在すら危ぶまれる。た閉塞状況を20年以上にわたり見てきた。唯一変化が見られたのは小泉内閣だけであったように思う。“かんぽの宿問題”では“現状とそれだけ乖離がある資産未だ持ちつづけたこと”ではないか。毎期の赤字を放棄していたことである。その後どのような解決がなされたのだろうか。

政治と距離を持つ一般個人ができることは、政策や景気動向に左右されない文脈を有することなのだ。
 ボーダレス化が強まれば国力より個人力である。採用も出身国は問わないということが当たり前になるだろう。経済や企業経営に取り国家という概念が一層薄れていく可能性も否めない。SONYも採用方向をよりグローバル化した。こうしたことは自分なりに整理し行動方針を定めなければならない。もうニュートラルではいられない。

 

デフレの正体 後編

On 2011年1月21日, in 書評, 雑感, by admin

過日本書を通じて経済縮小の要因が「生産人工の減少」であることを述べた。問題はもうひとつある。政治への影響である。政治が生活に影響力する人ほど投票率は高くなる。年金受給者の方、近い年代の方ほど投票率は高くなる。そうでない人は生活に政治が強い影響を示さないことから投票率が下がる。政治家は苦痛を伴う10年先のシナリオを示すことはできない。実際“直接分配の民主”or“関節分配の自民”という構図になる。人口構造の問題は現在のGDPだけでなく民主主義も崩壊させると考えている。

本書教示の一節にこんな文章がある。

日本経済の現場にはもっと俗っぽい現実があります。
生産年齢人口=消費人口の減少 → 供給能力過剰 → 在庫積み上がり+価格競争激化 →在庫時価低下

店舗、WEBなど実感する機会は多い。ブルーレィ5万割れは目前である。しかし工場は「銭単位」で原価を下げ在庫を減らしている。裏を返せば就職率のダウンと賃金減少の要因である。まさに負のスパイラルだ。

こうして明らかになっている現状に対しなぜ解決シナリオを示せないのだろうか。批判的意見も多いがシナリオを示し実行したのは“小泉内閣”だけだったように思う。しいて言えば手法は違うが小渕内閣も示したように感じる。この場で政治について述べたいわけではない。しかしこれだけダイナミズムな問題は政治以外に方法はない。強いリーダーシップで“国民をその気にさせる”。まず安心と希望を持たせる。そのうえで一心不乱に行動する。こんなことが必要なのではないか。

消費税増税でソブリンリスクが回避できるかのうように語る評論家がいる。消費税が30%以上となれば可能かもしれない。そのトレードオフとして消費ダウンという減少がおきる。少し現実的ではないがWEBで交換やオークションが流行れば現行法では非課税である。さらにWEBで輸入する方法もある。グルーピングで輸入すれば相当安くなる。また低所得者は税還付という話もあるようだが ① 国民番号性 ② システム ③ モラルハザードなどの問題もあり非現実的である。

まずは“経済財政諮問会議”に相当するような組織必要である。そこには“国家の知恵袋”とも言えるシンクタンクの存在が重要である。シナリオを判断と決断する勇気をもつ数人の政治家以外は不要なのだ。声が大きく存在感を示すだけの政治家は過去の遺物ともいえる。

処方箋とも言えないが、企業であれば強い経営者とシンクタンクの存在は経営を好転させる可能性は高い。この枠組が改革の第一歩ではないだろうか

 

財務官僚の出世と人事 (文春新書)

観光者を増やすことも将来への軌跡となる。しかしそれ以上に歴史認識に変化をもたらすことが必要なのは言うまでもない。対談の中で著者は次のように述べている。

「…どの国であっても、戦争による親族の死を語る人に対しては言葉の返しようがなくても“その記憶イコール歴史であり、他の歴史感は間違いだ”となるとそれは違う。それは個人や集団の記憶であって歴史ではない。歴史とは相手側からどう見えるかも視野に入れ、厳密で客観的な学術作業に基づくべきです。政治的検知や感情をあらそうものではない。ヨーロッパでは、ドイツ、ポーランド、フランスといった戦火を交えた国のあいだで歴史教科書に関する対話が進んでいます。歴史教育をナショナリズムから解放してより平和的なものとして、人々の歴史理解を、より開かれたものにすることが目的です。歴史理解が閉じた記憶に負けてはならないのです。各国の自国中心的な記述を指摘し、客観的で公正な理解に達することが大切です。この点については、日中間でもすでに作業が始まっています」

