集合知とは何か  1   西垣 通

集合知とは何か – ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)

 あまり一般に使われない言葉ですが【集合知】が世論を形成する。本書によると「一般の意見を集めるのが“集合知”」だという。いつの間にか“アンチテーゼの発信”が難しくなったように感じる。アンチテーゼはアウンヘーベ・弁証法を形成するために必要なこと。発信を踏まえた反論がなければ新たな“知”は創出されづらい。これはと集合知の関係性を考えると高い知名度の意見が“世論”となりやすいのではないかと考える。これを裏付けるのが“報道の偏り”だ。こうした危険性を踏まえると本書を一読する価値は高くなる。

 個人の意見=主観的意見とした場合に、主観的意見の発信が難しい国家ではなかったのだろうか。普通選挙は1925年であるがフランスは1792年130年以上その歴史は古い。確かに婦人参政権はEUでも普通選挙に比較して遅いのだが、米国は1920年に成立している。
日本では、GHQの民主化によるところが大きいと思うが婦人参政権が認められたには1945年、約70年前だ。このように公儀の“意見”発信の歴史が浅い。歴史は浅いが1867年の大政奉還、1945年のポツダム宣言の受諾と戦後荒廃からの復興と約4~2世代前までは同体験を通じて生きている。これが“反論”の安心感に繋がっていたのではないかと思う。弁証法的な意見形成が可能となることによって新たな“知”が創出されたのではないか。これは最近の私の“知”に対する意見である。イノベーションが難しくなった要素にあるのではないだろうかと思っている。本書は民主主義と集合知にこのように論じている。

「…あえて言えば、世の中の問題には、はっきりとした正解など存在しない。あるとしても、正解がどうかよくわからない。…原発を即時撤廃すべきか否かという様々な難問はいわゆる正解とは無縁である。複雑な利害関係やさまざまな価値観の対立をのりこえ、調整を重ねて結論にたどり着くのが通例なのだ。集合知というのは、こういう問題解決にも有効なのだろうか。そうなると、専門知より集合知を優先する発想は、「正解の推測」というより“物事の決め方”と関わってくる」

 本書は集合知が民主主義に代わることや専門知の代替えを論じるものではない。こうした前提を踏まえ意見の「多様性」・「独立性」・「分散性」の三つの性質の要素を満たすことを条件として論が進められる。だが戦後の男性中心の工業化社会では“均一化”キーワードとなっている。学校教育は三つの性質を排除しているように感じる。こうしたなかで我々は集合知とどう向き合い知を得るかをこれから数回に渡って議論を進めたいと思う。

 

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