民の見えざる手 デフレ不況時代の新・国富論

本書副題は【デフレ不況時代の新・国富論】とある。マーケティング戦略の鉱脈としてさまざまな提案がなされている。自らの考える力が如何に脆弱かを思い知らされる。俯瞰して考察をすることの大切さを教示された。

プロローグでは政策が無意味であるかを次のように述べている。

 「….ここで思い出されるのが、バブル崩壊後の日本でたびたび繰り返されてきた「緊急経済対策」だ。ざっと300兆円にも上る景気対策費用は、あらかた「緊急」とは思えない
公共事業に使われたが、ついぞ景気は上向かなかった」
ここで我々が捉えなければならないのは“国が資金を投じても景気は上向かない”という結論である。著者は「今や経済はマクロ政策が効かないだけでなく、政府そのものが無力になっている」とまとめている。

 “政府が無力”という著者の言葉をどう捉えるか。個々の判断には違いない。しかし例えば昨日の竹中氏はこれだけ意味の無い政策が繰り返されていても、いまの経済状態を保てることはすごいことだと述べている。他の識者も政府の限りない力不足について発言している。俯瞰して考えればこの酷さは歴然としている。裏をかえせば我々は鉱脈を発見しなければならないのだ。

 本書はこの鉱脈がいまだ国内にも多数ある。海外へ目を向ければその数は限りないと論じている。セレディピティとロジカルシンキングこの連立方程式が答えを導きだしてくれるのだろう。例えば3/1日経には“ゲームセンターで過ごす老人”の増加が取り上げられていた。日に3000円を消費する人もいるとのことである。これは“コト”がコンセプトだろう。友人とともに過ごす、ともにゲームをする物語の共有、出会。ゲームは手段にすぎず企業はBaの提供者なのだ。

 こうしたコンセプト・デザインを描くことが企業の命運を握るのかもしれない。本書には多数の鉱脈がながれている。貴重な出会いだったと思う。

 

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