ケインズとハイエク―貨幣と市場への問い (講談社現代新書)

毎年、年末は来年の経済予測の類の本を数冊買っては読んでいた。何年も続けていたのだが忘れてしまうことやほかに読みたいものが多数あったので今年は辞めてみた。そんなかの一冊が本書だ。きっかけは昨年から日経『やさしい経済学』にケインズ、ハイエクなど経済学理論の解説がなされていることにある。

二人の考え方と違いと自らの考え方について次のように著者は述べている。

『彼らは(ハイエクとケインズ)は市場を不均衡か均衡ではなく、人々が貨幣を余計に保有したり(=不況)手放し過ぎたり(=バブル)する過程として描こうとしている。ハイエクはそれを銀行による不要な信用拡張や予想を調整するために行なうコミュニケーションの結果だと考え、ケインズは投機が引き起こす人々の不安や慢心に由来すると考えた。本書では貨幣保有状況や人々の間のコミュニケーションが、市場経済を高揚も落胆もさせるのだと考える』

国内経済は20年に渡って冷え込み未だ晴れ間すら見えない。EUも米国も混沌としている。すべてに共通するのは“政治問題”である。二人の対策は中央銀行が強く関与する。中央銀行と政治の距離は極めて近い。このようなことから時の政権がハイエク型かケインズ型かによって中央銀行の金融政策は左右するのだと思う。

ケインズ型は社会主義に近い。公共事業投資など政治にとって行いやすい理論だ。公共投資によって景気を扶養させることが困難であることは数多くの経済学者が論じている。米国ではレーガン、ブッシュ(親子)、イギリスではサッチャー、日本では小泉首相がハイエク型政策に近い。しかしいずれも政権が変わるとまるでオセロのように政策が変わっていく。ブッシュ(父)一期であるが、それを除けば共通するのは『選挙に強い』ことだ。

また米国、EU、日本のどの国も財政赤字を抱えている。それでも債権を発行し財政政策を行おうとしている。過日日銀の方とお話をする機会があったのだが『手放す』ことの重要性を話されていた。まるで選挙に弱い政権が自らの政党を助くるために公共投資をするそんな風にも見える。

実に学びの多い一冊であった。本来リベラルアーツの必修科目なのである。しかしながら恥ずかしいことに原典を読んでいない。本書のような比較的わかりやすいものを少し読み込んでから挑戦しようかと思う。

 

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>