「小さな政府」を問いなおす (ちくま新書)

税率が低ければ誰しも大きな政府が良いと思う。たとえ最低限でも生涯国に保証されていればこれに越したことはない。ベルリンの壁、ソ連崩壊など社会主義国家の維持発展が難しいことは近年明らかになっている。民主主義の勝利と思ったのもつかの間、日本のバブル崩壊、エンロン事件、リーマン・ショック、ギリシャ国債暴落とどうも民主主義も様子がおかしい。大きな政府も小さな政府もどうもうまくいかないのがこの20年だと思う。

“問い直す”というくらいなので本書は“小さな政府”の問題点を追求している。結果平等などありえないと私は思っている。機会の平等すら難しい。20年以上前だが仕事で東海道線のグリーン車に乗っていると平塚競輪を終えた親子が乗車してきた。小学生幼い子に“勉強なんか教えてあげるから学校に行く必要なんかない”と子供に言い聞かせていた。心が傷んだ出来事だった。しかし現実にこうした事例は幾つもあるだろう。幼い時に種子が無垢な子供の心に入る。それが育ち反抗期という木になるのではないか。成長期の一時期をこうして失う。機会の平等など無いのではないかと思う。

教育の平等について次のように述べている。
「貧しい家庭に生まれた子供も、教育を受ける機会があれば、その持って生まれた能力を開花させるチャンスが与えられる。そうしたチャンスが与えられることこそ、人々に与えられた生存と自由と幸福を追求する権利に違いない」
前期したようにこれでは足りないのだと私は思う。社会の仕組みは早々変わるものではない。しかしこうした子供たちが再起できる仕組みが世の中には必要なのだと思う。最近は地震後の生活環境の報道が極めて少なくなった。本来、親を無くした子供たちの生活。我々に何ができるのか。まさに問われているのではないか。

経済面については次にように述べている。
「一方消費者は、供給されるモノやサービスの質について知識をほとんど持っていない場合には、政府に供給者の質を判定してもらうことを求めるようになる。政府が供給者の要望を受け入れて、資格等の参入規制を厳しくしすぎると、モノやサービスの価格は上昇するが、それから消費者一人一人が受ける不利益はそれほど大きくない。というのは不利益は多くの消費者に分散するからである。ところが価格上昇による利益は数多くの供給者に集中するから….」

これは中小企業保護政策につながる。許認可制により大企業寡占化の事業増える。よって下請け中小企業は苦しむこととなる。そこで保護育成という大きな政府が求められるということだ。
橋本、小泉、安倍政権では省庁再編や規制緩和がなされた。教育については予算が少なくなっている。10/27の日経によれば建設業界再編に国は手を付けたいらしい。

ここまで著者の意向に沿って大きい政府が望ましいようにも書いた。しかし私はもう無理なのだと思っている。本書でも述べているサッチャー政権によるイギリス、IMFが関与した韓国、昨今のギリシャなどの事例と日本を俯瞰して並べてみれば“保護”という概念で国政を司ることは無理なのではないか。

いまの8時間労働を10時間にするような気持ちで立ち向かう。生活水準は下がっても経常赤字を減らす。こういう時期に来ているのではないだろうか。厳しい選択を狭まれる日は刻一刻と迫ってきていると思う。しかし教育だけはいま以上に予算が必要はないか。

 

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