成功は一日で捨て去れ

先日“一勝九敗”を読み、経営を学び実践するうえで参考になることが多いと感じ著者の作品を一通り読むこととした。結論を先取りすれば本書からも相当の学びを得られた。経営者自らが執筆した書を今までもかなり読んできた。日経ベンチャーやトップリーダーの類いを合わせれば100は有に超えるはずだ。そうしたなかで柳井社長の特徴はロジカルな体育会というイメージを受ける。
経営はアートとサイエンスだというコンサルタントや研究者は多い。これに体育会=実践力を加わったことが成功の秘訣のように感じる。学校などで言えば文武両道Plus生徒会長と言ったところか。

さて本書の構成は時間軸で2005年~08年頃のことが中心に書かれている。その間に起きた数多くのでき事、それに対する考え方、心の動きなどである。長期間成功している経営者には“謙虚”な方が多いように思う。自らを内省し更なる発展を考え続けている。こうした考えの端緒が次に言葉に表れているように感じる。

「安定成長志向はいけない、と書いた。これは、結果的に安定成長はあり得るが、最初から安定成長を望んではいかない、という意味だ。人間の成長も同じだと思うが、結果的には経営の安定成長はあるけれど、初めに高い目標を持ってチャレンジする人しか成長できないはず。最初から安定成長を考えていては成長すらおぼつかない。危機感を持ってチャレンジしなければ「この程度でいいや….」となってしまい、一定の成果は得られない」

「自分の会社や事業として、単純に「こんなことをしたい」のでなく、常に「どうあるべきか」を考えて決断しなくてはならない。多くの人が、自分は別のことをしたほうがいいのではないか、などと思い悩む。それで大失敗するのだ。….社会的に必然性がなければ失敗する。社会がその事業を要求するから成功するわけで、本当は何も思いなやむ必要などないのだ」

社会に必要とされること“マーケットイン型”と捉えることができる。そのうえで高い目標を設定しPDCAを繰り返す。本書から成功過程を読みとくとそんなイメージが湧くのである。フリースもヒートテックも店舗展開もすべてである。そのうえでM&Aにより更なる成長を目指している。

PDCAを幾度も回すうちに組織知が積み重なっていく。ひとことで語れば“ノウハウ”が蓄積されるのだ。よって成長率、リスクが共に高くともローリスクに転換することが可能になるのではないだろうか。
これまで“マイクロビジネスがリスキーな要因は組織知の不足”であると幾度と無く述べてきた。組織の成長がリスクを減少させることが改めて明らかになったと考える。

本書からは数多くの学びを得ることができる。

 

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2011年 05月号 [雑誌]

How Resilience Works 【再気力】とは何か ダイアンL クーツ
<危機や難局を乗り越える不思議な力>

“再起する力”を持つことは経営続けるうえで極めて重要なことだと思っている。弊社のような事業を行なっているとさまざまな企業に接する。当然のことながら止む無く事業を断念せざるを得ないケースを見ることもある。私自身も色々なことがあった。再起を可能にするか否かは経営者個人の力にかかっている。本稿は2001,9,11という衝撃的なでき事をフルスピードで乗り越えた米国の事例研究から論じているものである。

 当然のことながら難局かどうかの判断は各個人に委ねられている。本稿では再気力の高い人は“三つの能力を宿している”と研究結果をまとめている。

第一に  現実をしっかり受け止める力
第二に 【人生には何らかの意味がある】という価値観に支えられた、確固たる信念
第三に  超人的な即興力

 この3要素すべてが必要であり、組織も同様であると論じている。この言葉がどれだけ価値があるかは経験した者ならわかるはずだ。一とニに日常的のビジネスでの優位であると思う。

ジム・コリンズが「ビジョナリー・カンパニー」を通じて研究をすすめたときに“楽観主義は再気力の源泉ではない”との考え方に遭遇したと述べている。ベトナム戦争で虐待を受け捕虜となった人物「〇〇までには出られる、開放される」と考える人物は「失望が重なると死んでいくのではないか」と述べている。その上で「再気力に高い人は、生死に関わる現状について、冷静かつ現実的な見解を持っている」と結んでいる。ポジティブと楽観主義は大きく違うのだ。

