日中韓 歴史大論争

On 2010年11月10日, in 書評, 雑感, by admin

日中韓 歴史大論争

櫻井よしこ、田久保、古田と中国、韓国の論客との対談集である。対談とは言うものの会話は粗絡み合っていない。私は以前より、日清戦争や日韓併合を含めた隣国との問題はアカデミックに長期的に議論を重ね、政治へ進言するのはどうかと考えていた。その理由は、日本や韓国は選挙への配慮することから、政治が判断することは難しいのではないかとの思いからである。しかしジャーナリズムや学者の議論においてさえ、歴事事実の検証を積み上げることすら困難のようである。中国のような一党支配下の教育であれば当然のことかも知れない。浅学非才にてこうした問題の解決イメージさえ湧いてこない。

日中韓 歴史大論争 (文春新書)

尖閣の問題以降、国内は中国をより強く意識している。国を意識することは大切な好ましいことである。本書は尖閣問題以前の議論であるが、杏林大学名誉教授 田久保氏は日本の【右傾化】という質問に次のように答えている。

『そもそも戦後日本は国家として非常に不健全な状態からスタートしているんです。国防に関しても当初は自衛隊すらなく、その後も専守防衛が基本で、非核三原則持っている自主憲法も制定できなかった。その結果、戦後教育も決して満足な姿にはなりませんでした。いうなれば左傾化した状態だったんです。それを今、真ん中へ戻そうとしているだけであって、それは右傾化ではなく正常化なんです』

この議論は“戦後教育左傾化を真ん中へ戻す”ということが必要であると述べている。本論の議論はとはずれるが、こうしたどのようにも解釈可能な表現は何ら説得性がない。右傾や左傾は主観に過ぎない。今行うべきは、国家としてのビジョンを描き、憲法により表現され、国民が受け入れることが大切なのではないか。こうしたことは、ステークフォルダーである対外諸国から受入れられることが前提となる。田久保氏は政治家ではないのだから“真ん中へもどす”などと言わずに、日教組の….と表現すべきであろう。しかし過度な感情の高まりは危険であることを十分に理解したうえでの行動が必要である。

実際には教育以上に戦後の【あいまい処理】が中国や韓国との問題を表出しているのではないか。【あいまい処理】は長期的視座からビジョンを描けないことが最大の要因であろうと思う。この問題は選挙制度に帰結する。衆議院 参議院 統一地方選挙 党代表選挙 4年間に5回以上行われるのであるから、短期的に受け入れられる政策が中心になるのは当然ともいえる。選挙制度そのものを見直すことが持求められているのではないか。大きな改革をするには、政治家が国民に対して既然としなければならない。既然とはぶれないということである。

本書を端緒に“戦略との関係”の考察を試みた。概ねの政党の求めることに変わりは無い。マエニュフェストでの達成願望項目ではなく、戦略の具体性を評価すべき時期に置かれているのだ。尖閣を切っ掛けに将来ビジョンが描かれることを望んでやまない。

 

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