日本よ、「歴史力」を磨け―「現代史」の呪縛を解く

著者過激であることを割り引いても“歴史力”を身につける必要性はあると思う。一般に歴史は高校で終える。その後は司馬遼太郎などで興味を深める程度だろう。こうした国家観を考えているとは思えない歴史や国語教育がいまの国の有り様を作っているのではないだろうか。著者は冒頭【歴史力なき民族は滅びる。歴史力なき民族は誇りを喪い、自己への信頼を抱けず、遂には心が萎え、精神的な滅びに至る】と述べている。中谷巌一橋大学名誉教授の講義を2年程前に半年間に渡って受けた。企業論なのだが、初回講義で10冊程の指定図書を読むように宿題がでた。目的は日本の文化、文明、宗教観などを得とくするためだ。歴史力の無さと貧弱な創造力は結びついているように感じた。これは歴史力だけではない。リベラルアーツ全般の不足と言える。
こうした歴史力を身につけるのに本書が適切か否かについての自信はない。今後も持続的に学ぶ必要性を痛感している。

著者の“中国”への不信は強い。些か過剰だとは思うのだが、いまこうした考えがあること、本書で述べている史実があうことを我々はしっかりと身にける必要があるのだと思う。著者の思いを引用して紹介したい。

「日本でも多くの人々が中国側の言い分を鵜呑みのし、或いは中国の主張はおかしいけれども、結局日本は非難されても仕方がないのだと諦めてしまうケースが目立つ。もし、日本側が牛国の主張に疑問も抱かず、反論もしなければ、事実だとされていく。…. “卑劣な国家”としてのイメージが固定化されていくのである。中国の主張は、欧米諸国に拡がり、歪められ捏造された情報は中国政府の悪意ある支援を得て、さらに広く深く浸透していくのである」

中国との経済交流が今後も続くであろうことは間違いない。正確な自国の歴史を知ること、その上で自らの立ち位置を決めることが我々に求められているのではないか。尖閣問題を始め、横暴な振る舞いが日常化している。“駄目なものは駄目だ”という凛とした態度が必要ではないかと思う

 

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