 再起とスタートは違うがどちらもスタートをすることに代わりはない。冷静に“自己の棚卸ができること”がスタートラインに立てる条件なのだと考える。そのうえで自らの“理念”が湧き出すまで考え続けることが重要なのではないだろうか。たとえ時間がかかってもこの2つが揺るぎないものにならない限りスタートは不可能なように考える。

「再気力」は東日本大震災を踏まえ特集が組まれている。
諸先輩はいま起きている“コト”どう判断するだろうか。力強く再起手法を描くに違いない。笑顔で写真収まる緊張感が欠如した不謹慎な国会議員などいようはずはない。

 

オバマ発「金融危機」は必ず起きる!

本書の意図ではないがオバマ発より「日本発」の方が気になる。レビューの前に少し脱線し世界の現状を確認したい。米国、EU、日本とG7の肩越しに経済環境を見れば最もリスクが高いのが日本であることに疑いない。EUはギリシャ問題を抱えてはいる。しかしフィンランドを筆頭にすべてが一致しているわけではないが全体のEUとしてのGDPは高く財政赤字は少ない。米国も同様である。しかし日本は将来に負担を残す赤字国債によって辛うじて消費水準を維持している。しかし南沙諸島など海域を拡張する中国対策はまったくと言って良いほど対応がなされていない。毎年防衛予算下げているにも関わらずこの状況なのである。加えてODAも一方的に削減している。

経済の“グローバル化”に対して政治はマイナス要因でしかないように感じる。ここでさらに枝野官房長官の債権放棄発言である。政治が“経済の足をひっぱる”今さらながら改めて感じる。癒着はないにしろ“俯瞰した考察力”の欠如を感じる。

本書は、オバマ大統領誕生は“ゴールドマンサックス”を始めとしたマンハッタン・ウオール街とオバマ、いわば政財官の癒着が危機を起こすというものである。帯には「新たなバブルのリスクが世界中に撒き散らされている」と書かれている。これも俯瞰した考察力の欠如と読んで良いように思う。日本の現状からは程遠いように思えるが、実際原油、金など相当な高値となっている。

本稿は相場を読み解く物ではないが、行き先を無くした“資金”が運用先として一次産品に向かっていることは間違いない。このようなことと政治をストレートに結びつけるのは如何なものかと思うが、本書調査からそれを読み取ることができる。
こうした背景には金融緩和があることは周知されている。当然のことながらその責任の一端は日本にある。

300ページにまとめられた本書であるが実に読み応えのある一冊だった。

 

リフレクティブ・マネジャー 一流はつねに内省する (光文社新書)

組織論を学ぶ上で金井教授(神戸大学大学院)の論文や本の拝読は既に20冊をはるかに超えている。また中原准教授(東京大学)は“ラーニングバーの学び”が出会いだったように記憶している。組織と学びが密着していることは言うまでもない。

本書は【リフレクション・内省】と【アクション】をキーワードとしている。“一流は、ここぞという大事な場面では常に内省したうえで、アクションが取れる”これが本書の副題だと述べている。概ねは大企業の課長職が対象である。マイクロビジネスの文脈に紐解くとNO2の存在になるのか。離職率が高く長期雇用が難しいマイクロビジネスである。しかし“勤務者”であることに変わりなく、類推する悩みを抱えていること実証済みである。

