レーガン – いかにして「アメリカの偶像」となったか (中公新書)

日曜の日経書評や三省堂本店でも本書が取り上げられていた。レーガンが首相となる前年の日本を含めた西側諸国はモスクワオリンピックをボイコットしていた。原因は1980年のソ連がアフガニスタンへ侵攻にある。米ソ冷戦構造は激化するばかりだった。こんな混沌とした時期に元俳優のレーガンは大統領となった。

いままでレーガンにそれほど着目をしたことはない。ただソ連ゴロバチョフ大統領との和平や当時中曽根首相の不沈空母発言などは記憶に深い。最近では空母の名前になっていたことから驚きを覚えた。だが本書を通じてレーガンの素顔を見ることができた。レーガンは信念を通す政治家であった。

米国の大統領は持ち時間全体の70%以上を外交問題に費やすという。いちど官僚の方に日本はどうなのかと尋ねたところ、正確なデータはないが首相の一日(産経新聞・退出時間がのっているため)から算出すると50%を割るらしい。同じ一国のトップでも仕事の中身はずいぶんと違うようだ。

レーガンはベトナム戦争やイラン米国大使館人質事件など傷ついた米国から“強い米国”振り子を戻すこと執念を燃やしていた。目指したのは『小さな政府』・『強い米国』である。当時経済でも大きく傷ついていた米国は本来軍事予算を削減する必要があったように思う。しかしレーガンの就任演説は『われわれの自制心を、決して誤解してはならない….必要とあらば、われわれは勝利するに十分な軍事力を維持する。そうすることで軍事力を行使する必要がなくなる可能性が最大化されることを知っているからである』述べた。もうひとつは『現在の危機において政府なるものは問題の解決にならない。政府こそが問題である』と就任演説で喝破したという。

まさに米国ならでは強さや意気込みを感じる。盟友であるサッチャーとともに選択したハイエクの経済政策は的を得て鋭いVラインを描く経済体質を創ることができた。だが決して順風満帆であったわけではなく、2期目にはイラン・コントラ事件がレーガンを待ち受けていた。

本書を通じて幼い頃からのレーガンを知ることができる。決して恵まれた家庭で育ったわけではない。まさにアメリカン・ドリームそのものかも知れない。うらやむのはこうした強い政治家が日本には生まれないことである。政治家のインセンティブはつぎの選挙に当選することだろう。1年生議員の仕事はつぎの選挙に受かることだと堂々と述べる政治家もいる。政治家の仕事がそれであってよいはずはない。支持を集められるレーガンのような人物がいまの日本には必要なのではないだろうか。

米国のすごさを再認識させた一冊だった。

 

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