日中国交正常化 – 田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑戦 (中公新書)

中国との関係が良い関係かと問われば、そうは感じられない。だが第二次大戦後に台湾と国交を結んだ日本は中国との国交が無かったのである。本書は台湾、尖閣、戦後補償問題を解決し、国交が結ばれるまでの現代史を記したものである。

当時の中国はソ連との関係が悪化しており米国や日本と国交を結ぶ必要があった。そのようなことから、米国はウオータゲート事件で2年後に辞任することとなるニクソン大統領が中国を訪問している。日本はというと台湾との関係から、中国との国交には数多くの反論があった。国内の木は熟していないが、時の総理大臣田中角栄は中国との国交を条件に大平、中曽根、三木らから党首選の応援を受けていた。本書からはまずこのような史実が確認できる。さらに当時の状況について次のように語っている。

『官房副長官だった後藤田正春は“党内の意見調整もまだ不十分なまま、総理と外務大臣の大平正芳さんと二階堂さんが訪中した。わたしは留守番役だったが、それはまさに政治生命をかけた総理の決断だった。と論じる。橋本恕も、”右翼による襲撃の危険をもかえりみず、訪中したのである。中国にも日中戦争のため愛する家族を失った多勢の人々が、田中総理を襲撃する恐れもあった。文字どおり命がけの訪中であった』とある。大平外務大臣が遺言を認めての訪中だったとのことである。

こうしたなかでの国交を可能にしたのは相互の政治家がもつ権力に寄与するところが多い。田中角栄は訪中前に次のように語っている。

『第一世代というのはどこでもそうだけれども、やっぱりそれなりのリーダーシップ、指導力を持っている。第二世代、第三世代になると、その辺の力は衰えてくるものだ。第一世代が健在なうちに、こういう難しい問題は解決しなきゃいけない。こっちは最も力が強いうちにやらなきゃいけない』

中期的視点ではまさにこのタイミングがベストだったのだろう。歴史的転換点とも言える日中国交正常化だが、それはまさに命がけであった。

本書は膨大な調査やインタビューから論じられ数々の賞を受賞している。明治維新や戦後史を読むと当時の政治家や官僚の凄さを感じてならない。我々がやらなければならないのは緩い政治を批判することでなく、自己のなかで何ができるかを考え、実行することなのだと思う。勉強になる一冊だった。

 

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