「中国問題」の核心  清水美和

On 2010年10月27日, in 書評, by admin

「中国問題」の核心  清水美和

「中国問題」の核心 (ちくま新書)

著者は、京都大学経済学部を卒業後、中日新聞に入社し北京語言学院に留学、コロンビア大学東アジア研究員、香港特派員など、東アジアや中国に関し極めて知見が深い。その著者が、世界が抱える『中国問題』の核心について論じた一冊である。

中国に関心が薄い日本人は少ないことと思う。尖閣諸島の問題で一層の賑わいを見せている。ビジネスで中国と付き合いがある方は何とか治まらないものかと考えている方も多いのではないか。その表れはたとえば、日経に記される「中国」というキーワードの数だけでも推測がつく。

私は中国についてどれだけのことを知っているのだろうか。この知識を深めない限り「中国」に関する議論ができないように思っている。本書はそんな隙間を埋める書籍である。しかしその理解が端緒にも着かないことは著者の次の言葉からも明らかである。

「素直にいえば日頃中国理解の難しさに難渋している私もこれに同調する誘惑にかられないわけではない。学生のころ、中国を初めて訪れ北京郊外の『万里の長城』の外に広がる茫漠たる荒野を見たとき….伸びゆく先も見えない長城を築いた漢民族の強い恐怖心と深い猜疑心に驚くほかなかった。四方を海という天然の要塞に囲まれた日本人には到底、理解できないとも思った。梅棹が『文明の生態史観』(中央公論社刊)で指摘するように、大陸国家で絶えず内陸からの遊牧民族の侵略という脅威にさらされ、中国人の苛烈なまでの打算とリアリズムは鍛えられた。中国人との交際でそれを思いしらされるたびに、所詮日本人に中国と中国人の理解は不可能ではないか、と自問自答することも多かった」

文明の生態史観 (中公文庫)

文明の生態史観では日本人の特殊性を著者は論じている。しかし理解困難な隣人であることに違いない。私も数名ではあるが中国人の友人がいる。彼らから知を得るときは良いのだが、ディベートにはならない。相手の話を理解しようとはしないのである。自分の意見を通すことに全力を尽くす。日本人でもそうした人はいるが『理解したふり』をして疎遠になっていく。個人的な関係であれば一向にかまわないが、対国家や企業ではそうはいかないことは言うまでもない。如何に困難であっても、我々は、12億からの民を約20人の中央政治局が選挙もなく支配する国家と深い関係性を構築しなければならない。良好な関係を保持することはこれからの日本にとって有効であることは疑いないと思われる。知見を深め自らのスタンスを取ることが課せられた使命ではないか。

中国については、三井物産戦略研究所中国経済センタ−長であった『沈 才彬教授』から講義を受けていたいことがある。沈教授は中国発展の可能性について深い知見を有し、その著書については以前にも数冊紹介しているが、本書は全く角度が違う。本書は直近の史実をもとに中国との関係構築が如何に難しいかを教示してくれるのである。今後の日本を考察するうえで必読の一冊ではないか。

 

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>