図で考える人の図解表現の技術―思考力と発想力を鍛える20講

『図で考える人は仕事ができる』の実践偏。すでに中国、韓国語版のすでに出版されている。世界的共通の思考法とも言える。図やグラフ。アイデアツールを使い仕事や人生観を考えることは以前から良くあった。本書拝読後は、こうした傾向がさらに強まった。新聞や雑誌を読むときもきちんと理解が出来ているか否を確認するのに利用している。以外と“理解したこと”にしてしまっているときが多いことに気づいた。こうしたときは別段ノートなどは使わず紙面に書き込んでいる。再読やファイリングの必要性が無い部分で行えばなんら問題はない。これからは習慣化したいと思っている。

 “図によるコミュニケーション”を本書では強調している。相互理解がなければコミュニケーションは困難である。組織は価値観の違う人間の集合である。中途採用が中心となる中小企業組織はその傾向が強まる。仕事や思考、求める結果も組織としての一線が決まっていなければ自己基準となる。この自己基準は概ね暗黙知である。周囲は決定基準が“わからない”ので唐突に感じたり、非常識に思ったりもする。また言葉に出すことも難しい。これは言葉を変えると“価値観の違い”だ。

 “理念と仕事”や“仕事と人生観”と言った仕事で必要な価値観を図解にすると、こうした問題は収まるのかも知れない。“自分がどうなりたいのか”それは“なぜか”を具体化するにも大いいに有効だろう。“言葉を作る”ことで相手の価値観を引き出すことはあるが、より具体化されるように思う

マトリックスに落として自分の考えをまとめることを良く行っていた。しかし文が箇条書きになってしまうことが多い。優先順位などはつけられるのだが腹に落ちないときがある。図解にすることで解決が可能なように思える。

 実践的思考法として手に取りたい一冊だ。

 

HBR 2011/1 検証 失敗の本質

On 2011年5月10日, in 書評, 組織, by admin

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 01月号 [雑誌]

戦場のリーダーシップ『求められる・現場感覚・大局観・総合判断力』 野中郁次郎

 HBR編集部は一橋大学名誉教授 野中先生に<人々を導くリーダーシップとは何か>というテーマで問いている。この20年日本経済は閉塞感に包まれている。2002/2から67ヶ月間に渡って続いた“いざなみ景気”は実感すら無かった。その後2008年9月にリーマンショックを迎え加速的に景気は悪化する。本稿は東日本大震災以前のものであり震災後のリーダーシップついて問うたものではない。

編集部は本稿の目的を次のように述べている。『日本企業はかつてのような勢いを失い、新しい価値創造に向けた取り組みを求められている。突破口を切り開くために、日本企業が目を向けるべきは『リーダー』である』と述べている。そのリーダー像を明らかにするために“太平洋戦争の指揮官たちの生き方や行動を通じて現代において求められるリーダー像を明らかにする”としている。
 
 野中教授らは“太平洋戦争における組織の問題を『失敗の本質』で問い直している。そこで得た知見について次のように論じている。

『失敗の本質で得た重要な命題の一つは、日本軍における過去の成功体験への過剰適用です。いわば”成功は失敗の元とでも言えましょうか』と述べ経営学的な問題意識は“情報処理”だったと述べる。そのうえで『情報を元に適応することはできても、創造することは難しい。創造の世界を開くのは、自分たちの思い(暗黙知)を言葉(形式知)にし、言葉を形(実践)していくダイナミックなプロセスです』

ここでの論考は“情報・反応”→ 過去の成功体験に基づく行動というフローで思考が停止による失敗と理解をした。いわゆる弁証法(テーゼ・アンチテーゼ・アウフヘーベン)という知の創造がなされなかったことがリーダーにおける問題として指摘を感じる。

