テーマは「なぜ我々は志を抱いて生きるのか」気がつけば涙腺が緩くなっている自分がいた。人生に往復きっぷはない。その瞬間は2度と戻ってくることはない。日々雑務に追われて生きていくといつのまにか【志】や【目的・目標】を失念していることがある。それよりも【志】とは何かについて正面から向き合って考えたことがあったろうか。広辞苑によれば【心のむかうところ。心にめざすところ】とある。だがどこへ“むかい、めざしたら”たら良いのか。

志とは【与えられた人生において多くの人々のためにそして世の中の人々のために大切な何かを成し遂げようとの決意】であるとの教示を得た。自己理念を考えたとき、自からの【存在理由】とは何かを考続けた。結論は “身近な人の幸せ”だと思った。しかし日常の生活では得てしてこうした“生きる目的”を忘れ日常に流されてしまう。気がつけは身近な人の幸せを犠牲にしている自分がいることが多々ある。失念していた瞬間は二度と戻ることがない。しかし悔やんでいる時もまた取り返すことができない。すべてを受けとめいまある自己から未来に向かって歩むしかない。その上でそうした過去の解釈を変えられる自分に成長するほかないのだと思う。

田坂教授は“ニーチェは【人生を終える時、もう一度同じ人生を繰り返すことができるか】と問うたとき【然り】と答えたという”人は誰でも“あの苦労、あの失敗、あの挫折”さえなければと思うという。しかし悔いの無い人生とは【困難、失敗や敗北、挫折や喪失】では無く、それがあったからこそ“成長”することができたと語れる人生ではないかと言われる。

こうした哲学的なことでなくとも、将来どうなりたいのかについて正面から考えた人とそうでない人では数年で大きな違いがあるように思う。違いとは、経済的な豊かさを指すのでない。不平不満がない豊かな心ではないだろうか。実際の生活ではお金が無いことは不自由なこと。だが心が貧しいのは寂しい。これは二軸でしっかと考える必要があるのだと思う。お金を追求するがために“身近な人”を幸せにできないなどあってはならない。

感慨深い100分だった。2日たったいまも、余韻がさめることはない。50冊をゆうに超える著書の作品をまずはすべて読み込みたい。

 

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