新書ではあるが、300ページを有に超え内容が濃いことから的を絞ってレビューしたい。マイクロビジネスでも5人にもなればNO2的な人材が求められる。上下に挟まれサンドイッチ状態である。また指示命令もリーダーを介して行われることが多い。大企業は階層が重ねられるので“連結ピン”「経営の行動科学・R・リッカート」とも呼ばれている。 
この状態を本書では「上層部の指示をしっかり翻訳し、わかりやすい指示にして下に伝えるとともに、工場の様子、技術動向、消費者の志向などをより現場に近い立場から上層部に伝え、場合によってはミドル発の戦略を反映した変革プロジェクトにも従事する」と述べている。これは野中教授の“ミドルアッパーダウン”である。本書もこの状態をもとに論じられている。

ポジションの不足、リストラの問題からか“組織にしがみついている”聞くことが多い。また先日の週刊誌では“過剰転勤”はリストラサインという見出しが載っていた。この状態ではミドアッパーダウン効果は難しいように感じる。マイクロビジネスでも類推する事例があるかと思う。この状況が“内省とアクション”に程多いことは言うまでもない。また“感じる力”が足りないことも考えられる。

しかしマイクロビジネスでは、こうした状況を変化させることは可能だと考える。そのキーワードが理念や価値観させるための“努力と学び”なのである。そのために経営者は日頃から社員のモデルとなる“学びの姿勢”が重要となる。経営者自身の“内省とアクション”は日頃からのこうした行動ではないかと考える。こうした行動が経営者自身を成長させることは言うまでもない。本書でも紹介される“ヴィゴツキーは「発達とはそもそも協同的である」と述べている。学びとは”他者との関わり“なのだ。社員との関わりによって自己が成長しその姿を見て社員も成長することが望ましいと私は考える。

人に良い影響力を持てる自己になることが第一の課題であると考える。学ぶことが多い一冊だった。

 

HBR 2010/11     戦略の実行力

On 2011年5月17日, in 書評, 経営戦略, by admin

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2010年 11月号 [雑誌]

ストーリーによる戦略構築のすすめ  マイケルG. ジャコバイス

 最近ストーリーによる競争戦略を始めとし、ストーリー・ラインの構築が経営戦略には必要だという論調が多い。こうした論調が自社に一致するか否かは見極める必要がある。その理由は“流行”で終わる可能性があるからだ。しかしストーリー戦略は5フォースモデルやシナリオプランニングを作成する上でも将来環境を考察するうえで役に立つのではないかと考える。言ってみれば大前提 小前提 結論といった【論理推計】を精緻に描くということに繋がる。本書はこうしたことをさまざまな業界事例を元に紹介してくれる。

 自分の考えを纏めるためにも、ストーリーによる戦略構築をもう少し詳しく説明したい。
著者はその必要性を「業界で価値を創出し、確保している全プレーヤーについて、それぞれ潜在的に横たわるロジックやストーリー・ライン意思決定、そして目的を解き明かす必要がある」と述べている。すべてのプレーヤーやステークホルダーに関して行うその理由は、ビジネス環境は絶えず変化していることにある。【乱気流】というメタファーを言い当てている。確かに的を射た言葉である。

ストーリーは言葉で言い表す。「すべてが変わりゆく世界では、その変化をもたらす各組織の目的や役割、事業のルールや関係性の展開、そして現在と未来を結ぶストーリー・ライン言葉から読みとくと良い」と述べる。行間や背景を創造することによって変化に対応する、またストーリーを加筆修正するということになるのだろう。「好不況がいつまで続くか、価値がどのように変化するかと言った感覚を台本に持ち込めば、自社の戦略の妥当性を絶えず評価できる」と著者は語っている。

当然のことながら「ストーリー・ライン」だけで経営戦略が良いわけではない。あくまでも企業が競争環境を乗りきるための助けに過ぎない。「分析やアクションを後押しする一種のツール」と著者は述べる。

 マイクロビジネスの場合自社の発展過程をこうしたストーリー・ラインによって描くことは望ましいように感じる。決してロジカル・シンキングを否定するものではないが、マイクロビジネスはあまりにも変数が多すぎる。よって変化を想定創造することわ重要であると考える。

 