次に知識創造プロセスをマネージするリーダーシップに求められるのはアリストテレスの提唱した『フロネシス・phronesis』であるとしている。フロネシスリーダーとは『フロネシスは究極の知。それは文脈に即した判断、適時、絶妙なバランスを具備した高度なリーダーシップです』と定義している。日々変化する環境の文脈に俯瞰して思考し判断選択することは難しいがこれを可能にするリーダーが求められていると述べている。さらにこうしたリーダーに求められる能力として次の6点をあげている。
①  善い目的を作る能力 ② 場をタイムリーにつくる能力 ③ ありのままの現実を直観する能力 ④ 直観の本質を概念化する能力 ⑤ 概念を実現する政治力 ⑥ 実践知を組織化する能力、組織に組み込む能力、としている。

こうした“資質”を持つリーダーを本稿にて検証している。こうしたリーダーは数多くの修羅場を積んでいた。決して一朝一夕に身につけたものではない。多数の経験が資質を磨くのではないかと思う。資質が先天的か否かをここでは問わないが『経験』が必要なことは間違いなさそうである。

 

WEDGE 2011/5

On 2011年5月9日, in 政治・経済, 書評, by admin

財政危機を招かない復興資金の調達とは 
 WEDGE OPINION 河野 龍太郎 BNPパリバ証券チーフエコノミスト

いまだ余震が続く中『東日本大震災第一次復興予算』が衆参を通過した。しかし国会は遅々として進まず“決定恐怖”のような様相が見え隠れする。一般に復興資金は20兆円程度と言われている。この数値も直後のものから未だ変化が見られないことに不信感を覚える。“補償する”ということばが一人歩きしているが、財源の原資に不安を覚えてならない。どこかの段階で増税や電気料金の値上げを覚悟する必要がある。その決定ができない政治に不信と不安を感じてならない。

政治不安は景気に影響を及ぼす。消費より倹約へと動くのは当然のことである。本来であれば20兆円を国はマーケットから吸収するのだから、長期金利の上昇や円高に向かうことが自然である。実際震災直後の相場はそのように動いた。なぜそう動かないのか著者はつぎのように説明をしている。

『2010年度の日本の公的債務(国及び地方の長期債務残高)はGDP比で180%に達する。未曽有の水準に達した公的債務に対し、極めて不釣合いな現象が日本で生じている。『円高、低い長期金利、デフレ』の共存である。本来未曽有の公的債務を抱える国は『円安、高い長期金利、インフレ』となってもおかしくない。その逆の現象がおきている。
 そうした状況が可能となっているのは、生産年齢人口や総人口の減少を背景に成長期待の低下とデフレ予想が継続し、民間の資金需要が高まらず金融機関が国債購入を続けているからである。つまり国債の増発ペースより民間の資金需要の低下ペースの方が速いため、国債の安定消化が可能となっている『デフレ均衡』。低成長とデフレであるが故に、長期金利の低位安定がつづき、財政破綻に至っていないのである。』

生産年齢人口の減少は以前“デフレの正体”でもレビューをした。しかし『民間の資金需要……』は些か異論がある。国債で安易にだぶついた資金が吸収される。逃げ場があるので“商品開発”がされない。よって民間に資金還流がなされないのではない。このことも一因にあるのではないかと思う。資金がだぶつくから容易な国債を可能にする。よって他の方法を考えないのではないのではないだろうか。

参議院の過半数保持は民主、自公いまのところ不可能である。しかし何らかの形で本予算関連法案の可決(修正がなされても)、2次補正予算の通過が夏前を目安に行われる。結果として国債残高が加速的に積み上がる。その点について著者はつぎのように述べている。

『今回の大震災によって、公的債務の臨界点が訪れる時期が従来よりも前倒しになった可能性がある。それでは我々は、導火線の長さが分からない爆弾を抱える中で復興資金の為の財源をどのように調達すべきだろうか。仮に復興に要する政府負担が4年間で15兆円から20兆円とすればそれはGDPの3%~4%に相当する。日本の財政赤字はGDP比で9%近くも毎年発生している….国債発行で対応する場合、直ちに国民に負担を求めることにはならないとしても、最終的には誰かが必ず負担しなければならない。経済状況が悪いから歳出削減も当面行えない、しかし復興のための財源は必要だ、というのが現在の政府のスタンスのように見える』

