菅直人 市民運動から政治闘争へ 90年代の証言

本書は1990年代を振り返り当時のキーパーソンとの対談をまとめた一冊だ。本書が興味深く読めたので他4名についても購入した。追って紹介したいと思う。

 まず90年代がどういう時代であったかを振り返りたい。最近のでき事から振り返れば神戸の震災がまず浮かぶ。まもなくオウム真理教事件が発生する。バブル崩壊後の厳しい時代であった。本書では次のように紹介している。

「すでに冷戦時代は終わりを告げていました。そして、いよいよ平和が訪れるかと思いきや、湾岸戦争が起き、「テロ」や「北朝鮮の核」という新たな脅威に直面しました。一方国内政治は「混迷」の時代だったと言えるでしょう。自民党による単独政権時代が終わり、軸足のはっきりしない権力闘争が繰り返されました。国内経済はさらに惨憺たる状況でしたバブル経済の崩壊とそれに続く不良債権処理問題と金融機関のあいつぐ破綻国家財政も巨大な借金に悲鳴をあげました。まさに長期不況に沈み込んだ10年でした」

暗い印象を感じる。しかしこうした中からITブームが生まれる。いついかなる時も前向きなこともり二律背反か。当時の印象を言えばITや携帯電話の自由化などもあり“産むための苦しみ”という印象があった。本書で取り上げる現首相の“菅直人”はこうした激動の中で成長著しい政治家であったと感じる。社民連、さきがけ、民主党と政党を移りながらそのつど大きく変化をする。実際、社民連の記憶あまりない。やはり“さきがけ”での厚生大臣だろう。薬害エイズ問題、カイワレとメディアで取上げられた。これが今の地位のきっかけではないだろうか。
本書を紐解くにあたってひとつの問題意識があった。リーダーシップの不足、献金問題などから総理としての基盤は相当ぐらついている。首相の考え方を知ることでこれからの対応を推測するということである。

今後の菅政権を推測

問題意識を刺激する一節を紹介したい。村山総理(自社さ政権)辞任についてだ。
菅「95年1月に阪神・淡路大震災があって、村山総理が辞めたのはその翌年の1月ですね。ある意味では村山さんは燃え尽きちゃったんですよ。疲れちゃったんです。これは若干あと知恵ですが、村山さんが自民党に政権を譲ったのは大間違いだったと思うんです。本来なら村山さんは、次の展望を持って自分の手で衆院を解散すべきだったんです。村山さんは北海道知事だった横路孝弘さんあたりを後継にして、どこかの時点で解散して、今度は自民党に頼るかどうかはべつとして「自分たちが主導の政権をつくるんだ」と打ってでなければいけなかったんですよ」

この文脈から読み取れるのは【解散】【後継】である。当然のことながら【主導】的にとなる。これに本書全般の文脈を重ねると、どうすれば【自らが主導】になれるかが軸でありどういう【国造り】をするかは感じられない。リベラルなど言葉はでるが極めて具体性に欠ける。これだけの文字数なので相当のインタビュー時間を要しており割愛されたとは考えづらい。こうしたことから考えると次の仮説が生まれる。

【主権は国民のためでなく、民主党またはみずらかのグループが軸となる政治をどう創出するか】が軸となる。ということである。スケールは違うが村山政権も震災後でありその時の考え方を論じている。あたりまえのようだがやはりここに尽きるのだ。

“国民の為”ということを本書からは感じることは出来なかった。また今の政権からも感じることはできない。それは他の政党も同様である。政治とはそういうものなのか。他国と比較するにはあまりにも判断材料が少ない。しかしどうも“日本”の政治には違和感を覚える。こうしたことを踏まえ経営判断をしなければならないことだけは間違いない。

 

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