一勝九敗

ユニクロ、柳井社長が「経営に対する考え方」、「試行錯誤の実態」「失敗」について綴った一冊。大変読み応えがあった。題名そのままの実践では今に至ることは考えられない。 
失敗を経験とし次の成功に結びつけているのだ。失敗からの教訓から実に数多くのことを得ている。これは経営者に限ったことではない。社員を含めて失敗から教訓を得ているのである。これが企業成長の一つの側面でもある。本書を通じて星野リゾート 星野佳春社長と似ているように感じた。その一つがロジカルとエモーションの共有である。
星野リゾートの教科書という本(星野社長執筆ではない)からも読み取れるように基本的な経営学を重要視している。これはユニクロにも共通する。またベンチャーキャピタル協会会長の呉氏はワタミ創業時に入社し、マイケルポーターの競争戦略5フォースを徹底して行ったという。実際の経営がロジックだけでは困難なことは明らかである。しかし、第一にロジカル・シンキングを徹底する。その後に人や資金など多様な側面からすりあわせをする。こうした考え方が企業成長には求められるのではないか。少なくとも本書を含めそうしたことを教示する成功した経営者の談は多い。

MBA的教科書にはあまり綴られることは少ないこうした“失敗からの教訓”を本書では次のように述べている。

「この失敗を生かすも殺すも経営姿勢次第である。失敗は誰にとっても嫌なのものだ。目の前につきつけられる結果から目を逸らしたら最後、必ず同じ失敗種類の失敗を繰り返すことになる。失敗は単なる傷ではない、失敗には次につながる成功の芽が潜んでいるものだ。….失敗の経験は身につく学習効果として財産になる」

この言葉は重い。人生や経営は失敗を繰り返す。学習し財産と出来るか否かは本人次第である。その可否は何かと言えば【考え方】なのだと思う。個性や自己の文脈が重要であることは言うまでもない。そうしなければ独特の仮説が描けないからだ。しかし無鉄砲や説得力のないものが論外であることは言うまでもない。自己にも戒めるのであるが、経営という立場は、ややもするとアカウンタビリティを無視しかねない。思いつきを組織に行動させ、結果を得る。という流れになりやすいのである。成否は別として、第3者への説明や意見を聞き入れてないため、見える穴が見えていなことが多い。

言葉を変えると、落とし穴に自らはまるようなものだ。本書は全般を通じてこうした【穴】を見つける方法、塞ぐ方法を教示してくれるのである。

貴重な一冊だと痛感した。

 

Life style 山行日誌

On 2011年5月16日, in life Style, by admin

瑞牆山

2月下旬 川苔山依頼久しぶりの山行。仙台に住む岳父とゴールデンウィークに会えたことで山行を解禁した。今回は百名山にも名を連ねる【瑞牆山】。昨年の7月依頼となる。パートナーはいつもの従兄弟。

中央本線 韮崎駅からバスで1時間強。失念していたのだがバス代金が片道2000円には少し驚きを覚えた。工程は約程5時間半。富士見平を目指しスタート。息がなれるまでゆっくりと進む。意外とこの時間が辛いときがある。富士見平小屋で休むこと無く沢付近の休憩所で軽い昼食を取ることにした。

山に行く度、静かな沢の音、若葉や土の匂い、木漏れ日といった自然の恵みに感謝する。子供は遠足などで自然に接する。環境問題が問われて久しいが自然に接し人の意識を変えることで考え方を変えることができないものだろうか。自然に感謝する心を少しもつことで変えることができるかもしれない。

昨日もこうした思いの中で歩みを進めた。しかし休息後は岩の塊を巻きながら登ることとなる。足場の悪さも3000メータークラスへの訓練と思うとまた楽しく登れる。途中幾度か奇怪な山頂が見える。

これが見えると山頂までわずか。1時半の岩との格闘を終える。山頂付近はグループ登山で賑わいを見せる。些か苦戦を強いられ渋滞に。調度良い休憩と思っていると山頂が見えた。