異なる歴史見解の一致が困難であるなら、経済や政治に影響を及ぼさないレベルにする必要がある。共産党が不満の矛先を日本へ向けても“現在の日本はそんな国ではない”と捉えられるようにする必要がある。無謀なデモ行為や暴徒は思考停止状態なのだから予め停止させないようインプットする必要があるのではないか。その為には交換留学を含めた留学生受入、観光規制の緩和、草の根的な活発な交流などが必要ではないかと考えられる。まず日本ができることを一歩一歩やるべきである。

また本書から通じて“だから中国は成長する”と思わせる一面があった。

秋に家内と銀座を歩いているとやたら中国人の数が多い。その原因は三越新館オープンにあった。とにかく中国人が目立つ。食事をするために乗った丸ノ内線も同じである。確かに中国人に高額所得者は存在する。しかし、裕福な一極と言っても日本の新卒程度の給与者が大多数である。その彼らが家族を連れて海外旅行、ブランドの買い漁り。収支的には合うはずがない。こうしたことを考えながら彼らを見て「結局モチベーションの違いか」と思った。成長する確信、成し遂げるという心これは消費につながる。日本のバブルも近いものがあった。新入社員がヘネシーを飲んでいる時代だったのだから。成長するという【希望】の有無がこうした行動に走らせる。
文中には幾度となく「こんことでは中国は先進国にはなれない、日本を見習わなくては、まだまだ遅れている」と中国人が述べている。銀座で見た中国人のような強烈な成長欲求を感じるのである。

いま我々は中国を含めたBRICSから“成長欲求”を学ぶべきではないだろうか。いまの日本は縮こまり、淋しげに生きているように感じてならない。強い願望を持ちがむしゃらに進むことが必要なのではないか。成長するために悩んだことや、努力した実績は自分の糧となるのだから。

色々なことを考えさせられる一冊であった。

 

 著者は在中国日本大使館公使(広報文化センター長・2007年~09年)であった。本書は外交官である著者が“中国をどのように感じたか”について述べられている。
この間国内は安倍、福田、麻生、鳩山とこの間4人の首相に変わる不安定な政治体制にあった。中国はBRICsの台頭、08年北京オリンピック、リーマンショクを乗り越え世界経済のアンカーとして未だ著しい成長を遂げる。

 将来の日本に取り“どう中国と向きあうべきか”悩ましい問題だと思う。米国やEUまた他の東アジアと同様に接することは難しいのではないかと思っている。【政経分離】という考え方もあるのかもしれない。しかい例えば山内(2011) は「中国は日本の経済成長にとって重要なパートナーであるが領土と国民の平安を損ねる不当な圧力を甘受するいわれはない。経済利益さえ共産党の国家戦略に従属させがちな中国に生産拠点や原材料を過度に依存することは、日本の外交安全保障をいつも質同然に預けるリスクを冒すことになる」と論じている。これはレアアース問題を端緒考えれば明らかである。最近では言論統制も著しい(2011/1/18 日経 文革依頼の弾圧の声)。こうした背景は失念せずに中国を交流しなければならない。たとえ直接取引が無くとも同様である。

外交官である著者は“中国という国家や人をどのように感じ、将来への軌跡をどのようにつけるべく行動したか”という問題意識のもと本書を拝読した。著者は韓国在日本大使(政治部)を歴任、東アジアエキスパートである。

本書から得られたひとつに日本は「情報発信不足」である。それも政治家や官僚でなく“一般人”にダイレクトに情報を発信するということだ。北京大などの学生が訪日した際のインタビューなどをまとめが掲載されている。結論から言えば日本の印象は極めて良いということだ。誤った日本のイメージが中国に伝聞されているのだ。本書で用いられている世論調査によると【中国人の嫌いな国】① 韓国 ② 日本 【好きな国】① パキスタン ② ロシア ③ 日本となっている。この対比した現象は、政治に惑わされず【日本を伝える】ことで相当解決されるのではないか。北京大などの学生が交流の一環として来日し考え方に変化が見られた事例が数多く述べられている。昨今観光庁が積極的に旅行者を増やそうとしている。これは経済が主たる目的であるが、我々は日本という国民を知ってもらうチャンスであると捉え接することが必要ではないか。さらに、フランスワインをモデルとした地産外消を目指したいものである。

