人間集団における人望の研究―二人以上の部下を持つ人のために (ノン・ポシェット)

社会企業論の授業は授業の感想をメーリングリストにて発信し議論がなされる。数多くの方の意見、解釈もまた勉強になる。質疑のない3時間に及ぶ教示は、質は高くその量は膨大である。そのなかで『エゴ・egoism』についての問いかけがなされた。自らの利己主義・自我中心主義を消し去るようにすべきなのか。それとも利己主義を保ちながらコントロールすることが良いのか。また仮に消し去っても生まれているのでは。

私は上手にコントロールをすることが大切なのではないかと思う。自らがegoismであることを感じない、見ないふりをする。これでは禽獣と同じである。egoismを押し通すことで自らの存在を感じている人もいる。自分にもそういう時期があった。しかしこれもまた禽獣と同じなのだと思う。禽獣でなくなるためにはどうしたら良いのか。その方法を本書は教示してくれるのである。自らの内省を含めレビューを試みたい。

本書は部下を持つ人間が『人望』をいかに養うかについての述べたものである。徳を積むという視座で論は進み、具体的にどうしたよいかまで含めて教えを請うことができる。徳がある人はegoismを出さずコントロールをしている。Egoismが強くなるときは、自らの考えを押し通そうとする時ではないだろうか。言葉を変えると“強引に認めさせる”ということだ。周囲は気分を害させないように適度に認める。egoismは自信欠如の反動のように思う。

少し極端ではあるが、自信欠如は教養の欠如ではないかと思うときがある。高い教養がある人からegoism を感じることは極めて少ないのだ。本書はegoismについて教養について次のように論じている。

「…其の情を訳して中庸に合わせ使め」も「教養」で「束縛」である。すなわち「己れ」の思うまま恣に自由奔放に振る舞うのでなく、自らを束縛することによって逆に「仁を為す」になり、また「知者」になりて社会に働きからけることができるという点に、ある種の共通性が見られるからである。されに「束縛」だと思っていたものが、「習練」すると逆に「静虚動直」的に自由になれることにも、おもしろい共通性がある。

静虚動直はアルファーさえ可能な状態を指す。心を静かにし無欲な状態である “静虚動直”とegoismは対照的存在と言える。こうした状態になるには教養を磨き、自らを抑制することが肝になるようだ。これは人間修行だと思う。リベラルアーツを高め人間修行である“九徳”を積む。自らの永久課題として戒めていきたいと思う。

九徳を含めて本書レビューを再度行いたと思う

 

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