ジャーナリズムの陥し穴: 明治から東日本大震災まで (ちくま新書)

ジャーナリズムの影響力は大きい。帯には「事実を追わないマスコミは今すぐ退場せよ」とある。実際受け止める側は報道が真実か否かは推測を超えることができない。ワイドショーなどが情報を歪めるからだ。不二家が“みの もんた”の無知・無邪気な発言により倒産に追い込まれたのはこの問題の典型だ。また著者が政治に影響力を示すことは「サンデープロジェクト」でその瞬間を見てきた。みの もんたと同列に著者を扱うことはできないが、このように国民だけでなく企業や国家に対してもメディアは強い影響力を示すのである。

本書は明治からのジャーナリズムの歴史について多くの紙幅を取っている。他国では戦中報道は大本営発表となり特殊なものとなるためか敗戦によりメディアは倒産に追い込まれることを耳にしたことがある。しかし第2次世界大戦挟んでも国内メディアの企業体は何ら変わることがなかった。 “GHQが占領政策を円滑に進めるため”というのがその理由だった。

「軍国主義に宣伝機関になっている日本のジャーナリズムを、そのまま占領統治、つまり民主化と、ふたたび日本の世界の脅威にならない存在にするための宣伝期間として使えば良いと考えたのです」
これを見れば前記した問題点、誘導政策を意識的に行っている証左である。

ジャーナリズムが作った穴に陥らないために我々はどうすべきかを考えねばならない。こうしたことを日々考えているわけにもいかない。現実的なのは比較検討し自らの意見を持つことではないかと思う。例えば産経新聞と朝日新聞の主張を比較するなどだ。主だったニュースの時に行う程度で良いだろう。主張が違う月刊誌ならよりよいように思う。ひとつのニュースに対し企業のバイアスがどうかかるかを知ることで真実が見えてくるのではないだろうか。

巻末に1990年当たりからの政治家との会話が記載されている。その中に鳩山元首相が普天間問題を著者に相談している一節がある。

“ちょうどこのとき(2010年5月)、鳩山から私のところに「ちょっと話がしたい」と連絡があった。私は「岡田さんに、自分の考えがあると言った時、本当に考えがあったのか?」と訊いた。すると鳩山は「実はなかった」と言う。….「実は行こうと思っていた(沖縄)しかし周りが総理は動くなと言われた」と言うのである。周りと言うのは平野官房長官や北沢防衛大臣のことだ。前述にように岡田は手を引いている。私は言った「あなたね、そんな言葉を信用したのか?」鳩山は力のない声で「必ず実現するからと言われたから信用した」と答えた。「どうするんですか、これから」「いや、だからこうして相談しようと思って。どうしたらいいでしょうか」”

この首相を民主党は選択したのだ。政党として綱領と理念は結びつく。創業者であったにしてもあまりにもひどすぎる。これが新聞やTVのメディアに出ていたら果たして信じたろうか。扱い方によっては信じないように思う。

経営における情報の扱いもどうようだ。指針を明らかにして考察しなければならない。

 

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