官僚の責任  古賀茂明

On 2011年7月25日, in 政治・経済, by admin

官僚の責任 (PHP新書)

著者は過日「日本中枢の崩壊」で紹介した現職官僚である。前作どうよう考えさせられる一冊である。1993年の夏、自民党政権は38年ぶりに下野した。当時どの政治評論家は、日本の政治は実質“官僚が仕切っているので問題ない”と述べていた。著者の論調からその志を読み解くことはできない。政治家と比較してではあるが「日本中枢の崩壊」で私は未だ信頼感を持っていると述べた。政治家が処方箋を描けない以上官僚に信託するほか方法がないからである。

引用しながら現状を少し整理したい。

①  “国民の貯蓄率には現在のところまだ余裕がありそうだが、国と地方を合わせた借金総額は、2011年度には1000兆円を突破する勢い。国民一人当たり、じつに780万円のシャキンを背負っている勘定になり、しかも1990年には60兆円あった税収はいま40兆円。…”
②  “増税によって国民から集めた金で社会保障をまかない、かつ膨大な借金を減らそうと思えば、もはや消費税を30%まで引き上げるしかない。そうなったとしても、我慢強い日本人は過去の遺産を食いつぶしながらも、死に物狂いで頑張ってしまうだろうから、しばらくはそれでなんとかやり過ごしかもしれない。が、やがては力尽き、やってくるのは、歳入の不足で行政が立ち行かなる「政府閉鎖」。IMFが乗り込んできても、財政状態のあまりのむごさにお手上げ状態、日本は滅んでいく…これが、このままいけばいずれは日本がたどる道筋であることは、多くの人間が器具するところだった。

いまのギリシャと同様か。それ以上かもしれない。1000兆円を突破すると約400兆の借金を個人は有しているのでほぼ使いきったことになる。子ども手当や農家戸別補償など夢のような話というのが現実だろう。日銀買上を除いて国際に国内処理が難しくなれば本書の議題にあるような公務員の行末も少しは変わるのだろうか。JALやこれから始まる東電などとは比べ物にならないくらいその処理は難しいだろう。天下り問題は本書に延々と書かれている。しかし年金削減などと言ったらその比ではないだろう。
著者は「官僚は身分制」だという。政治は「家業」だと私は思う。高学歴連鎖するのもどうようだろう。士農工商のゆり戻しのようにも感じる。

 有効な処方箋や提言は本書からも見当たらない。時計の針は戻すことができない。まず経済財政諮問会議などにより叡智を集めることが一歩なのではないか。それを官僚が精緻なプランとし、政治家が責任を負う。小泉型の手法が望ましいように感じてならない。
 本書だけではないが、最近の新刊から楽観的なイメージを汲み取ることはできない。自らを律し、目の前の仕事に励むしか無いのだろうか。

 

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