東大合格生のノートはどうして美しいのか? 太田あや
7、8月で組織学習論と知識創造論の研究ノートを作る。基礎的なことの確認が目的。丁寧に質を高くやりたいと思っていたところに、昨日(6/24)付け日経の広告に著者の記事が載っていいたことで本書を思い出し再読を試みた。記事によると「東大合格生の異なる点は、ノートをこの先どのように生かそうか意識しながら書いているところ。未来の自分へのメッセージとして書いているわけです。…ケイ線の弾き方などの理由を聞くと『なんとなく』という回答はゼロでした」とある。
“板書 → 解説 → 疑問・考え”とパートを切ってノートしていることに特徴がある。解説で理解していることの確認や肉付けができ“疑問・考え”を書くことで質問や復習のとっかかりになり、ストーリーに深みがでるのだという。こうしたノートを創ることが “できない部分を見直せる質を考えた勉強”になるだろう。さしずめこのあたりが未来へのメッセージなのだろうか。
もともとこのブログは読書忘備録として始めた。しかしいつのまにか自分の理解を確認する場となっていった。理解が浅いと書くことがとても難しいのである。あまり難しいと図解にして確認したうえで書くこともある。量を読むよりも一冊の質を上げるほうが良いはずだ。そうするといつのまにか量を落として怠惰になりそうな気がする。時間の確保に切り替えたほうがよさそうだ。
本書によれば“質を高める”にはやはり手書きに限るらしい。
『…パソコンに打ち込んだ場合には、どんなに意識的になっても脳は活性化しませんでした。理解するためというよりも、メモ書きとして使用する方が向いているのかもしれません。ノートをとりながら理解するには、板書に加えて説明、疑問を書くなど、さまざまなところに意識を働かせることが大切なのですね』
“きれいなメモ”としてのPCは効果的だ。PCのメモを見ながら自己の文脈を通じてPCで表現するこの流れであればよさそうな気がする。またそれをプリントアウトし図解を加えるのも悪くなさそうだ。
質を高めた学びを追求していきたと思う。結局それが仕事に跳ね返るのだと捉えている。