これは震災費用を除いたプライマリーバランスの図である。

税収37兆円に対して92兆の支出これがさらに悪化する。著者は本予算の見直し、時限的増税、短期的償却をする復興債の発行などを提案している。これが正解か否かは知る由もない。しかしそれぞれの立場で今以上にこの問題を考える必要あるのではないだろうか。

 

気づく人、気づかぬ人―“人材育成の超プロ”が書いた

著者佐藤英郎氏は、アチーブメント㈱で研修トレーナーを務めている。研修内容は個人向けの自己改革研修やリーダーシップなどの企業研修である。何度か著者の講演を聞いたことがあるが、説得力のある地に足がついた内容だった。著者は本書の中で「…研修の基本は“気づき”がなければ人の行動は変わらない」と述べている。それは「自分自身の現状と“どうなりたいのか”に対する深い“気づき”」だと言う。

わたし自身は、こうして自己啓発本を読むたびに新たな気づきを得る。毎日の生活なかで少しでも“成長したい”と考えるものの遅々として進まない。人生には限りがありこのペースでは…..と考えてしまう。プラン通りに進まないことから苛立ちを覚えることもある。こうしたことは可能にするのが自己変革なのだと思う。自己変革について著者は次のように述べている。

『自己変革や成功にとって重要なのは、実は、当たり前のことを当たり前にやることとして、しっかりやっていくことであると気づいたのです。大切なのは足元なのです。どれだけ高邁な理想や理論を掲げても、自分の足元がしっかり固まっていなければ、成功はおぼつきません。たまたま成功しても砂上の楼閣のように見せかけだけのものでしかないのです』

自己成長は単純で難しく“当たり前のことを愚直に実行すること”の他ないというのが著者の考え方だ。やはりこれには共感せざるお得ない。SNSで人の行動がわかるようになった。成功者や尊敬する人物が如何に行動的であり努力をしているかがリアルにわかる。それと自分とを比較すれば成長のハードルを超えられないことに納得せざるお得ない。こうした友人がいることに感謝の気持ちを持つことは当たり前のスタートと言える。

“小さな行動を持続的に摘み上げること”これができればすべてのことができるのだと著者は述べている。実際のこれは難しい。アチーブメントにはこうしことを管理する手帳がある。自分を振り返ると出来ていないことが多い。目標達成は結局とのところひとつひとつの積上げである。そのための手順、方法が分かっていても中々積み上がらない。苛立ちを覚えつつも持続的途切れることなく重ねるしかない。著者は『ごく当たり前のことを、継続して徹底してやっていくことが、足元を固めるといことだ』と述べている。根を張る、地に足を付ける、揺らがない自己を確立するには“日々当たり前の実践”をすることが重要なのだと痛感した一冊だった。

 

 図で考える人は仕事ができる

本書は図解については原理を論じた一冊である。
思考法にはいろいろとある。Webでアイデアツールを調べると数多く目にすることができる。本書は著者が“図で考える”思考法が如何に有効であるかを論じた一冊と言える。
考察を深めるときに図に落とすことは日常的に行っている。それは仕事や読書とさまざまである。特に新聞を読みながら紙面に書きこむことは日常化していると言っても良い。いまひとつ納得感を得られないときは、図解で整理し理解するように務めている。またミーティングなどでホワイトボードに図解することも良くある。たいていはグラフなどであるが全体を概観するのに如何に有効であるかを本書から教えられた。

コミュニケーションツールとしての図解

 全体概観を超越しコミュニケーションツールとしての有効性を著者は次のように述べている。『図解によるコミュニケーションの特徴は、図を囲んで話し合うことで相手の頭を刺激し、想像力をかき立て、こちらの企画に参加してもらえることです。図解を使うと相手も「企画の根幹に参加することができた」という実感を持つことができ、話し合いの内容も深く記憶に残ります。….文章によりコミュニケーションを「説得の技術」とすれば図解コミュニケーションは「納得の技術」ということができるでしょう』と述べている。

