現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 訳者 齋藤孝
指針のようなことを考えるうえで拝読をした。あり方や生き方を考えるうえで多くの提言と出会うことができた。初編に「修身学とは、行動の仕方を学び、人との交わり方や世間での振るまうべき自然の「道理(倫理)」をのべたものである」とある。人としての“生き方、こうあるべき、こうでなければならない“自らを振り返るとこうしたことを学び実践してきたとはとても思えない。
経営と企業理念についてはずいぶんと考えてきた。詰めれば中小企業では特に個人理念が重要である。この根底にあるのが“修身”ということになるではないか。道理のなさを殊更内省しなければと感じ入る。
日々雑感に惑わされる。“自助自立”した指針がないからこうしことを来すのだと思う。自立について本書は次のように述べている。
「独立の気概がない人間は国を思う気持ちも浅い。独立とは、自分の身を自分で支配して、他人に依存する心がないことを言う。自分自信で物事の正しい正しくないを判断して、間違いのない対応ができるものは、他人の知恵に頼らず独立していると言える。自分自身で、頭や体を使って働いて生計を立てているものは、他人の財産に依存せず独立していると言える。
人々にこの独立の気持ちがなく、ただ他人に頼ろうとだけしていると、全国民がみな、人に頼るばかりでそれを引き受ける人がいなくなってしまう。これをたとえていえば、目の不自由な人の行列に、手を引いてくれる人がいないようなものである」
“自分自信での正しい判断”この力を高まりは“生きる力”の高まりだと思う。たとえ孤高となろうとも妥協しない強さが必要なのではないか。自分に言い訳をして妥協すれば正しい判断などできようはずはない。白虎隊の“ならぬならぬ”理屈ではなく、曲げないという心構えがなくてはならないと思っている。
日々足元で起きるでき事の雑感を整理したく本書を読んだ。しかし本書を通じて国や社会と個人との関係を多方面から教わった。文中では国民の“ゆるみ”をずいぶんと懸念していた。振り返るといまの社会そのものようにも思えるのだ。
今日のできごとは旧来の延長線上にすぎない。突然おこったことではない。それを踏まえ考え行動しなければならない。