Yahoo! Googleの検索連動型広告を最大限に活かす SEM 成功の法則

マーケティングを再考するうえで書庫から本書を取り出した。SEOを含めて常に考え続けることが求められる。Webマーケティングを外してマーケティング戦略を考える事は難しく、やはり軸に置かざるお得ない。

本書は2008年初版1版であることからすでに3年が経つ。この間検索yahooがgoogleの検索システムに移行するなど大きな変化があった。SEOは順位が不安定なこと、結果を得るまで時間がかかること、知識の積重ねが必要なことなどwebの製作者ではない弊社には些かハードルが高い。そんな企業にとってPPC広告は効果的な手段と言える。

3年を経過するが基礎的な参考書であることから十分活用できる。ROIの管理、キーワード選定、広告手法などと、今さらながら気付かされることも多い。またキーワードによっては高コストとなるのでレスポンス以降の追客が重要となるのは言うまでもない。

マーケティングを考えるときやはり4Pが基礎だなと常に思う。販売、終了の繰りしはどこかで歪を起こす。歪の解決の処方箋はリピートの獲得方法である。そのためには4Pを日々向上させることが必要だと思う。また情報量は増え続けお客様は選択肢が困難になっていく。激しい価格競争やデフレの一因はここにもあるのかも知れない。また決定までの時間もう要するようになる。本書では次ように述べている

「このため、多くのユーザーは、最もお得で、かつ安心なサイトやサービスを見つけるまで、時間をかけて比較検討を行うようになっています。いわゆる比較サイトが台頭している背景にも、こうした事情があるわけですが、アメリカで行われた調査によれば、広告がクリックされてから、コンバーションに至るまでの平均時間は、ここ2年で19時間から34時間に急増しているといった結果も出ています」

こうしたことからキャンペーンが重要なポイントとなるのかも知れない。キャンペーンは“背中を押す”行為に結びつきそうである。今後も多様な方法で広告展開を考えていきたいと思う。

 

ユングの性格分析 (講談社現代新書)

性格について考えるときユングを外すことはできないと思う。1988年初版99年22版とある。数多くの読者に読まれている一冊だ。本書の特徴にはユングが分析に至った哲学的背景が3章に渡り解説されていることにある。新書のボリュームで100ページ近くに渡る解説は珍しいのではないだろうか。結論を先取りしても良いとのことだったがじっくりと背景を読むことにした。

哲学的背景の端緒にフロイトがあるように本書を通じて感じた。その前に人間はどうして一つの物事に多様な判断をするのだろうか。文中には男女の考え方の違いがなければ争いの半分は消えるのでは無いかとすら述べられてもいる。その考えの礎となるらしき箇所を引用したい。
「普通人、は自分の価値観を唯一の正しい基準と思っているので、その他のあり方など考えてみようともしないし、認めようともしない。しかしどうやら人間は大きく分けて二つのまったく違う価値観の持ち方があるようだということに気がついたのである。…個の集まりとして社会を形成する人間という動物は、結局、他人との出会いのなかで自分を確認し、相互にわかり合うことで本当のものごとを了解するのだが、価値観の違う人がいるということを知らないと、何ごとにも地震が持てなくなる….」

“多様な人間がいることを知る”これが生きる上では重要だということになる。価値観についてはこのブログでも相当の書籍を紹介してきた。それは中途採用者が短期的に辞職する理由の一つに価値観の違いがあるからだ。価値観は職歴を含めた経歴によって違う。加えて本書では“外交的、内向的”といった性格の違いも相違を生みだすことを示している。これをフロイトとアードラーの考察を基に論じているので引用してしたい。

