日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

民主党政権がここまで危ういとは想像をしていなかった。細川政権時の政治評論家は実際の政治は官僚が行っているので問題ないとコメントしていた記憶がある。それでは現在の体たらく“官僚の力が落ちた”ことが問題なのか。そんな問題意識を持ちながら本書を拝読した。本書は2007年初版であり民主党政権が前提とはなっていない。

戦後長期間続いた自民党政治にも当然問題はあった。地域や業界団体の代表となり外交や防衛はおざなりになっていたように感じる。経済のパイが拡大していたことで所得が◇構造となり消費者は底辺意識が低かった。時代が変わり90年代から経済構造が変わり△の消費者構造となり底辺人口が拡大し不満が募った。しかし中小企業勤務者が95%に及べば不安定な雇用情勢は今に始まったことではない。情報過多や大学進学率が50%となり知的水準があがり問題意識が高まったに過ぎないようにも思う。要するに◇の中心部と△の底辺にあまり差はないというのが私の考えである。しかし◇は上下を見ることができた。△は上部しか見えない。この現象が思考に大きな違いを与えるのではないかと思う。

この△の高さが低くなると将来への希望が見えにくくなる。TPP、消費税増税など将来へ繋がる端緒が見えた菅内閣ではあった。しかしいまや外交日程すら危うくなっているようである。菅首相は選挙からにより国民から信託を受けた。よって4年間は政権を持続させるというのが就任前からの持論である。ここが選挙の怖さであり、このような解釈をするということを著書からでも事前に知っていれば幾分結果は違ったかも知れない。日本の首相は権限を活用すれば強いという解釈がある。

『先進民主制に限れば、政治体制は大統領制と議員内閣制に大きく分けられる。その歳に両者を分けるもっとも重要な点は、二元代表制か一元代表性かである。つまり、民主制のもとでも大統領制は、大統領と議会とが別々に選出され、それぞれが正当性を有しているため、民意は二元的に代表される。それに対して議員内閣制は、議会のみが民主的に選出され、その議会の正当性を基盤として内閣が成立するために、民意は一元的に代表される。ここに着目すれば、議院内閣制のほうが大統領よりも権力集中的な制度である』

このように本書は論じ、他でもこの論調はよく使われる。しかし安穏としていたわけではないにしろ政治が生活に深く関与しない限りここまでの意識はなかったのではないか。本書を読み解くと“慣習や通常”といった明文化されていない縛りが多様にあることがわかる。根回しやお伺いによって政治が成立していくのだ。具体的数値は手元にないが政治は家業に近い。そうであるならこうした文化を幼い頃から身につけていることは強みであろう。また幼少期からの諸先輩との繋がりは代えがたいものがあるようにも思う。
本書は機構を知り理解するには良書だと思う。混沌とした政治環境は暗黙の統辞構造があるように思えてならない

 

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>