二十歳の原点  高野悦子

On 2014年4月10日, in life Style, by admin

二十歳の原点  高野悦子

 多くの方が読まれた一冊であると思います。天声人語に引用されていたことから興味を持って拝読致しました。団塊世代である著者は日本ではじめて自由を与えられた世代と言われています。それまで戦前は家制度が少なからず残り職業選択が自由ではなかった。結婚も家と家が優先され制約があり平成社会とは大きく違う。生き方に先人の知恵を生かせなかった世代とも言えるだろう。

 それだけに『生きる』ということに正面から考え、若いときと学問と向き合いながら『仕事とは何か』について深い考察をした世代でだと思います。振り返って自らはどうだったかを、本書を通じて考えさせられた。それ以上にいまこの瞬間すら向き合っていないように感じてならない。40代の半ばを過ぎると自然と『死』という現実と向き合う。アンチエイジングに取り組みつつも残りの時間は限られてくる。高野悦子は自己と真剣に向き合うが、我々は自己以上に両親や家族、社員、友人との関係性を閑雅ながら自己と向きあわなければならない。

 このように本書は年齢に限らず自己のおかれている社会性、環境により読み方や感じ方に違いがあるように感じる。真剣に生きたいし、そのためには持続的な自己との対話が必須であることに間違いはない。

 『生きることは苦しい。ほんの一瞬でも立ち止まり、自らの思考を怠惰の中へおしやれば、たちまちあらゆる混沌がどっと押しよせてくる。思考を停止させぬこと。つねに自己の矛盾を論理化しながら進まねばならない。私のあらゆる感覚、感性、情念が一瞬の停止休憩をのぞめば、それは退歩になる』

 日々の文脈に落とせば『停止休憩は退歩』を知りつつも厳しさから逃れるべく怠惰な暮らしを続け酩酊と自己との対話を繰り返している。苦痛と解放、解放、安堵、怠惰。この小さなサイクルをまわし続けているように感じる。苦痛は課題が原因だが課題に対する評価を低くすることができれば安堵、怠惰のサイクルも消滅するならば、は自己成長が答えになる。大きな課題が解決できれば社会への貢献も可能となる。成長は思考と行動に限られる。甘い成長の評価は意味をなさない。自己は螺旋階段を上からみるように見るべきだ。知層が読書量であるならば残された本の数だろう。行動をしていれば行動の実績だけは残る。怠惰な自分には、これが唯一の自己を評価法であるように感じる。

 怠惰な自己を対話するためにも、時々読み直したい一冊であることはまちがいない。心からご冥福をお祈り致します。

 

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