日本中枢の崩壊   古賀茂明

On 2011年7月15日, in 書評, 雑感, by admin

日本中枢の崩壊

現役官僚が官僚制度や政治の問題について論じたものである。元官僚が問題点を論じている書籍は高橋洋一氏を始め多々ある。しかし離職勧告が出ているような状況とは言え現役官僚が書いている書は少ない。また東京電力問題をはじめタイムリーなテーマにてついて多々述べられている。

日本の購買力はOECD(30カ国)23位といった低さである。1993年に2位だったことからこの落ち込み酷さは目を覆いたくなる。こうしたことを踏まえ著者は次のような危機意識を頂いている。

「このままでは今後も凋落現象には歯止めがかからないわけで、いま、そこそこの生活をしていても、10年後には町には失業者が溢れ、経済的困窮から犯罪者が増え、治安も悪いという悲惨な国になっている可能性は非常に高い。現在、日本は危急存亡の危機に直面しているといっても過言ではない。大震災でますます追い詰められた。いま何もしなければ、各自に日本は世界のなかで埋もれていく。それどころか数年以内に歳入の不足で行政がストップする「政府崩壊」という事態にもなりかねない。分水嶺に立たされているいまこそ、非常事態であることを認識し、対策を考えなければ、滅びへの道が避けられなくなる」

この状況は無論震災が生み出したものではない。元々5%程度消費税を上げてもどうにもならないのが実態らしい。そこに追い打ちがかかっただけのことだ。日経15日トップには“3年以内に海外移転4割”というアンケート結果が出ている。ここまでくれば政治や行政に直接携わらない人々も安心と安全を確保するため行動すべきではないか。

いまさら政治に失望はない。長きに渡った官僚制の問題もあるのだろう。しかし残された道は長期的視点で官僚がグランドデザインを描き実質的に政治を支配する以外に無いのではないだろうか。国政選挙は最低でも12年に5回ある。この間に党内の選挙や地方選などもある。結果として耳あたりの良いポピュリズムに振り回されることとなる。信託などできるはずはない。危険ではあるが座して死を待つよりよいように感じる。

本書の意図は官僚制度の問題を説いているのであり私の意見とは大きく違う。天下りやサボタージュ、政治との関係性など官僚の抱える問題を告発している。しかしそれでも信頼を感じてしまうのである。

 

自省録  中曽根康弘

On 2011年7月14日, in 書評, 雑感, by admin

自省録

自省とは「自分の言動を反省する」とある。本書は総理としての言動と行動、その時々の意味が深く語られている。政治家が自らの思いを語る書は多々ある。しかし歴史の中枢長くいた政治家の書は数少なく、貴重な一冊だと思う。

5年に渡る総理在任期間には現JRの国鉄改革、NTTなど歴史に残る偉業も数多い。本書冒頭に小泉総理から引退勧告を発せされたときの様子が生々しく述べられている。橋本総理時代に決められた比例代表永久1位という約束を違える時も話だ。生々しい時間の描写が綴られているの。小泉総理が早々に正解から身を引いた理由はここにあるのかも知れないとさえ思える。

総理という職は歴史の審判を受けると述べられている。この当時の政治家は長きに渡り総理になるために準備をしていたように感じる。消費税を導入した竹下総理、省庁改革を行った橋本総理と偉業をなしてとげている。しかし昨今の状況はとてもそうは感じられない。この数年異常な事態が続いているとさえ思える。

経済問題を優先するものの結果とは程遠い。乗数効果がでないことが明らかになっているにも関わらず繰り返される補正予算。400兆の借金を覗くと1000兆円が残るがあと2年持たない。2014年が分水嶺だろう。こうしたときは中曽根総理のようなグランドデザインを示せる人物が求められると思う。

いまを挟んで時代が大きく転換するのだと思う。自らの足で立てるようになることが自らに与えられた使命であることに違いない。

歴史を感じる一冊だった。

 

論語と算盤 渋沢栄一

On 2011年7月13日, in 書評, 経営者, by admin

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)

論語と算盤 渋沢栄一  訳 守谷淳 

教養とはこういう書をどれだけ習得したかによるのだと思う。本来青年期に読むべき一冊をいま頃、読んだ自分を恥ずかしく思う。著者はあまりにも有名である。企業人としては、みずほ銀行、アサヒビール、王子製紙と日本の錚々たる企業の創設者である。また本書は経営者のバイブルと言っても良い。

経営においてもっとも重要なのは企業理念だと思う。随所で述べてきたがビジネスモデルをいくら描いても理念がなければ経営をすることは難しい。理念を指針と置換すればまさに論語はそのものだ。ペーパーづくりに夢中なっても成功は難しいのではと思う。
企業や政治の不祥事は主に“お金”にまつわることが多い。経営にお金は無くてはならないものだがお金について本書は次のように語っている