 会議などで全体の強い関心を抱かせ、意見を求めることは意外と難しい。そこには知識のギャップや価値観の違いがあるからだ。こうしたことは“肝”となる部分が“腹に落ちない”現象がおきる。そうなると会議の価値はない。中小企業では特に良くあることだ。有効な会議ためには、理解を深めること必要となる。

理解力を深める

 理解について著者は次のように述べている。
『….自己表現力の基礎として読む、考える、書くのを教えていますが(学校では)、社会人として必要なのもこの三つです。人の話を聞いたり本が読める「理解する力」新しいことを考え出す「企画する力」、そして相手に合わせて情報を「伝達する力」があれば、仕事をこなすことができます….教養があれば一つのことを効いても色々な情報を連想して深く理解することができますし、企画の歳も知識の引出しが多いとうことです』

図解で説明することは相手の理解を得やすい。さらに自分自身の理解力向上にも役立つ。結果として教養が増し多様な考えを創出することが可能となる。実際の図解は意外と難しい。また頭も疲れる。しかし“質”が高まることは間違いない。一読の価値ある一冊である。

 

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 04月号 [雑誌]

『ネットワークよりリレーションシップ』
 <フランス企業に学ぶ優良顧客との関係構築方>

マーケティングプランを考察するうえでSNSを外すことは些か難しい。それは企業側以外の情報発信を顧客が求めていることに一因があると考える。しかしリレーションやOne to Oneマーケティングを軽視して良いことにはならない。それ以上に強めるべきだというのが私の考えである。その仮説を検証する一環としてCRMやリレーションシップなどを過日から読み込んでいる。

本稿執筆者であるラリー・クレイマーは次のように論じている。

『多くの企業がソーシャル・ネットワキング戦略の策定に大金を投じ始めるなか、一部の仏企業が採っているアプローチは常識を覆すものである。大人数ではなく少人数の人たちと深く関わることにより、収益を伸ばしているのだ。….いずれもSNSの友達の数に神経を尖らせている企業とは対照的だ』

このように紹介したうえで成功事例を示している。こうした議論の難しさはどちらか一方が正ではないということである。Webマーケティングが覗いたマーケティング戦略などあろうはずはない。しかしSNSを軸でなく補完関係に位置させるのも一考ではないか。
本書によると『SNSを利用するヨーロッパの人のうち、過去何回か訪れたサイトのブランド、製品、企業のファンになった=13%』『SNSを利用するヨーロッパ人のうち友だちがオンラインで接しているブランドや企業のほうが高く評価できる=8%』という調査結果が示されている。また『賢明なフランス企業は、ローテクの手段を使って顧客と会話することで、本当の双方向コミュニケーションを実現している』とも述べている。

“EUの特殊性”という割引率が必要か否かは知る由もない。しかし実務的・実践的に考えると第一にFace to Face やローテクの活用によるマーケティング戦略構築すべきだと考える。その理由はSNSが取り沙汰されるのは“コミュニケーション”を人が求めているからである。“絆”と言い換えても良いのかもしれない。絆をSNSが太くするということが望ましのではないかと考える。

未だ端緒にすぎないが考察を深めて行きたい。

 

40歳からの知的生産術 (ちくま新書)

 40歳からという題名であるが、年齢にこだわりを持つ必要無さそうに思う。知的生活や知的生産といった切り口の本は多い。良く“年間○○冊読む知的..という本も見かける。最近ではノートの使い方などと言ったものもある。あまり面白くない物多いのだが、書店に平積みされているとつい購入してしまう。結局、しばらく棚に置いておく。自堕落になったときが出番である。

