恐慌の歴史  浜矩子

On 2012年2月9日, in 政治・経済, by admin

恐慌の歴史~“100年に一度”の危機が3年ごとに起きる理由 (宝島社新書)

読み応えたっぷりの新書だった。経済学者やアナリストで楽観的な論評をする人は少ない。その中でも著者はずいぶん以前から日本経済に警笛を鳴らしていた。本書は【恐慌の歴史】を紐解きながら日本だけでなくEUや米国にもこのままでは恐慌に突入すると論じている。

恐慌未経験者である我々にはそれがどれほど厳しいのか肌感覚ではわからない。わかっているのは先進国はそれぞれが厳しい状況にあるということ。少子高齢化社会を迎える日本は厳しい政治判断が求められると言うことである。

国内の景気認識の定義として「ITの進歩によって企業は生産性をあげる一方で人件費の低い国に生産や事務作業を移管できる、コストが劇的に下がる」と考えている。その後のシナリオとして、工場は海外へ移転し貿易赤字の可能性が今後さらに高まる。さらに他の収支にも影響がでて経常赤字となりかねない。その結果金利が上昇し国債による資金調達が困難となる。

こうなれば“恐慌”が現実的な問題として迫ってくると思われる。著者はいまの状況を「赤字国債の発行を続けられなければ、政府支出ができなくなりかねないため、そのような状況下では、国債相場が下落して利回りが上昇する。となれば赤字はさらに拡大していく。そんなことがいつ起きてもおかしくない状況が目の前にぶら下がっているのだ」と述べている。

そうなれば連日のギリシャのデモが他国のことではなくなる。実際2011年には、財政破綻を回避するため、政府支出を引き締めたところ大規模な暴動が起きた。米国は「ウオール街を占拠しろ」とデモが巻き起こっている。国民性なのか危機ではないのか日本でも、起きてはいないが黄信号が点滅している。新興国についても“新興国バブルはいずれ恐慌になる。その被害は経済全体に及ぶ”と述べている。

著者のロジックを積み上げると“八方塞がり”である抜本てきな対処方法が見えない。地域主権と言っても、小さなコミュニティのレベルではできることは多々あろうが、デフォルトを起こしかねない状況ではその程度で立ち直れると考えづらい。

それぞれが持っている“権利”を一度手放させるような強行手段が必要なのではないか。経済規模からIMFや世銀では日本を一時的にでも支えることは困難だという。そうなればギリシャにとってのEUのような外圧がこれから増すことを考えなくてはならない。

著者の論理は厳しい。だがいまからでも真摯に受け止め対策を講じる必要があると思う。

 

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