後藤田正晴  政と官

On 2011年8月26日, in 政治・経済, by admin

政と官

後藤田正晴は31年間、官僚として使えている。警察庁長官を経て閣官房副長官で勤めを終える。その後政治家へ転身するのだが、官僚トップ経験者として職務をどう考えていたのか興味深いところである。今日8月26日正式に辞任表明した菅内閣は「脱・官僚政治」を理念に上げていた。それは官僚が政治を司っていることの現れであり、権限者は官僚だということに繋がる。政治家と官僚、またその職について次のように述べている。

「..政策は、与党および内閣を構成する国務大臣が、互いに協力しあいながら最終決定するのである。この決定を行政機関が実行する。これが、日本国憲法が想定している役人に位置づけだ。ところが、現実問題して、日本の場合は政党政治が未熟である。政党自身が独自に政策立案できるだけの組織もなければ能力も有していない。政策に必要なあらゆる情報や資料を行政府が独占しているのである。行政府は日本最大強の、というよりむしろ日本唯一のシンクタンクなのである。その結果、どういう弊害がでてくるかというと、行政官が政策そのもの決めてしまうという行き過ぎた事態が生じてくる」

本書一版、時代は“細川連立政権”の1994年だ。リクルート事件、佐川急便事件と続き政治改革が叫ばれていた。いまから15年以上も前になるが官僚と代議士の関係、政治システム、また政治と金の問題は一向に解決がなされていない。15年前にいま官僚人生を終えようとしている方々を交えて行政改革が始まっていれば政党のありかたも大きく変わっていたのだろう。

いまだ発展過程なのだろうかと思ってしまう。停滞または衰退しているようにさえ思える。変わったのは政治資金問題で取上げられる金額がずいぶんと少なくなったものだなという程度だ。政治はマニュフェストなどの解釈を変え、その場しのぎを断続的に続ける。立場を守ることが目的であって提言を実行することが目的になっていないのではないか。そもそもミッションとしてマニュフェストを作成しているようにも感じられないのだが。

2大政党制になり「国民の納得」という言葉が使われる。自社の消費者層をマーケッターでさえ掴むかことが難しい。さらには国民の意思などバラバラでまとまるはずなどない。安易であり言霊とは程遠い。私はどちらと言えば官僚に対して批判的ではない。官僚の存在が政治を形にしていると思っているからだ。しかし著者は「役所の威信」を尊守することが目的化しているとして次のように述べている。

「役所が目的を達成するには、国民の信頼が必要である。ところが、いつの間にか、信頼と威信が入れ替わり、目的は二の次にされて威信や対面ばかりが強調される。これは困ったことである。なぜかたという自省できなくなるからだ」

多い時、国務大臣は年に数回変わる。自省してこれを変えることこそ難しいだろう。それならば専門家・シンクタンクとして官僚・役所が機能することが望ましいように思う。どうにか自省するシステムを取りれれば、質、時間と三方治まるまるのではないだろうか。

政治に期待を持てない裏返しではあるのだが。

 

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