「お金は社会の力をあらわすための大切な道具でもある。お金を大切にするのはもちろん正しいことだが、必要な場合にうまく使っていくのも、それに劣らずよいことなのだ。よく集めて、良く使い、社会を活発にして、経済の成長をうながすことを、心ある人はぜひとも心がけて欲しい。お金の本質を本当に知っている人なら、良くあつめる一方で良く使っていくべきなのだ。よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味する。…お金に対して、無駄に使うのは戒めなければならない。しかし同時に、ケチになることも注視しなければならない。良く集めることを知って、良く使うことを知らないと最後は守銭奴になってしまう..」

“良く使う”とは以外と難しい。個人のケースで考えれば“利他の心”で使うことになるのではないだろうか。家族など身近な人の幸せのために使うこと。我欲で欲しいものを買う前に利他を優先する心が求められるのではないだろうか。企業の文脈に落とせば適正な投資と分配になるのではないかと思う。

本書は国家・社会・企業・個人といった思考で構成されている。自らは最後に考慮するのだ。本来これが“人のあるべき姿”なのだろう。長期に渡って成長を可能にする企業は、こうした思考で経営理念が作られている。これはゆとりがあるからできるのでなく、どうあるべきかを常に考えつづける結果なのだ。
文中には“四十にして惑わず”とある。しかし我を見返せばいまだ迷走が続いている。その理由がここにあるのだと思う。まずは揺るがない志を構築することから始めなければならない。

読み返したい一冊である。

 

日本の復元力   中谷巌

On 2011年7月12日, in 政治・経済, 書評, by admin

日本の「復元力」―歴史を学ぶことは未来をつくること (MURC BUSINESS SERIES 特別版)

約3年前「資本主義は何故自壊したのか」で幅広い注目を集めた。その研究背景である歴史観を本書では詳しく述べている。副題には“懺悔の書から1年半今ここに希望の書を贈る”とある。著者は日本には他国にはない文化がある。この文化が復活の要素であると言う。震災前が初版であることから影響度の考察はなされていない。しかし経済力が復元する要素の有無を問うには別段問題はないだろう。

文化がキーワードであることに異論はない。しかし“一億総中流”というよりパレートがより濃く表れる時代になるのではないかと思っている。その傾向がすでに現れているようにさえ思う。例えばヘッドハンティング対象者とリストラ対象者、複数内定者と未就職者、サスティナブルな変革経営と返済猶予などである。こうしたことが流動的ではなく固定化し始めているように感じるのである。

ここでいうヘッドハンティング対象者が猛烈に学んでいることは言うまでもない。その学びの姿勢が対象者へと導いているように思う。“希望”が持てるのはすべての人でなく、こうした対象者に限られるのではないのだろうか。少し厳しいようにも思う。またこうして書きながら自らを戒めているのも事実だ。無論“学び”だけが要素ではない。成し遂げたいという執着心も必要である。いくつもの要素が重なりあってはじめて希望が持てるのだと思う。こうした要素を持つチームに限り、日本文化という共通の価値観が効果的に働くように感じる。

著者は「…主客合一である。主と客は合一しているのが望ましく、首と客を分離しない。人間も自然界の一部であって、その中にいることが幸せだと感じる。それが日本人の感性である。自然をこよなく愛でる日本文化の特性を考えるとこのことが実感できるだろう」と述べている。

こうした価値観を有する日本人はやはり2割に過ぎないように思う。主客合一どころか“客の主張は聞くべき”という人が多い。本書を通じて感じるのは著者が述べるような人間になることが成長の要なのだと思う。先般、産経新聞日本人の識字率は5%に過ぎないと書かれていた。その原因は知る機会が“ワイドショウと中吊り広告・携帯”に限られることにある。新聞ですら政局は発信するが政治の発信は少ない。こうした現状を変えない限り蘇るのは厳しいのではないか。

 

NEWS 海外移転

On 2011年7月12日, in 雑感, by admin

振り返れば2011年は分水嶺となるのか。
多くの知識人がこうした見解を示し始めた。海外移転を
止める要素は日々少なくなっていく。ソリューションの
不足から海外移転は困難というのも一つの解である。し
かし国内マーケットの縮小、輸入の拡がり、人材不足な
ど311以前の要素に政治不安がプラスされた。多方面
から考える時なのだろう。インドネシアでの様々な動き
があるようだ。

詳しくは

 

成功と失敗の法則  稲森和夫

On 2011年7月8日, in 書評, 経営者, by admin

「成功」と「失敗」の法則

仕事の成否は何が決めるのか。苦しみから立ち直るには自分となるにはどうしたら良いのか。修羅場をどうくぐり抜けるのか。突き詰めれば己自身の力でしかない。本書にはそうした“生きるすべ”が述べられている。