山頂からは富士山、南アルプス、八ヶ岳が見える。風は些か冷たくアウターが必要だった。眺めを楽しみ水分を補給し下山を楽しんだ。

天候にも恵まれ気持ちのよい山行だった。これが仕事への活力であることに間違いない。

 

ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)

個性が強調され価値観や生き方は多様化している。たとえば30代でもニートやフリーターもいれば、上場会社の代表や世界的企業の軸をなしている人物もいる。社会観も大きく違う。果たして30年前にこうした現象はあったろうか。前者の数は圧倒的に少なかったと思う。“中小企業の社員”はここまでではないが多様化している。多様な価値観を持った人が売上や収益また社会的責任を果たすために一つの枠組みの中で仕事をしなければならない。そんなときは、まず相手の価値観や仕事の考え方を知る必要がある。ワークショップはこうした問題解決に大いに役立つ。現代社会はこうした学びの機会がより求められているのである。

著者はワークショップの意義について次のように述べている。
「参加、体験、グループという三つがキーワードになる学習法だ。参加とは先生や講師の話を一方的に聞くのではなく、自ら参加し関わっていく主体性、体験とはアタマだけでなく身体と心をまるごと総動員して感じていくこと、グループとはお互いの相互作用や多様性の中で分かち合い刺激しあい学んでいく双方向性、などをあらわしていく」

双方向、全体、ホリスティックな学習と創造をワークショップは可能にする。会議などで“声の大きい者”の意見が主流になることがある。また役職が上位者の意見が通ることが一般的とも言える。その理由は情報量と立場の違いとも言える。また発言と責任、自分の仕事になるからなどということもある。創造的な仕事がこうで良いはずはない。新たな“コト”を創出する必要がある。それには発言とともに“聞く”ことが重要となると本書では述べている。子供だましのようだが真実であることに代わりはない。

著者は博報堂社員の視点から「本当に必要ないい企画を創りだすために、得意先と広告会社の担当者とが、受ける側と提案する側としてではなく、共に課題についての情報や知見を持ち寄り、一緒に考えていく場を持とう、との意図を込めてワークショップという言葉が使われ始めている」と述べている。

これは取引先との関係性であるが“見えないなにかを生みだす”ときの考える【BA】がワークショップの成功要因のひとつなのである。BAについて「場というのは、こうして参加者同士の関わり方の質の積重ねの中でできていき、ある種の磁場というか微細な力を持つフィールドのことだ。参加者一人ひとりの態度が場を作り、場が参加者の態度の変容を促すという相互関係にある」と述べている。

「正」「反」「合」を求める弁証法を可能にするものこうしたBAが必要なように感じる。またBAはバーチャルなwebでは難しいと言われている。しかしSNSによって補うことは不可能だろうか。

意味深い一冊だった。

 

使える弁証法  田坂広志

On 2011年5月13日, in 書評, 経営戦略, by admin

使える 弁証法

著者は、震災後に内閣参与にとして福島原発問題に取り組んでおられる。著者の出版点数は多数ある。すべてを読みたい。行間から文だけでなく行間からも数多くのことを考えさせられる。いま少し時間がかかるが、月に数冊は読むようにしたいと思う。

本書は“弁証法による思慮の有効性”について論じられた一冊である。弁証法の有効性を語られる多い。ブログでも野中名誉教授や紺野教授の弁証法の見解を紹介したように想う。

弁証法は『正』『反』『合』の思考の深化だ。討論(ディベート)や議論(ディスカッション)とは異なった方法となる。著書は弁証法について次のように述べている。「弁証法とは、対立した意見の持ち主が対話を行うことによって、互いに、より深い思考に向かっていくための方法であり議論を戦わせる方法でなく、思慮を深める方法と呼ぶべきものです」

こうした一節を読むと、“弁証法的対話”ができるパートナーを一人でも多く持つことが如何に自己を成長させるか通関する。出会いを大切にし自分が相手に取って価値ある人となることは、他に代えがたい大切なことだと痛感する。またこうした「本」との出会いも大切である。本は“著者と自分の知を絡めて新たな自己の知識や知恵を創るもの”だと考えている。しかし弁証法的な読みをしたいが中々難しいのが現実だ。