「ユングはこの両者の考えを熟考し、フロイトのように、自分の外にある対象に大きな価値観を認め、それとの関係をなめらかにしょうとするような態度を外向性とよび、その反対に、自分の内なる意思を優先させ、身体的な衝動よりも、無形の精神力の強さを主張するアードラーのような考えを外向性と呼ぶことにした。
 つまり外交的態度は外へ外へと関係を求めて拡がり、内向的態度は、外からの圧力に対してあくまでも自分の価値観を守ろうとするのである。
ユングにとって、この二つの正反対の態度は一つの心の局面を表していて、どちらにとっても、その反対の傾向は未発達のまま、無意識の中に埋もれていることになる。そこで彼にとって、夢や幻想のような無意識のあらわれは、そこに埋れていて日の目を見たがっている道で未発達な部分の表現なのであって、いつかはその部分が意識的な人格に統合され、さらに大きな人格への発展を促す創造的な性格を持つものと考えられた。」
ここで明らかなように事象に対する解釈は全く違う。組織を構築するにあたってこうしたことを踏まえて考えるか否かではずいぶんと結果が違うように思う。

組織と直面する人、これから組織を創る人におすすめの一冊である。

 

一橋ビジネスレビュー 59巻1号(2011年SUM.)

一橋ビジネスレビュー59巻1号に発表されて野中名誉教授が「知識経営の最前線」なる論文を発表された。

野中教授は“戦略の究極は”賢慮や実践的知恵、実践知の概念で「何が社会にとって善いことであるか」という共通価値観を持って、その都度の文脈で最善の判断を行う力である“と述べている。

 実際の経営では共通の価値観を持つことが難しい。本書で取上げられたHONDAの“3つの喜び”(創る喜び、売る喜び、買う喜び)などは最も成功した事例だと思う。こうした価値観や理念のもと“衆知経営”を行うことが重要であることを論じている。松下孝之助は「 最高の経営は衆知による経営であり、全員の知恵が経営の上により多く生かされれば生かされるほど、その会社は発展する」と述べている。
またチェンバース(シスコシステムズCEO)は “上から指揮命令する経営から、コラボレーション(協業)とチームワークの経営へと移行する”..チームワークと協業を促進する自律分散リーダーが全世界でつながるコミュニティ型企業の変身は、「衆知経営」の新たな潮流を感じる、チェンバースはその変化を以下のように語ると述べている。そのうえでSNSを使った衆知経営により「もうCEOに頼る必要はない。今では、ミニCEOやミニCOOにように、グループを率いることのできる人材がたくさんいる。アイデアも育てているが、人も育てているのだ。以前なら、私の後継者は2人しかいなかったが、今では500人いる」とまで述べている

野中名誉教授はこうしたことを可能とする、フロシネスの組織化について次のように語った。「実践知の組織化とは「自律分散型」のリーダーシップだ。すなわち組織やそのネットワークのあらゆるレベルで自発的な知識創造が起こることである。これはわれわれが主張した「ミドル・アップ・ダウン」のプロセスによって実現する。トップが大きな理想を示し、ミドルがそのビジョンを具体的なコンセプトや計画に落し込み、現実の文脈に合わせて対話と実践の場を醸成し、組織的に知を生みだす。そのプロセスを通じて、トップだけでなく、全社員がカリスマとなるのである」

フロシネスのリーダーシップ概念を知識創造理論では「実践知」と呼ぶ。ここまで実践知の実例とミドル・アップ・ダウンという日本独特とも言える組織プロセスの理論を紹介した。本文“知識経営の最前線”では“実践知リーダーの能力”などが論じられていく。次回以降本論について紹介していきたい。

 

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

思考方法の重要性を日々感じている。また思慮が浅いことで誤った判断をしたことも数多い。思慮を深めるにはそれなりの鍛錬が必要だと思う。本書はスタンダートな鍛錬方法を教示してくれる一冊だ。実際にはこうした方法を習得、対話による実践を重ねることで高見を目指すこととなる。
本書の目的を「哲学の勉強というのが、思考のスキルを身につけることだ、という認識は間違っていないと思う。そして使い方しだいでそれは実用的にもなる…紹介するスキルは、広い意味で“クリティカルシンキング”…に属する」と述べている。クリティカルシンキングといえば哲学というよりもビジネススキルに近いように感じる。身近に哲学的思考を学べることは嬉しい。いわば日々の実践は自らを向上させるに違いない。