“試練は魂を磨く絶好の機会”という節がある。

「様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息絶えるその日まで倦まず弛まず一所懸命に生きていく。その日々を磨砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。…試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人、そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです」

“心を高める”ことを目的とするには些か修行が足りない。しかし利他の精神があってこそ生きる意味があるのだと思う。それは物質などではない。心なのだと思う。抽象的になりがちなのだが、“傾聴は器”という言葉に言い表されているようにも感じる。
このような成長を遂げるには“貪欲・怒り・愚痴”の三毒を日々薄めることが大切なのだろう。著者は「人間にはもともと、煩悩の対局に位置する、素晴らしい心根があります。人を助けてあげるとか、他の人のために尽くすことに喜びを覚えるといった美しい心を、誰もが心の中に持っています。しかし煩悩があまりに強すぎると、なかなか表にでないのです。だからこそ、努力して、煩悩を抑えることが必要です。そうすれば、人間の心根にある、美しく優しい心が必ず出てくるはずです」

つまるところ「美しい心」を持てるようになれるか否かが幸せ度を決め手になるのではないだろうか。そのためには物事を正面から見据え成長の為に絶え間ない努力をすることになるのではないだろうか。その努力が煩悩を抑えることを可能とし美しい心へと近づけるのではないか。

美しい心のためには、日々の反省が大切だと本書は述べる。“貪欲・怒り・愚痴”の三毒を抑えることできたのか、利他の心で生きることができたのか、そうしたことを反省することではじめて成長の一歩が踏み出されるのかも知れない。

考え深い一冊だった。

 

経営論  宮内義彦

On 2011年7月7日, in 書評, 経営者, by admin

経営論

本書初版は2001年。国内が失われた10年と言われていた頃になる。いまと違うのは国家債務と政治への信頼感ではないか。少し調べてみると小渕総理が倒れ、森内閣が誕生した年とのことだ。小泉旋風の直前である。本書はそんな時期に書かれている。

著者は現在もオリックスグループ最高責任者として会社を牽引している。また細川護煕内閣より規制改革委員を長きにわたり務めている。最近規制改革という言葉をあまり聞くことがない。果たして規制緩和は実行できたのか。まったく進んでないというのが現実だろう。かんぽの宿問題では、鳩山邦夫衆議院議員からずいぶんと責められたが不動産価値は下がり続けている。未だ赤字を垂れ流しているとするならば、政治判断は財を毀損させたのではないかとさえ感じてならない。

著者は“社会的要請で経済活動を制限せねばならない規制の範囲はもっと狭め、市場経済のプラス面を取り入れることができるはずです。そのほうが経済全体にとってはプラスなのです”と述べている。NTTやJRの例はあるものの、他については検証したわけではない。仮説として捉えることが必要である。しかし規制や認可が“安心”に繋がらないことは数多い。例えば証券会社や銀行は許認可業務であるが倒産をする。今回の原発も同様であろう。原発のような事例は新しい取組みが必要だと思うが、著者がいうように市場経済を取り入れられて始めて発展をするのだと思う。競争が商品やサービスを創出するということを失念してはならない。

 規制改革と景気対策はトレードオフではない。しかし1992年以降約175兆円の経済対策が行われている。著者は経済対策が不況を長期化させたとして次のように述べている。

「景気対策として政府が需要を作り出すことは、ちょうど病人にカンフル剤を投与し続けるのに似ています。構造改革によって効率を高めるという抜本策を進めようとしなかったために、不況を長期化させてしまいました」

景気対策における実際の乗数効果は極めて低い。著者がいうように規制改革を実行し抜本的な対策を打つべきではないかと思う。

 

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おとなの美術館 (日経ホームマガジン)

本物を見ることでクリエイティビティが養われるという。どこまで成長ができるかは些か疑問に思うのだが月1程度は行くようにしている。過日神奈川県立近代美術館へ赴いた。鎌倉まで足を運んだのは「おとなの美術館」の紹介による。

「古都鎌倉に美術館を建てるに当たり、板倉(建築家、板倉準三作)は桂離宮のような日本の美を近代建築に取り入れたいと自然との調和をとのある空間を作り上げました。この開放感と、日本の優れた建築に通じる繊細な意匠を感じて欲しい」

少し歩きたかったこともあり思わず足を運んだ。当館は1951年に日本で始めての公立美術館として開館したとのことである。60年の歳月を経てもいまだ外観は時代感を感じさせることはない。文中にあるように自然との調和が実に見事だ。蓮の葉に囲まれるその姿はとても趣を感じる。内装のレトロな雰囲気もどこか落ち着きを覚える。鎌倉に行かれることがあれば是非一度お勧めしたい。