弁証法的思考法の有効性として「予測」を取り上げている。未来や将来を予測することは難しい。しかし単純化して言えば、社会の発展は「近所付き合い」のようなコミュニケーションを減少させた。結果として「個性化」が重要視された。Web社会はSNSを作り上げ新たなコミュニケーションを創り上げた。こうした「正」「反」「合」を読むことは可能であると本書では述べている。

著者は「“何が消えていったのか”を考える。…..“なぜ消えていったのか”を考える。社会や市場の進歩と発展の「その段階」において「なぜ消えっていったのか」を考えるということです。その「段階」において、なぜ「効率的」でなかったのか。そのこと考えることです。そして、社会や市場の「合理化」と「効率化」の流れの中で、「何が消えていったのか」「なぜ消えていったのか」が分かり、「何か復活してくるか」がわかったならば最後に何を考えるか。どうすれば「復活」できるか、を考える」

日常の中でこうしたことを考え続けるは難しいのかも知れない。しかし“なぜ復活したのか”や“なぜ注目されるのか”を考察することは比較的容易かもしれない。日々実践したいと思う。感慨深い一冊だった。

 

90年代の証言 岡本行夫

On 2011年5月12日, in 政治・経済, 書評, by admin

岡本行夫 現場主義を貫いた外交官 90年代の証言

本書で90年代の証言レビューは2冊目。インタビュイー岡本行夫氏は外務省退職後、岡本アソシエイツを設立。その後橋本内閣にて首相補佐官、小泉内閣では内閣参与、首相補佐官を歴任。起業経験もある外交のプロである。

インタビュアーは五百旗頭真・防衛大学校校長、伊藤元重・東京大学教授、薬師寺克行・朝日新聞論説委員(すべて当時)の錚々たる面々である。本書の感想を一文で表すと“外交と政治の難しさ”を痛感させられた。読み応えのある一冊である。

偶然にも本日“米上院軍事委員会の3議員が普天間飛行場、嘉手納基地への統合を提案”とのニュースが流れた。これは辺野古への移転計画が大きく変更となる可能性を示している。その要因は震災予算との関係を指していた。本書を通じて沖縄米軍基地が如何に難しい問題であるかを現場目線から知った。本書を通じて嘉手納基地との統合計画は再三の交渉によっても難しいことが明らかにされていた。震災に伴う予算との関係性とは少し考えづらい。いまだ明らかにされていないが15兆から20兆の補正が必要と言われている。しかし麻生内閣は(真水ではないが)平成20年度38.5兆円 平成21年度 15.7兆円の補正予算を実行している。こうしたことだけを見ても、表面化されていない何かを感じる。

橋本内閣での首相補佐官は沖縄が担当でありその関係は深い。外交、防衛、国内、沖縄の関係性を俯瞰して考察し絡まった問題を解いている。基地については次のように発言されている。『日本国内の米軍基地の75%が、国土面積の0.6%しかない沖縄に集中している…..何年かかっても、沖縄の基地の一部を本土に移す政策目標を立てるべきだと思います。これはやれない話ではない。過疎に悩む地域では自衛隊基地の招致運動が盛んです。…移転は不可能ではないと思っています』

紙幅から多くを書くことはできないが、知性、行動力、理念ともに素晴らしい人物だと感じた。こうした官僚や官僚OBの国家を思う気持ちを政治は正面から受け止めなければならないのではないか。いまだ混沌としている民主党政権は脱官僚を旗印に上げている。しかし外交と防衛は官僚が情報を寡占化している。また代議士で外交のプロという存在など皆無と言ってよい。こうしたことは普遍化した事実としてセミナーなどで言われている。国民も一体となって国難を乗り切ることが後世に対して課せられた義務ではないか。

感慨深い一冊だった。