 

 
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

この本実に思い白い。視点の置き方、解説など等、色々な書店で平積みされている理由がよくわかる。論文ではない。一般を対象とした経済書だ。解説上手な「池上彰氏」の推薦が納得出来る。

 本書の大きいなテーマは「好景気をなぜ実感できなかったか」にある。2002年2月~2007年10月まで69ヶ月に及んだ『いざなみ景気』を我々一般は実感できなかった。少しこの時期を振り返って見たい。

2002年  小泉首相・北朝鮮訪問・拉致被害者 5人 帰国
2003年  SARS 日本郵政公社発足 衆議院選挙 小泉内閣 安定多数確保
2004年  製造業への人材派遣解禁 新潟中越沖地震 代議士年金未納問題発覚
2005年  原油価格高騰 北京:反日1万人デモ・日本大使館襲撃 京都議定書発効
2006年  安倍内閣発足 胡錦濤国家主席首脳会談 ホリエモン逮捕
2007年  スマトラ地震 リスボン条約 韓国:李明博就任

 2001年ITバブル崩壊、住宅バブル崩壊の前兆が2005年頃から見え隠れする。こんな米国の背景もある。東アジアは中国が凄まじい勢いで成長を成す。賛同は得られないかと思うが、堀江の逮捕に至っては“また出る杭は打たれる文化”かとさえ感じた。どちらかと言うと『メンタル的問題』によって好景気を感じられないのではないかと。この顕著な例が数ヶ月後の『秋葉原通り魔事件・2008年6月』ではないかと考えていた。言ってみれば他国の成長を横目に妬み、国内はネガティブキャンペーンがはられているようにさえ感じられた。

著者はメンタルから捉えた私の視点やマクロ経済から分析する経済学者の視点違った視点から問題を捉えた。GDPは成長した。しかし実感はまるでないということである。

『生産年齢人口=消費者人口の減少 → 供給能力過剰 → 在庫積み上がりと価格競争 → 在庫時価の低下』

これらが要因であると分析をしている。本書を読んだ後現場の声を実際に聞いてみた。飲食店を中心としたヒアリングで次のような結果を得られた。
消費者人口の減少を ① 高齢化による消費量の減少 ② 顧客数の減少 ③ 天気など環境で変化などの点があげられた。天候による左右は高齢化にともない寒暖の差で出かけないということだ。消費が減少すれば在庫時価低下まで一直線に進む。結果として雇用も創出されない。
著者は『率』でなく『実数』で論が進んでいく。分母が変化することや悪化している現状に対して前年同月比で比較してもあまり意味がないと述べている。これには共感できる。本論で軸となる生産者年齢は15歳~64歳は幅が広すぎる。少し人口調査票(総務省発表)をもとに20歳~60歳の人口数を調べてみた。結果としてフルスピードで減少することが明らかとなった。

資料を作成しながらの拝読は実に身になる。時間との兼ね合いがあるが出来る限り続けたいと思う。本書書評については改めて記載したい。

 

PIANO リサイタル 河合優子

On 2011年1月15日, in life Style, 雑感, by admin

 

昨夜ピアノリサイタルに出かけた。美術館などと同様に定期的に楽しみたいのだが、どうしてか機会が少ない。自ら機会をつくろうとネットで調べ演奏者に出会った。
演奏者のピアノを聞いたことはない。しかし曲目がショパンであること、今年は定期的に足を運ぶことに決めたことなどからリサイタルを楽しむことにした。

 リサイタル当日までに演奏曲を聞いておかなければならない。あたりまえのことであるがそれだけで全く楽しさが違う。手元にCDが無いものもあり先週CDを2枚程購入した。当日まで4~5日しかない。こうしたきamazonは実に便利だ。この間しっかりと聞き込み当日を迎えた。

 感想に先立って演奏者について少し紹介したい。

『日本を代表するショパンのスペシャリスト。ナショナル・ディションによる2曲のショパンのピアノ協奏曲・1台ピアノヴァージョン、コントルダンス変ト長調などの世界初演奏者。ポーランド国立音大研究科終了。1995年マリーエンバート・ショパン国際ピアノコンクルール第3位入賞 』という輝かしい経歴を持つ。
 
