全思考  北野武

On 2013年4月23日, in 未分類, by admin

全思考  北野武

全思考

 混沌としたこの世相を解決できる人は誰かという質問を、ある出版社の代表の方に尋ねた。そのとき即答されたのが「北野武」だった。いまや漫才師ではなく、MCや映画監督、タレントといった文化人としてのイメージが強い。しかしなぜ「北野武」と疑問は残る。
その疑問を解きたく、さっそく何冊かをまとめて購入し読み始めた。本書はなかでも傑作のエッセイだと思う。

 生死、教育、関係、作法、映画といった5章に分かれ著者の考え方を述べている。どの章も鋭い本質をつき多くの気づきを与えられた。幾度かにまたがって本書を紹介していきたいと思う。今から10年以上まえに著者はバイク事故で生死をさまよった。自殺の噂すらあったが本書ではそう書いていない。しかし本人すら気付かない心がどこかにあったのではと本書から感じてならない。

心身ともにベストなときは歳を重ねれば減ってくる。40歳もすぎれば、下りのエスカレーターを走って上がるようなものと言う。仕事、思考、体力といった能力開発の努力を少しでも怠ると気がつけばひとつ下のレベルに落ちてしまう。落ちたくなければ懸命に励む他にない。ストイックな「生」と「死」は深遠で繋がってはいないか。三島の自決を北野武は次のように語っている。

「…..つまり自分の運動神経のなさに。それはあの人の美意識をひどく傷つけたに違いない頭で考えることよりも肉体で行動することを尊んだあの人にとって、そのことがすごくコンプレックスになっていたんじゃないかという気がする。突拍子もない考えだが、その自決は、そのこととも関係していたんじゃないかという気がする。もちろん、政治的な主張というものは別にしての話だ。つまり、あの自決には精神の肉体に対する仕返しって意味があったのではないか。身体は、どんな状態にあっても生きようとする。自決っていうのは、その強い本能を、精神が屈服させるということだ…」

本編は生死についてさまざまな考えを述べているが、本音を表してないように感じる。三島由紀夫、自決分析の成否などわかりはしないが“精神は肉体さえ屈服させる強さを持つ”証とのべたセンテンスが北野武の死生観を表していないだろうか。生への執着と死への憧れ。満ち溢れた才能と疲労。

本書は行間からは数多くことを感じてならない。知と才能と感性。クリエティブリーダーの一片は本書から感じることができる。

 

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