クリティカルシンキングを著者は“批判的思考”と解説する。詳細は本書ゆずるとして“意見を鵜呑みしない・吟味を”この2点が批判だと述べている。そのうえで「結論としては同意する場合でも、その意見が本当に筋が通っているのかどうかをよく考えたうえで同意するのであれば、批判的といってよい。この意味における批判的な思考法がクリティカルシンキングである」と意図している。

“科学的思考や懐疑主義、価値的議論、論理的懐疑主義”哲学がもつ難解な思考法をクリティカルシンキングという視点から比較的やさしく解説をしてくれる。比較的としたのはすこしでも集中力が途切れると理解率が50%を切りそうだからだ。こうした本を含めてだが本は一気に読んだ方が良いと思う。一度本から離れると読み返しが必要だからである。一年間に300冊読む大学教授がいるが、その方は通勤を利用して読んでいる。しかし同じところを2度読まないと決めているそうだ。実はこの心構えは大変有効である。少々頭が疲れる手法ではあるのだが….。
 
足るを知るという言葉が身に染みる一冊だった。

 

寺島実郎学長の講演

サスティナブルな成長をするにはエネルギーが必要である。しかしエネルギー政策はグンドデザインが描けないどころか方向性すら危うい。分散の主たる対処であった西日本の移転は電力の15%削減によりその対象から外れたように感じる。最近では工場だけでなくNTTを始めとしたサーバーの海外移転すら始まっている。
利便性とリスクの観点から考えれば交通事故により年間7000人が死亡する。これは24時間以内であり高度障害などを含めれば数倍の数値となるだろう。しかし交通事故問題でここまで自動車メーカーに非難が及ぶことが最近あったろうか。論点が違うことは承知のうえだが利便とリスクは一種のトレードオフではないのだろうか。それを努力により下げるこれが発展につながるようにも思える。こうしたことを踏まえ考察を重ねければならないのではないか。
再生可能なエネルギーへの転換、化石燃料と温暖化、原発とリスク何を軸に考察をするのかそのヒントを得たく寺島実郎学長の講演を拝聴した。

学長の講演は、福島原発の不幸な背景、欧州の考え方、日本エネルギーの現状、世界観を踏まえ見解が示された。

福島原発について

まず福島第一原子力発電所は1971年GEの支援により完成されている。当時日本は自主的判断が出来る状態ではなかったとのことである。成田闘争、ドル・ショックと国内が荒れていた時代だ。近年の環境は、柏崎刈羽原発は中越沖地震により停止、浜岡原発も停止をしており、問題を抱えながらも稼働せざる得ない状況であったとのことだ。しかし三陸沖の女川原発は何ら問題がない。17㍍の津波の被害を受けることもなかった。1984年稼働の女川が無事だったのは運ではなくロジックである。幾度もの津波に襲われている三陸は津波の危険考慮し福島に比べ15㍍高い位置に電源を確保してあったとのことである。
ここで明らかであった情報に対し事前に対策をしていればこうした問題は発生しなかったということである。

国内情勢

鳩山前首相は温室効果ガス 25%削減を国連総会で言い放った。最も効果的なのは原発を軸としたクリーンエネルギー政策となる。結果として昨年6月の民主党原子力を軸としたエネルギー政策となり原子力が50%を占めることになった。よって福島第一原子力発電所はだましだましでも稼働せざる得ない状況にあったとのことである。
対外情勢

世界は温室効果ガスを削減する事で一致している(中国含む…?)。よってスリーマイル島事件から30年たってもアメリカはラインセンス許可を出さなかった。しかしオバマは原発推進の方向へ舵を切り替えている。中国はものすごい勢いで原発を作っている。隣国である韓国や台湾、ロシアも原発保有国である。欧州ではフランスは変わることがないものの、ドイツ、イタリアは政策が変化した。
しかし世界のエネルギー政策が、福島原発問題を起点に大きく変化をするだろうか。すくなくとも日本が多言語で現在の状況を発信したらイタリア国民投票の結果はどうだっただろうか。六ヶ所村を抱える青森知事選は4倍の表を集め現職が勝っているのである。

