創造性とは何か 川喜多二郎
KJ法で著名な著者の価値ある一冊。創造を広辞苑で引くと『①新たに造ること。②神が宇宙を作ること』と記されている。英語ではCreationとなる。今後社会で求められるのは創造性を有する人であると思う。その創造性を根本から考察したのが本書である。
始めに著者の【創造性】の定義を紹介する。『創造性とは何かというと、現状を打破し、つねに新しい状態に変えていくことで、その最も代表的な例は新陳代謝であろう。外からつねに新しいものを取り込んで同化し体を作り変えていかないと、体の保守すら維持できないというのが、それである』ようするに問題解決能力ということになる。
著者のいう【新陳代謝】が実際には難しいのである。組織学習論でいうダブルループが困難であるのもここにあるが【人は保守的】なのである。保守と創造のバランス感覚を保つことは想像以上に難しい。年齢差もあるのだが20代も後半になるとこうした傾向が生まれる。難しい理由は【過去を捨てる】または【パラダイムの転換】にあると思う。粘着的進化は創造性を有しているとは考えづらい。経済学者の中谷巌教授が『資本主義は何故自壊したのか』を一昨年出版された。これは著者のそれまでの考え方を否定するものである。よって帯には懺悔をいう文字が記されていた。著者はこの考察を深めるに10年要したとのことである。60歳になろうかというときから新たに創造し論理を構築する。これこそ脳の新陳代謝であり創造ではないか。こうした新陳代謝機能がどうも20代から薄れているように感じるのである。創造性が欠如すればイノベーションなど起こるはずもない。
創造性を有することが発展のKFSであることは間違いない。『ゆとり教育』なるものはその一環であったはずなのであるが。
創造性が社会に必要であることにあまり異論はないと思う。現状を打破またはパラダイムを変えることは『破壊』に近いとも感じられ破壊も創造性の一環ではないかと考えることも可能ではないか。著者は創造性と『破壊』を次にように論じている。
『保守とも創造とも結びつかない方向に向かったのが破壊で、破壊には全く循環がないということである。つまり創造は必ずどこかで保守に循環するもので、保守に循環しなければ創造とは言えないということである』更に西田哲学から『これが絶対矛盾的自己同一である。本来、保守と創造は絶対矛盾的であるが、同時に偉大な創造にあっても大きな循環で『自己同一』を果たすのである。したがって、偉大な創造と破壊は見分けがつかなければならない』
破壊は循環しないことを哲学的に論じている。考察を進めれば“創造的破壊”創造を否定する保守的な慣行を『破壊』することである。【保守】→【破壊】→【混沌】→【創造】→【保守】という循環の一環と考える。昨今の社会の文脈に置換えると自らは【保守】でありながら社会には【創造的破壊】を求めているようにも感じるのである。国内ではクリエイティブクラスを感じることができない昨今である。