財務官僚の出世と人事 (文春新書)

観光者を増やすことも将来への軌跡となる。しかしそれ以上に歴史認識に変化をもたらすことが必要なのは言うまでもない。対談の中で著者は次のように述べている。

「…どの国であっても、戦争による親族の死を語る人に対しては言葉の返しようがなくても“その記憶イコール歴史であり、他の歴史感は間違いだ”となるとそれは違う。それは個人や集団の記憶であって歴史ではない。歴史とは相手側からどう見えるかも視野に入れ、厳密で客観的な学術作業に基づくべきです。政治的検知や感情をあらそうものではない。ヨーロッパでは、ドイツ、ポーランド、フランスといった戦火を交えた国のあいだで歴史教科書に関する対話が進んでいます。歴史教育をナショナリズムから解放してより平和的なものとして、人々の歴史理解を、より開かれたものにすることが目的です。歴史理解が閉じた記憶に負けてはならないのです。各国の自国中心的な記述を指摘し、客観的で公正な理解に達することが大切です。この点については、日中間でもすでに作業が始まっています」

異なる歴史見解の一致が困難であるなら、経済や政治に影響を及ぼさないレベルにする必要がある。共産党が不満の矛先を日本へ向けても“現在の日本はそんな国ではない”と捉えられるようにする必要がある。無謀なデモ行為や暴徒は思考停止状態なのだから予め停止させないようインプットする必要があるのではないか。その為には交換留学を含めた留学生受入、観光規制の緩和、草の根的な活発な交流などが必要ではないかと考えられる。まず日本ができることを一歩一歩やるべきである。

また本書から通じて“だから中国は成長する”と思わせる一面があった。

秋に家内と銀座を歩いているとやたら中国人の数が多い。その原因は三越新館オープンにあった。とにかく中国人が目立つ。食事をするために乗った丸ノ内線も同じである。確かに中国人に高額所得者は存在する。しかし、裕福な一極と言っても日本の新卒程度の給与者が大多数である。その彼らが家族を連れて海外旅行、ブランドの買い漁り。収支的には合うはずがない。こうしたことを考えながら彼らを見て「結局モチベーションの違いか」と思った。成長する確信、成し遂げるという心これは消費につながる。日本のバブルも近いものがあった。新入社員がヘネシーを飲んでいる時代だったのだから。成長するという【希望】の有無がこうした行動に走らせる。
文中には幾度となく「こんことでは中国は先進国にはなれない、日本を見習わなくては、まだまだ遅れている」と中国人が述べている。銀座で見た中国人のような強烈な成長欲求を感じるのである。

いま我々は中国を含めたBRICSから“成長欲求”を学ぶべきではないだろうか。いまの日本は縮こまり、淋しげに生きているように感じてならない。強い願望を持ちがむしゃらに進むことが必要なのではないか。成長するために悩んだことや、努力した実績は自分の糧となるのだから。

色々なことを考えさせられる一冊であった。

 

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