総論

整理したいことがもう一点ある。原発推進国は核保有国であるということだ。米国は30年も原発をつくっていないにも関わらず原発技術を有している。それは核開発をしているからだ。またIAEA予算の30%は日本で使われている。その六ヶ所村に常時3人が張り付き核開発のチェックをしているとのことである。

これはそれだけ着目を集めていると考えて良い。世界は日本の核武装を疑っていることの表れだそうだ。要するに一種の抑止力として働いているのである。こうしたことを踏まえ原子力問題から日本は逃げてはいけないとのことである。原子力と電力会社、人材、周辺諸国など問題はさまざまである。

要するに“原子力技術のリーダーとして国際社会に必要とされること”これがキーワードのように感じた。

(wiki : 国際原子力機関(こくさいげんしりょくきかん、英: International Atomic Energy Agency:略称:IAEA)は原子力の平和利用を促進し、軍事転用されないための保障措置の実施をする国際機関である)

 

知的生産の技術   梅棹 忠夫

On 2011年6月14日, in 書評, 雑感, by admin

知的生産の技術 (岩波新書)

 知的生産の技術の方法は技術発展により大きく変化をしている。初版は1969年、本書は2010年 84版となる。読み継がれるのは、知的生産技術の考え方に変わりはないからではないだろうか。

 カード式メモ、読書法、整頓と文具やPCにより方法は変わるが思考回路に変化はない。“知的生産”という意味を要約し「情報をえて、整理し、考え、結論をだし、他の個人にそれを伝達し、行動する。それは、程度の差こそあれ、みんながやらなければならないことだ」また「人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加にしかたとしてとらえようというところに、この「知的生産の技術」という考え方の意味もあるのではないだろうか」“自己の文脈”という言葉も知的生産に通ずるものがあるのではないだろうか。
 
 たえざる自己改革と自己訓練が知的生産の技術には重要だということを述べられているまさにその通りだ。情報の整理や思考方法を極めるに終わりはない。思考停止は考えるのを止めた瞬間である。What、howを絶え間なく続ける。その過程で生産ができるのだと思う。

 仕事は考える事の連続である。アメーバ式経営の強みは“どのような職種”でも考え続けさせることにあるのではないかと思っている。また“なぜを5回繰り返す”トヨタ式も同様だろう。知的生産技術は考える行為の礎なのである。
 
 カード式といえば本書でも紹介されるKJ方が有名である。実際フィールドワークやミーティングなどで幾度も使ったことがある。大判のポスト・イットを利用して行うのであるがさまざまな考えを集約してコンセプト化するのに大変役に立った。いまだひとりで考えるときも使うことがありデスクには常に置いてある。PPTで纏めるのも方法なのだが手を動かすことで発想が豊になるような気もする。

 文明の生態史観をはじめ数多くの著者を残され昨年7月に逝去された。著者の数多くの叡智に触れながら思考を高めたいと思う。

 

life style 朝ラン

On 2011年6月12日, in life Style, by admin


 雨で走れない日ある。そんな日は体調がいまひとつ優れない。3㌔程度でも体調管理には効果がある。以前紹介したいつものコースだがあじさいが咲き始めた。相模原市の花は紫陽花だったように思う。花言葉は“移り気”だが選挙民を思ってのことなのか。

 地域の人が管理をしているのか道沿いに花が多い。咲き誇る姿に心が和む。50㍍には及ぶのでずいぶんと大変だろう。周辺からは鳥の囀りが聞こえ終末になるとバードウオッチングの姿が目に付く。トレランコースである城山湖周辺には及ばないが専用のカメラを抱えていることからポイントなのかも知れない。

 折り返し地点は小さな森のような場所になっている。管理をされているので森という表現は適切ではないのかもしれない。それにしても森林浴は心がなごむ。木漏れ日の森がいつも心を静かにしてくれる。これがあるから続いているのかも知れない。

