世界を知る力 日本創生編 (PHP新書 749)

著者は情報分析に加え、骨太な歴史観の上に未来を語ることは著名である。本書は日本人の心の礎を親鸞の教えに置き論じている。私自信は、仏教は無論、宗教全般に対する知識は少ない。しかし諸先輩がこうした考えや教えを基に雑事を紐解く場に良く出会う。そのつどリベラルアーツの少なさに嘆くのだが進歩がない。これを是非今後の機会としたいと思う。
著者は自らの、哲学や歴史観をもとに閣内に助言を与えている。そうした中で震災後の日本のあり方を語ったのが本書である。

考えかたの軸いとも言える親鸞の教えを次のように教示している。

「私たち修正の譲往生は、すべての衆生を救済するという誓いを達成せんとする阿弥陀仏(他力)の働きによって持たらされるのであって、わたしたち凡夫のはからい(自力)には左右されない….むしろ自力でとことん努力を積み重ねたうえで、圧倒的な敗北感、無力感、挫折感を経験しないと、本当の意味で理解することはできないのではないだろうか…自力と他力。水と油のようでいて、まったく、そうではないのである。自力は他力に即され他力は自力を持って働きを見せる。危機のときこそ、他力と自力は共鳴しあい、私たち衆生に、蘇生するための光明と力を与えてくれるのではないだろうか」

ひと言で言えば“この絶望的な状況から這い上がろうと突き詰めたとき“自らを助けるもの助く”作用が働く“というのが著者の考え方である。日本人は明治維新、大戦、そして震災と節目を迎えているという。石原慎太郎は今回”堕落“という言葉を使った。渋沢栄一も関東大震災時に”堕落が震災を招いた“と述べている。お二人とも被災者への慈悲を踏まえつつ、日頃に一部の堕落した行動を指していたったのである。著者はこうした発言については述べていないが6月に政府発表された報告書について次のように述べている。

「貧困を生みだす構造を取り除かないかぎり、問題の解決には至らないのと似ている。厳しい現実を踏まえながらも、対処療法に陥ることなく、体系的に問題解決の方法を考えなければならないだろう。その意味で6月末に政府の復興構想会議が提出した報告には大いに失望させられた。この報告書を受けて菅直人首相は「歴史的な重厚な報告書」と評価したが日本の知的劣化を象徴するような構図を見る思いである。そこには復興を構想付づけるビジョンもグランドデザインもない」

これがいまの政治、官僚、知識人の限界なのか。「堕落」なのではないか。そうなのであれば極めて危険だと捉えざるを得ない。著者が歴史を紐解くとこうした行き場がない状況になると「救世主」を求めるのが人の常であるようだ。しかし救世主に対する盲目的な渇望が震災以上を招くと述べている。関東大震災後の大戦を指しているのだろう。本書を通じていま日本がこうした状態にあることは随所で気付かされる。また将来に対する渇望が見えないことも事実だ。今月号の文藝春秋には次期総理をめざす野田財務大臣の論文が掲載されている。しかしまずは問題を先延ばしせず、マニフェストや指針をなにも実行できなかった責任を論じるべきだろう。こうしたことも著者が述べる悲劇への端緒なのかも知れない。

本書は全般を通じて歴史と現実を照らし合わせながら考え方を教示してくれる。政治に関与せず、被災地でない場に生きる者は、まず目の前の仕事を淡々と行うことが何かに結びつく。また知性を高めるために日々研鑽することも同様である。そうしたなかで、自らができることは何かをいま再び考え行動する必要があると痛感した。

是非手にしたい一冊である。

 

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