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オバマも救えないアメリカ (新潮新書)

アメリカは階層社会だ。日本とは医療保険制度が違うアメリカは階層社会で苦しむ人々は医療をうけることすら困難場合が多い。また大学などの学費は日本の数倍となる。国内でも東大などの進学を可能にする親の年収は平均を大きく上回る。早期にこの重要性に気づけば取り返しは可能である。ファイナンスの支援はあるが米国では日本のようにはいかない。負の連鎖を絶ち切ることが困難なのである。

問題のひとつである“医療保険問題”の解決を掲げオバマは大統領となった。辛うじて法案を通したものの求められていたものとは大きく違った。こうした問題については貧困大国アメリカ:堤未果でも知ることができる。“政府支援がどうあるべき”は環境が変化する中で断定的なことなど言えるはずはない。選挙において選択をすることになるが、正しい選択が可能だとは到底思えない。
健常者であれば“時代に合わせる”ということになるのではないか。制度は変動する。公約は約束ではない。よって多様なメディアから発信される情報から判断選択し自らの行動に結びつけるということになるのではないだろうか。本書はこうしたアメリカ民衆の声を幅広くレポートされている。

「その期待は裏切られた?それとも法案を可決させたことに満足している?」
「どちらでもないな。僕自身、2008年、2009年はオバマ・フィーバーの中にいた。でも、今振り返れば、彼なら何とかしてくれるかも知れない、という淡い願望だった。彼が口にしたことがすべて上手く運ぶなんてあり得ない。政治家は、どんな時だって国民にもっともらしいことをアピールするけど、実際は弱者の苦しみなんて分かっていないんだ。日本だって同じだよね。一体国民の何%が内閣を信用している?日々の生活に満足している?今回の津波による被害を見れば、簡単にわかるじゃないか。この国だって政府を称えている人なんてほとんどいないよ」

“学問のすすめ”を通じて福沢諭吉は政府と信頼について多くの紙幅を取り重要性を訴えている。しかしどうやら難しいらしい。いみじくも本日松本大臣が軽口により辞任している。安倍内閣では農林大臣が連続して辞任した。改造を含め7人の大臣が就任したのである。更にそのうちの一人はベルを無断で押し議員辞職に追い込まれている。すでに民主主義という制度が疲労しているのではないだろうか。

そういう視点を裏付けさせる一冊だったと思う。

 

学問のすすめ 福沢諭吉

On 2011年7月4日, in life Style, 書評, by admin

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

現代語訳 学問のすすめ 福沢諭吉 訳者 齋藤孝

指針のようなことを考えるうえで拝読をした。あり方や生き方を考えるうえで多くの提言と出会うことができた。初編に「修身学とは、行動の仕方を学び、人との交わり方や世間での振るまうべき自然の「道理(倫理)」をのべたものである」とある。人としての“生き方、こうあるべき、こうでなければならない“自らを振り返るとこうしたことを学び実践してきたとはとても思えない。

経営と企業理念についてはずいぶんと考えてきた。詰めれば中小企業では特に個人理念が重要である。この根底にあるのが“修身”ということになるではないか。道理のなさを殊更内省しなければと感じ入る。

日々雑感に惑わされる。“自助自立”した指針がないからこうしことを来すのだと思う。自立について本書は次のように述べている。

「独立の気概がない人間は国を思う気持ちも浅い。独立とは、自分の身を自分で支配して、他人に依存する心がないことを言う。自分自信で物事の正しい正しくないを判断して、間違いのない対応ができるものは、他人の知恵に頼らず独立していると言える。自分自身で、頭や体を使って働いて生計を立てているものは、他人の財産に依存せず独立していると言える。
 人々にこの独立の気持ちがなく、ただ他人に頼ろうとだけしていると、全国民がみな、人に頼るばかりでそれを引き受ける人がいなくなってしまう。これをたとえていえば、目の不自由な人の行列に、手を引いてくれる人がいないようなものである」

“自分自信での正しい判断”この力を高まりは“生きる力”の高まりだと思う。たとえ孤高となろうとも妥協しない強さが必要なのではないか。自分に言い訳をして妥協すれば正しい判断などできようはずはない。白虎隊の“ならぬならぬ”理屈ではなく、曲げないという心構えがなくてはならないと思っている。

 日々足元で起きるでき事の雑感を整理したく本書を読んだ。しかし本書を通じて国や社会と個人との関係を多方面から教わった。文中では国民の“ゆるみ”をずいぶんと懸念していた。振り返るといまの社会そのものようにも思えるのだ。

 今日のできごとは旧来の延長線上にすぎない。突然おこったことではない。それを踏まえ考え行動しなければならない。