新宿まで1時間足らずなのだが実に自然が多い。先般リニアの駅候補として市が取上げられた。この町は東京駅や品川に直接は結びついていない。20年後のことは分からないが価値ある開発だとはとうてい思えない。地元の森林だけでなく本格的な山へも近い。また市内には道志川もある。“緑の玄関口”をコンセプトとした“まちづくり”が望ましいと思う。

 

共通価値の戦略 Creating Shared Value    マイケルE・ポーター

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 06月号 [雑誌]

文献はHBR/2011/6に掲載れているマイケルE・ポーター(以下ポーター)の論文である。ポーターは世界的経営学者である。競争戦略論、競争優位の戦略などが著名だ。本稿は“「競争の戦略」・「競争戦略論の優位」の議論を巡る答えであり、反論でもある”と編集者は目次で述べている。

東日本大震災による東京電力の原発問題は企業のありかたを問われている。個人的には国家が企業に責任を押し付けていると捉えている。遅々とした問題処理は民主党組織論であることは明らかである。たとえば信頼性を担保するには“対外機関の発表”などが必要である。オブザーバーは地震発生当初から助言がなされていたとのことである。しかし組織論がすべて堰止めているとのことである。

冒頭に政治を取り上げたのは“共通価値”は政治へも影響を及ぼすからである。

ポーターは「政府と市民社会は、事業活動を犠牲にして社会の弱点に対処しようとするため、多くの場合、問題が悪いほうにこじれる。解決策は「共通価値」の原則にある。これは社会にニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、経済的価値が創造されるというアプローチである。企業の成功と社会の進歩は、事業活動によって再び結びつくべきだろう」

共通価値とは“企業が事業を営む地域社会の経済条件や社会状況を改善しながらみずからの競争力を高める方針とその実行”である。これは、企業がグラミン銀行に代表される“社会的ニーズ”を収益以前の前提とする必要性に帰結する。
従来の概念であればこうした社会性は政治の領域である。しかし今日の社会ではこうした社会性を踏まえた事業活動を行う必要がある本稿は論じている。社会性を担保することで“技術や手法を通じてイノベーションを可能にする。結果として生産性を向上させ市場を拡大できるとの趣旨である。

これは“現地化”に結びつく概念である。日本はGDPの60%が内需である。一層の現地化は国内の失業率をあげることに結びつく。しかし世界的な貢献が可能なのであれば国内で雇用が可能なイノベーションを創造しなければならない。
 政府と市民社会は….問題が悪いほうにこじれる」と述べた。
 社会に対する企業の責任はより高まっていく。地域コミュニティも企業のパワーがより求められるだろう。東電問題の見せる政治の終焉は二度とあってはならない。

 

日本人の誇り  藤原正彦

On 2011年6月9日, in 書評, 雑感, by admin

日本人の誇り (文春新書)

 日本の成長が鈍い理由に「大東亜戦争の未処理」をあげる知識人は多い。それは国家としての考えを明確にしていなことにある。本書でも取上げられる“教科書問題”に一因がある。その要因の一つが1982年鈴木善幸内閣 宮沢喜一官房長官の「配慮」発言にある。対外への配慮は、南京事件など中国との問題、大東亜戦争の事実、東京裁判など我々が知るべきことを知る機会を失った。“誤った歴史教育”を受けてきたという印象は否めない。 
自国の史実知識の欠如は自国愛の欠如へと帰結する。これが自助自立を妨げているというのがオピニンリーダーの考えである。こうした考え方を持てないのは個々の問題ではある。しかし教育にその端緒があることも間違いない。
配慮は教科書だけではない。2009年の国会議員143人の中国詣で。陛下への強硬なアポイント等々である。しかし“尖閣問題”を防ぐことさえできなかった。APEICを含めたその対処は国恥としか言いようがない。

 本書は著者の研究結果を踏まえ日本の歴史について論じている。これがすべて史実か否かは知ることは難しい。当然のことながら反対意見も多いだろう。また著者の国家観が随所で述べられるのだがこれについても同様だろう。しかし反対意見者も凛とした著者の考えに感嘆する人は多いのではないか。
 
