ユングの性格分析 (講談社現代新書)

性格について考えるときユングを外すことはできないと思う。1988年初版99年22版とある。数多くの読者に読まれている一冊だ。本書の特徴にはユングが分析に至った哲学的背景が3章に渡り解説されていることにある。新書のボリュームで100ページ近くに渡る解説は珍しいのではないだろうか。結論を先取りしても良いとのことだったがじっくりと背景を読むことにした。

哲学的背景の端緒にフロイトがあるように本書を通じて感じた。その前に人間はどうして一つの物事に多様な判断をするのだろうか。文中には男女の考え方の違いがなければ争いの半分は消えるのでは無いかとすら述べられてもいる。その考えの礎となるらしき箇所を引用したい。
「普通人、は自分の価値観を唯一の正しい基準と思っているので、その他のあり方など考えてみようともしないし、認めようともしない。しかしどうやら人間は大きく分けて二つのまったく違う価値観の持ち方があるようだということに気がついたのである。…個の集まりとして社会を形成する人間という動物は、結局、他人との出会いのなかで自分を確認し、相互にわかり合うことで本当のものごとを了解するのだが、価値観の違う人がいるということを知らないと、何ごとにも地震が持てなくなる….」

“多様な人間がいることを知る”これが生きる上では重要だということになる。価値観についてはこのブログでも相当の書籍を紹介してきた。それは中途採用者が短期的に辞職する理由の一つに価値観の違いがあるからだ。価値観は職歴を含めた経歴によって違う。加えて本書では“外交的、内向的”といった性格の違いも相違を生みだすことを示している。これをフロイトとアードラーの考察を基に論じているので引用してしたい。

「ユングはこの両者の考えを熟考し、フロイトのように、自分の外にある対象に大きな価値観を認め、それとの関係をなめらかにしょうとするような態度を外向性とよび、その反対に、自分の内なる意思を優先させ、身体的な衝動よりも、無形の精神力の強さを主張するアードラーのような考えを外向性と呼ぶことにした。
 つまり外交的態度は外へ外へと関係を求めて拡がり、内向的態度は、外からの圧力に対してあくまでも自分の価値観を守ろうとするのである。
ユングにとって、この二つの正反対の態度は一つの心の局面を表していて、どちらにとっても、その反対の傾向は未発達のまま、無意識の中に埋もれていることになる。そこで彼にとって、夢や幻想のような無意識のあらわれは、そこに埋れていて日の目を見たがっている道で未発達な部分の表現なのであって、いつかはその部分が意識的な人格に統合され、さらに大きな人格への発展を促す創造的な性格を持つものと考えられた。」
ここで明らかなように事象に対する解釈は全く違う。組織を構築するにあたってこうしたことを踏まえて考えるか否かではずいぶんと結果が違うように思う。

組織と直面する人、これから組織を創る人におすすめの一冊である。

 

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