こうした一流の選手の考え方や行動に常々興味があり機会ある毎に読むようにしている。それは、頂点を極める人の考え方や行動を自分の生活に取り入れたいと思うからだ。過日ルーチンについての本(プロフェッショナルの習慣録)を読んだが“繰り返しを繰り返す”勝ち続ける人の共通事項ではないかと思う。“素振り”を繰り返すことがホームランの一歩であると著者も語っている。継続の目安は3年だという。毎日3年間繰り返すと自分のモノになるといわれている。松井の素振りは小学生から引退まで続けられていたのだろう。人はこうした努力が“できる人とできない人”に二分されてしまうのだろうか。
松井は父からは「努力できることが才能である」学んだという。この言葉を素直に受け止め実直に努力を重ねたことによって松井秀喜が生まれたのだと思う。反骨精神から生まれることもある。しかし「努力できる素直な人」は一段上のステージに上がると思う。そしてまた利他の心をもつことで一層の厚みを増すのではないだろうか。著者は次のようにのべています。
「人は弱いものです。僕も、弱い自分に負けそうになってしまいます。今日は負けゲームだから手を抜いてしまおうかな。トレーニングを休んでしまおうかな。素振りを休んで、遊びに行ってしまおうかな。そう思う日はあります。そんなとき僕のプレーを励みにしてくれる人のことを考えます。そうすると力が湧いてきます。もうひとふんばりできる気がします。全力プレーを続けることで、この世でもっともコントロール可不可能な「人の心」を動かしたいと思います。「松井も頑張っているんだから」と」
“弱さ”はこれほどの結果を残した人でさえもつ人間共通の課題。しかし克服できるのは、ほんのわずかな人だけなのかもしれません。克服の連続が正の相乗を作り未踏の結果を残すのだと思います。しかし克服=努力の才能は誰でも持っているのだと思います。もうひとつ誰にでもある怠惰の心が努力の心を負かしてしまうだけなのだと思っています。
自分に置き換えると、少しのことさえ“努力をした”と感じてしまうのだと思います。これは過去の自分がつくってきたことですから、変えることはできません。そうであるなら、いまを検証し起点とし進む他に方法はないのだと思います。怠惰に勝ついがいにないのだと感じています。
“ゴールを見据え、日々自己を磨く”目の前の仕事に全力で取り組むことのほか成長のすべはないのだと思っています。色々なことを教えられた一冊でした。