 短絡的な思考でなく史実や問題の背景を踏まえたうえで、尖閣問題のようなできごとに“自らの考えを持つ”ことが“誇り”につながるのではないか。文明という切り口で“誇り”について次のように述べている。

 「日本人は古来、新しい進んだ文明に触れると、繊細で知的な民族性だけにすぐに自分達のものと比べ劣等感を抱き、それを見習い取入いれてきました。漢字も仏教も西欧の技術もそうでした。ところが不思議なことに、その劣等感をバネに、それから新文明に必ず日本特有の色を加え、すでにある自分達の文明と融合させた独自のものに作り替えて行くのです、そうやって進化と洗練を繰り返してきた結果が日本文明なのです」

 こうした文明を持つ民であることを誇りに思うべきなのだろう。“恥”ということをこの国は意識してきた。日本から金が流出したのも“約束を守る”という姿勢からだ。奥ゆかしさも日本人の心の美であるように感じてならない。
 
誇り高き“美意識”これが日本の心だと思う。

著者はお茶の水女子大学名誉教授の数学者である。その著者の研究成果は一考に値することは間違いない。

 

TPP亡国論   中野剛志

On 2011年6月7日, in 政治・経済, 書評, by admin


TPP亡国論 (集英社新書)

震災でTPPへの意識は薄れたが他国は締結に向かって協議が進められている。元来TPP賛成派であった。しかし恩師に問題点を教示され再考足された。そんな時に本書にであった次第である。本書はTPPに絡む経済、歴史、政治的思惑などすっきりとまとまっており読みやすい。著者のスタンスはTPP反対なのだが代案の乏しさが残念である。

まずTPPについて簡単にまとめてみたい
TPP  : 2006年 シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランドにて締結。2010年3月 アメリカ、オーストラリア、ペルー、ベトナムが加わり8カ国で広域的な経済連携協定を目指すものである。農産物、工業製品の非関税化に加えサービス貿易、政府調達、知的財産、金融、人の移動などを対象にする包括的なものである。

こうした国策は国家戦略としてのグランドデザインを示しその達成手段として必要であると論ずることが望ましい。しかし中国の領海侵犯(尖閣問題)を処理できなかった菅首相がAPICで高々と第3次開国宣言をしたことによりメディアに扱われ始めた。
TPP推進は韓国を意識してのことである。韓国はアメリカ、EU、ペルーと既にFTAが締結されている。当然のことながら日本もFTAを進めている。しかしEU、アメリカなどとは交渉のテーブルすら着けていない。こうした状況でTPPが進められることとなった。

大まかには農業のGDPを優先し工業製品の輸出が疎外されて良いはずがないというのが賛成派の意見。日本の農業がこれでダメになるというのが反対派である。いまだ国会でもめているばら撒き4KはFTAを意識してのことだと思っていたのだがどうやらそうではなかった。

本書TPP反対論は、デフレ、貿易黒字主導戦略、食料問題などさまざまな点から反対を論じている。また韓国の成長は対円に対するウオン安であるとも述べている。著者主張はTPPに参加しても経済成長は難しい。米国からの輸出が強化されこれまで以上にデフレになるというのである。

経済成長が困難な理由は海外生産比率の高まりを指している。

「すでに日本の製造業の現地生産は進展しています。日本の自動車メーカーは、アメリカでの新車販売台数の6割以上を、現地生産車としています。報道によればホンダの2009年のアメリカでの現地生産比率は、8割を超えているそうです。日本の輸出産業は為替リスク回避のために、すでに海外生産比率を高めているのです….関税の有無はもはや輸出の増減と関係なくなりつつあるということです」

 これではTPPの価値は無くなる。

 これは海外売上高比率が高い企業を示したものである。2位につけているホンダの海外生産比率が8割であれば他企業も類推して考えることができる。高齢化社会を迎え国内売上高が大きく成長することは考えづらい。

“よってどうしたらよいか”といった結論をだすことは難しい。しかしこうした現状を踏まえTPPを含めた政治、また経営について考察をしなければならないと考える。