新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか  上杉隆

新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか (PHP新書)

著者が言いたいことはタイトルそのもの。報道お偽りや怠慢を事例から立証している。嘘というよりも政府発表が記事になるということの方が近いと思う。それはなぜか。記者クラブというグループのほかにニュースソースがないからだと著者は延べている。しかしそれにしても酷いありさまだと思う。

福島原発事故調査はIAEAなどの検証が必要だと言われていた。理由は国内機関に不信感があるからだ。その選択は国や東電が行なうわけだが、メディアは中立を超えこうした意見すら掲載されなかった。

「…IAEA調査団を24日から6月2日までの間、受け入れると発表した。調査団はIAEAの専門家らやく20人で構成される (産経2011/5/17 web) これを読んだ人は5月下旬になってIAEAが原発事故後はじめて日本に来た、との印象を受けただろう。だが実は三月十八日にすでに調査団は来日して一次情報を収集し、同月三十日には、高濃度の放射性物質が検出されたとして、飯舘村に避難勧告を出すよう日本政府に促している。WHOも女性と子供だけでも避難勧告させてはどうかと政府に打診していた….IAEA,WHOグリーンピース。三つの国際機関からの要請を拒否したことで、日本は世界から不信の目で見られている。しかし既存メディアはこれらの事実をまったくといっていいほど報じないため、多くの日本人は、自分たちが海外からどのような目で見られているかいまだ知る由もない」

本書にはこうした事実が詰まっている。新聞も読み方によっては良薬にもなる。しかし社説を始めとした囲み記事は新聞社=政府やスポンサーの意向で溢れている。たとえば与党を二分した消費税だが日経は衆議院で可決したことをひたすら褒め称えていた。新聞社全体が大政翼賛会であり反論や別な見方などまったく書かれていない。値上は理解できてもマニフェスト・ルールを破ったことに変わりはなくそのことをもっと追求すべきではないのか。ようするにメディアは“政府の意向”で世論形成を図ると見る必要がある。

こうしたことは“マイノリティ”が育ちにくくする。イノベーションを産みだしにくい土壌。責任の一端はメディアにあるのではと思う。メディアのこうした姿勢や文化は、いつかきた道を戻ることになりかねない。実に危険なことだと思う。

 メディアに対するひとつの考え方として読むべき一冊だと思う

 

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