 詩的な表現ができないことがとても残念でならない。ポロネーゼ 第3番 イ長調 作品40の1を小学生の時にTVで聞いたことが、僕が今でもショパンを聞くきっかけなのだが、語り聞かせるピアノは楽譜の意味もわからない僕が一音も逃すまいと全神経を集中させる。さらに聞き込んだCDとは違う演奏の迫力に圧倒されるのだ。
 
久しぶりのこうした時間を得られたことに心から感謝をしたい。経営はアートとサイエンスを編集である。美術や芸術を身近な存在にすることは自己を成長させる。楽しむことも含め、月に1~2回こうした時間を取るようにしたいと思った。
そう思いながらホールで頂いたチラシを拝見すると、4人の演奏者によるリサイタルチケットが販売されている。取り急ぎ購入することとした。一度こうした機会を得るとこんなものかも知れない。これからの4ヶ月間が楽しみである。

 間近に迫る次回のリサイタルが実に楽しみである。

 

ルポ 生活保護  本田 良一

On 2011年1月14日, in 書評, 雑感, by admin

ルポ 生活保護―貧困をなくす新たな取り組み (中公新書)

 生活保護を含めた社会保障制度は国を左右する問題である。また今後問題の大きさは更に増すと思われる。こうした問題に対する情報や知見を高める目的で本書を手にとった。高齢者に対する社会保障は、過去にかけた年金の受給であり生活保護は大きく違う。本書では事故や母子家庭により生活が困難となったケースを取り上げている。後に再起するケースも併せて紹介されている。こうしたケースに異論があろうはずはない。

1/10日経『核心・平田論説委員』は【30年後に日本人を守ろう】という題のもと次のように述べている。『日本の前途は厳しい。それなのに政治家は数ヶ月先の地方選挙をにらみ人気取りの政策に走る。それは20年先、30年先の人々の暮らしを犠牲にすることである。…….日本は米欧と同じく劣勢に立つ側として先進国病の克服が課題。そして子や孫の世代を思い新興国との共存共栄に向け戦略を直す必要がある。』こう述べた上で① 新興国と同じ土俵で戦わない、② 強い分野が存分に力を出せるような経済の非効率な部分を改めること ③ 財政問題の正常化の目処をつけること、と提言している。同日の『経済教室・マネックス証券社長 松本氏』は『国は潰れないと思われている存在であり、リスクに対する感覚が甘い』としている。

現在の状況は松本氏が述べるように極めてリスキーな状況である。しかし国は、将来を見据えた政ができない状況である。平田氏の提言は“自分に厳しいこと”が求められる。その社会は、高い知的能力、知識創造が普通に求められる社会なのだ。新興国と戦わないということは雇用吸収力もないだろう。当然のことながら公共事業は減少し工場の海外シフトは進む。1992年~2009年にかけ国内工場は532万人の雇用を減らしている(1/4 日経)。この数値は北海道の人口と粗一致する。反対にこの10年で168万人が日本企業の海外工場で採用されている。これは鹿児島県の人口に近い。我々は産業構造の変化を正面から受け止めた発想がもとめられる。

産業構造の転換は規制の外枠で行われる。雇用は法の枠組がある。JALの解雇者は提訴をした。この判決を経営者は注目する必要がある。会社更生法が適応され、税が注ぎ込まれてもそれでも解雇ができない。こうした状況では変化に対応できないからである。昨今もPIGSのデモをTVなどでご覧になった方も多いと思う。ギリシャなど国は破綻し、IMFからの融資でなんとか息をついた。財政赤字の削減は融資条件である。一丸となってこの苦境を乗り切るしか方法はない。やるべき事は『デモ』でなく『労働』や『考える』ことである。この要因が『まつりごとの不在』であることは明らかである。

こうしたことを踏まえると本書でとりあげるべきは「受給者となった要因を過去から検証して欲しい。そのうえで受給者とならないためにはどう考え、行動すべきかの提案が望ましい」と私は思う。

負の連鎖は更に増すだろう。しかし自らの力で断ち切ることも可能なはずだ。
“社会が如何に気付かせるか”“どう行動することで希望を持って生きられるか”を厳しい環境ではあるが教示することが必要なのではないかと思う。受給者となる要素を中学や高校の時に持っているように感じる。そうでなくても20代にはその芽生えがあるのではないか。そのときに如何に芽を摘むかが大切なのではないだろうか。