 目次を無視して本書を分類すると(1) 時間 (2)知の蓄積=ファイリング、読書 (3)クリエティブ=セレンディテピティといった切り口で論じている。知識人で教育者ある著者らしい創造的に知的生産の方法論である。その理由は日頃から学部生に知的生活の思いを発信しているからで、年齢に…とい答えはそこにある。

時間軸について

 前期したように様々なカテゴリーで論じているのだが今回は時間について紹介したい。
 何事も短期、長期の視点での考察が求められるのは言うまでもない。経営は特にその視点が重要である。少し長いが著書の言葉を引用してみる

時間軸 <1>  短期と長期
時間軸 <2>  過去・現在・未来
 
全社は短期的な視野と長期的な視野で異なる結論に達するケースである。例は悪いがこの場で落ち着くためにドラッグやタバコを摂取する行為は、短期的な快楽が長期的利益にまさっていると考えられるケースで、この人にとっては短期的な利益が行動の基準として採用されたわけである。昨今の『現在の福祉』かそれとも『長期的な国の財政』かという議論なども同じような例である。…….残念ながら長期的視点の意見は耳に痛く、短期的なそれは耳に快いことが多い。…..長期の哲学を開示する側は、選挙で負ける可能性が高くなり、それはとりもなおさず国民の質がそうさせているのである

 これは“自己”という世界と“企業”という枠組みでもどうように考えることができる。自己について言えば、日々の研鑽が将来の創造を可能にする。そうなることで始めて“利他”を可能とする自己ができる。企業は“存続が使命”である。一時的にすぎない収益を過上に分配することは、大きな目的を可能とする企業を構築することはできない。本書の文脈はこのように読み取ることができる。

スタンダードな自己研鑽がすべての基礎であることを本書は教示してくれる。学び、経営ともに王道はこうしたスタンダードにあるように感じてならない。

 

世界経済のオセロゲーム (日経プレミアシリーズ) (日本プレミアシリーズ)

 世界経済がオセロゲームだと思ったことはない。しかし弱電業界や携帯キャリアなどがオセロゲームのようだとは感じていた。本書を通じて主軸通貨や経済的覇権国または政治体制がオセロのような可能性を秘めていることが理解できた。結論を先取りすればフルスピードで変化する政治経済はオセロそのものということである。本文を少し引いてみたい。

「世界経済のオセロゲームは11年に入って、予想外のスピードで進んでいる。一つは、中東諸国で起きた政変のドミノ倒しである。ツイッターやフェィスブックなどインターネットを通じて、瞬時に大勢の人々に怒りが伝わり、大成変革をもたらさいた。グーグルのエリックシュミットCEOが10年11月~12月号の米誌『フォーリン・アフェアーズ』に寄せた論文によると『デジタルの破裂』はネットを通じた市民の力が国家の情報統制を切り崩してゆく姿を描き出す」

このように述べている。中東情勢は未だ混沌としているものの、まさにオセロゲームと言ってよい。これはフェィスブックなどデジタル世界の影響が強いことは事実である。しかしG0時代であること、世界的指導者がいないことがその背景にある。本書もそのことを追認している。こうした混沌が短期間で収まるとは到底思えない。

こうしたことを少し日本の文脈で考えてみたい。本書の見出しから引用すると(1) 交易条件が悪化した日本(2)22兆円の“資源・食料税 (3)下がり続けるサラリーマンの時給、などセンセーショナルの見出しが目に付く。しかし本書は調査・分析の元で論じられている。これはまさに事実なのだ。

産業空洞化に関して「世界の自動車生産は回復する。だが問題はどこで作るかだ。そして新興国の台頭、為替、法人税、環境問題などを考慮すると、もはや日本では作れない時代になった」という自動車メーカ会長のインタビュー引用している。これはトヨタの日産化とも言えるだろう。
政権選択の選挙は「自民党が生産者ないし企業、つまり稼ぎを重視する党、民主党が消費者ないし生活者、つまり配分を重視する党とすれば、団塊の世代が第一線から退くにつれて生産より配分を重視する民主党に追い風が吹いたのである」という表現がされている。今後自民もこの傾向は強まるだろう。どちらが自分に取りメリットがあるかという判断で選択がなされると思いたくない。しかし問題が深刻化していることは否めないように感じてならない。

