坐禅
坐禅に参加したく調べてみたところ、北鎌倉にある円覚寺にて行なっていた。悟りとか、無我という領域でなく、内省する、見直す、考える、そんな三昧をしたかった。
“1282年 北条時宗が中国より無学祖元禅師を招いて創建された”とあるから歴史のある寺だ。また数多くの夏目漱石をはじめ数多くの文豪が縁を持っている。その日も数多くの人が拝観に訪れていた。
実際の坐禅は“居士林”という場で行われる。時間に余裕があったので境内を散策する予定だったのだが、30分前にはすでに列をなして並んでいたことから加わることに。ひとりなにやら不安な心で本を片手に20分ほど待つと中に通された。
熟練者が多数おられ颯爽と準備し坐られていく。あたりを見回しながら手順が間違っていないか確かめながら私も坐ることに。いつのまにかうごいていた空気がとまるかのように静寂していく。
この空気に馴染みたいと思っていると僧がこられ坐禅会は始まった。坐って心を調える。いまこうして坐っていることは、何かとつながっている。将来のなににつながっているのかは知る由もないがつながっているのだろうと思いながら、自分自身を見なおし続けた。何が見えるわけでもない。静まった空気、鳥の声、風の音、木立の音に包まれながら考えた。
すると数分間の休憩となった。いつのまにか30分もたっていたのだ。休憩といっても少し体を揺らす程度で何をするわけでもなく、前半を思いめぐらしていると後半に入った。
少しゆとりがでてきたのか、何も考えずに腹式呼吸を意識てきに繰り返すことに。そのうえで耳と肩、鼻と臍を直線で結ぶなど姿勢に気遣った。そうするとほんの僅かだが空気に馴染めたようなそんな気がしてきた。
わずかな時間だが文明の利器と離れ、心を調える。とても気持ちの良い時間だった。繰り返し通うことで余分なものを捨てていきたいかと思う。つぎは自ら打たれようと思う。