後藤田正晴 日本への遺言

On 2011年8月25日, in 政治・経済, by admin

後藤田正晴 日本への遺言

東京帝国大学卒業後、後藤田正晴は高等文官試験に合格し内務省へ任官する。昭和14年入省、16年12月8日太平洋戦争が始まる。後藤田は昭和15年4月台湾歩兵第二連帯補充隊として台南に入り以降昭和21年4月まで軍務につく。

書を通じて感じるのは、戦争体験が背骨を鍛え哲学を深めているということだ。その経験は安全保障政策の根本を成している。安全保障問題や米国への考え方は戦争や戦後の経験を経た世代と以降とでは違いを感じる。恵まれた生い立ちが原因なのかも知れない。寺島一郎学長は団塊世代を「日本人ではじめて自由を手にした人」だという。後藤田氏は団塊世代について次のように述べている。

「団塊の世代には僕はいじめ抜かれたから、本当は腹が立っているのだけれども実際、今日本を支えているのは団塊の世代です。これは。そしてね、生まれた時から死ぬまでね、競争社会の中で生きているんです。だから非情にバイタリティのあるね、世代じゃないですか。この世代にしっかりしてもらわなきゃ困るんだ、これは」

「何とかせい」という心が伝わる。だが大正世代と“自由と競争世代”では背負っているものがまるで違うのだと思う。戦地へ赴けば生きることすら自己判断できない大正世代。修羅場という言葉さえ空々しく感じさせる。“背骨の違い”という言葉が的を得ている。自省もこめ、“根の力”ともいえる揺るがない信念に物足りなさを感じる。

戦争は「運」を正面から見つめさせられる。台湾から東京への飛行コースを後藤田は自ら示し飛行士に飛ばさせている。変えたことで九死に一生を得ることとなる。その件について前書後藤田正晴に保坂は以下のように述べている。

「もしあのとき、航空班の商工に指示されたとおりのコースを飛んでいたら、自分は生きていなかったはずだ。予め情報をよく解析したうえで自らの考えを主張し、そのとおりに実行したから死なずにすんだのだ、情報を良く分析したうえでの結論はあくまでもとおせ、そうすれば悔いは残らない。といった信念がこのとき固まった。判断力と実行力は両輪である。両輪を回転させなければ、人は「運」さえ自分の側に引き寄せることはできない、と思った。後藤田が単純な運命論者に終わらずに、さらに一歩進んで身につけた処世の方程式であった」

“ロジカル・シンキングと強い心”この両輪を目的に向かって回転させることでしか目的を達成する道は無いという結論に帰結する。後藤田のロジカル・シンキングの起点は「勘」だと著者は述べる。「勘という語が多くの情報を収集し、理知的に解析し、その結果を基に実行に移す」これに経験も加味するのだろうと思う。

しかしこれは特別なことでなく我々も日頃から行っていることである。要するに突き詰めているか否かの違いだ。強烈な体験をしていてもすべてが後藤田のように生かされてなどいない。経験を自己の文脈に落とし、次にどう活かすかの違いに過ぎないのかも知れない。

 

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