『自助自立』ということばがある。広辞苑を紐解くと自助は『自分で自分の身を助けること、他人に依頼せず、自分の力で自分の向上・発展を遂げること』とある。自立は『他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること』と書かれている。私はこうした時代を迎えたのではないかと感じている。自助自立することで始めて社会貢献が可能となる。これを自らの第一義としなければならないと痛感する。

読みやすく中身の濃い新書だった。

 

米中逆転 なぜ世界は多極化するのか? (角川oneテーマ21)

政治・経済は事業環境を左右しかねない。事業環境を考察するうえで必要不可欠な知識だと思っている。今回の東日本大震災やリーマンショックのように即業績に変化をもたらさないまでも、ジワリジワリと影響を及ぼすことが多い。本書は著者のメルマガを恩師に紹介されたことから拝読した。

著者の考え方や表現は偏りがある。よって割引をしながら自らの知とする必要がある。偏りは中国への偏りである。“米中逆転”と題名がそれを表している。中国が成長著しいことは言うまでもない。しかし現在の成長は“内需への投資”から起きている。さらに年率9%以上の成長は政情不安を回避する最低条件である。著者自身も内政問題は認めつぎのように述べている。

「リーマンショック後の中国経済は、政府による内需拡大のために財政出動によって支えられており、それが経済成長の要素の95%を占めると言われている。政府が内需拡大を止めたら中国経済は成長が大きく減速しかねない。中国では株価もすでに高すぎると言われているし、上海では商業ビルの作り過ぎで空室率が50%以上になっている。中国はバブル崩壊前夜だという指摘があちらこちら出てきている」

著者は中国経済がこのように不安定であると認めつつも米中は逆転すると述べているのだ。それはGDPベースでの逆転だけでなく覇権国として中国を指している。ドル、ユーロ、元の経済圏が確立し元が最もパワーを持つということを論じている。確かにG0時代を論ずる学者が存在することは事実である。それはG7→ G20へと移りつつある。G20はまとまらない。米国はG2により問題を解決しようとした。しかし中国は大国責任を果たそうとしない。よってG0の時代という流れである。

これは一つの事実である。日々新聞などでも明らかとなっている。こうしたなか我々はどのようなスタンスでビジネスをすべきか大変難しい。海外と取引がなくとも人の考え方に変化は現れる。マーケットの志向が変わるのである。

私は“中国との密着”を著者が進めていると捉えている。それは次の一節から明らかとなっている。その一節とは2009年朝貢外交といっても良い小沢一郎元民主党代表の中国訪問である。数字だけ押さえれば国会議員は民主党143人、総勢630人の訪中であった。
「小沢は、国際的な東アジア統合の流れに合わせる形で、鳩山政権の「東アジア協同構想」や今回の新冊封的な大訪中団を実施してきた。対米従属の遺構に使ったまま、世界多極化への大転換に気づいていない多くの日本人から見ると、小沢の中国・アジア重視の戦略は、不可解な「媚中」や危険な「日中同盟軽視」に見え、小沢は「売国奴」に見えるだろう。しかし米国は経済と金融財政が急速に悪化し、改善策もほとんど失敗しており今後数年内に財政破綻やドル崩壊を引き起こす可能性が高い…」

著者はこう論じたうえで“米国は覇権国を放棄したい”と結ぶ。実際に世界は多極化している。2013年には多くの国で大統領選が行われる結果によってはより混沌とする可能性もある。同時期にさまざまな国で問題が発生すればNATOだけで問題を解決することは困難であろう。しかし中国にすがるような考え方は如何なものかと思う。尖閣問題が“朝貢外交”の翌年であったことを失念してはならない。

これから活性化するであろうひとつの考え方を学ぶには良い一冊ではないか。批判読みも大切である。