日本人の誇り  藤原正彦

On 2011年6月9日, in 書評, 雑感, by admin

日本人の誇り (文春新書)

 日本の成長が鈍い理由に「大東亜戦争の未処理」をあげる知識人は多い。それは国家としての考えを明確にしていなことにある。本書でも取上げられる“教科書問題”に一因がある。その要因の一つが1982年鈴木善幸内閣 宮沢喜一官房長官の「配慮」発言にある。対外への配慮は、南京事件など中国との問題、大東亜戦争の事実、東京裁判など我々が知るべきことを知る機会を失った。“誤った歴史教育”を受けてきたという印象は否めない。 
自国の史実知識の欠如は自国愛の欠如へと帰結する。これが自助自立を妨げているというのがオピニンリーダーの考えである。こうした考え方を持てないのは個々の問題ではある。しかし教育にその端緒があることも間違いない。
配慮は教科書だけではない。2009年の国会議員143人の中国詣で。陛下への強硬なアポイント等々である。しかし“尖閣問題”を防ぐことさえできなかった。APEICを含めたその対処は国恥としか言いようがない。

 本書は著者の研究結果を踏まえ日本の歴史について論じている。これがすべて史実か否かは知ることは難しい。当然のことながら反対意見も多いだろう。また著者の国家観が随所で述べられるのだがこれについても同様だろう。しかし反対意見者も凛とした著者の考えに感嘆する人は多いのではないか。
 
 短絡的な思考でなく史実や問題の背景を踏まえたうえで、尖閣問題のようなできごとに“自らの考えを持つ”ことが“誇り”につながるのではないか。文明という切り口で“誇り”について次のように述べている。

 「日本人は古来、新しい進んだ文明に触れると、繊細で知的な民族性だけにすぐに自分達のものと比べ劣等感を抱き、それを見習い取入いれてきました。漢字も仏教も西欧の技術もそうでした。ところが不思議なことに、その劣等感をバネに、それから新文明に必ず日本特有の色を加え、すでにある自分達の文明と融合させた独自のものに作り替えて行くのです、そうやって進化と洗練を繰り返してきた結果が日本文明なのです」

 こうした文明を持つ民であることを誇りに思うべきなのだろう。“恥”ということをこの国は意識してきた。日本から金が流出したのも“約束を守る”という姿勢からだ。奥ゆかしさも日本人の心の美であるように感じてならない。
 
誇り高き“美意識”これが日本の心だと思う。

著者はお茶の水女子大学名誉教授の数学者である。その著者の研究成果は一考に値することは間違いない。

 

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