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2年ほど前、『資本主義はなぜ自壊したのか』(著者 中谷巌一橋大学名誉教授)が出版された。著者は、“日本の文化感や日本の特性を生かすことが経済再生の道と論じた。当時中谷教授よりその思いを直接学んだ。それは市場原理主義からの大きな転換であった。リーマン・ショック後の出版であり教授の転換はメディアでも注目を集めた。

日本文化を活かすというコンセプトは理解できるも、アングロサクソンとの間に距離が生まれるであ考え方には安保の点からも不安を感じざるをえない。本書も“失いつつある日本文化を取り戻すこと”が日本再生への道程ではないかと論じた一冊だ。だがデザイナーの視点、表現はまた別な気づきを与える。観察眼の角度の違いを感じるのである。文化感がいま何故重要なのかについてつぎのように述べている

『おそらく日本の人々の誰もが、この大きな転換点を感じているはずである。そこには明治維新依頼、西洋化に経済文化の舵を切ってこの方、抑圧され続けてきたひとつの問いがうっすらと、しかしながらしっかりと浮上しつつある。千数百年という時間の中で醸成されてきた日本の感受性を、このまま希薄化させるのではなく、むしろ未来において取リ戻していくことが、この国の可能性と誇りを保持していくうえで有効ではないかと』

このコンセプトに基づき著者の行動やさまざまな日本の原点を本書は紹介する。最近日本発のイノベーションを目にすることはない。『商品』は価格が支配ししつつある。“優れたコンセプト”が創出できなければ東アジア圏に優ることはできない。

我々が持つプリミティブな感覚を思い起こすことが再起する方法ではないだろうか。四方を海に囲まれたこの国は暗黙知の共有が多民族国家に比べて行いやすくまた重要視されている。食をキーワードに考えると捉えやすい。和食のレシピーには“少々”という言葉が使われる。洋食のレシピーにはない表現である。感覚で捉えることができるのである。盛り付けも至ってシンプルだ。洗練という言葉が馴染みやすい。そうかと言って単に和に回帰するのでなく明治維新後、特に第二次世界大戦後に取り入れた西洋の文化を日本に文脈に落とし日本色をすこし濃い目にした感性が求められるのではないだろうか。そこで生まれたコンセプトは他国が真似ることはできようはずもない。ここでは暗黙知の共有も強みとなる。

著者はこうした思いについてこう述べている。

『旅館のもてなしは、型にはまっていて窮屈な面もあるが、日本人に限らず日本を訪れる異国の人々にも根強い人気がある。独自の文化に根ざしたもてなしのかたちが、今日でも広く支持されている事実を冷静に考えると、その先に、これからの日本の産業の一躍を担っていく観光のかたちやその未来を、おぼろげに想像することができる』

西洋化の進化ではない、この国の進化によって成就する。これも日本の歩み方ではないだろうか。

 

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