フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453))

社会保証の観点から注目を集める北欧である。メディアで取り上げられることも少なくその知識は心もとない。そんな意識から本書を手にした。著者は子供の頃から北欧に憧れ学部生時代にフィンランドに旅行しそのライフスタイルに魅せられたとのことである。
本書によれば人口500万人 国土は日本の九州を除いたほどの大きさ。約70%が森林で10%が湖とのことである。ようするに20%に500万人が住んでいることになる。日本も75%が山になるが環境は大きく違う。フィンランドの詳細は他書にゆずり本書のテーマでもある“優秀なフィンランド人”についてレビューしたいと思う。

フィンランドは『世界経済フォーラム 国際競争力ランキング 2001 ~05 1位』なのである。人口500万人の国家が1位を5年連続で取得する。人口と国際競争力や国力との関係性は深い関係性にあるのではないのだろうか。この表は2007年評価であり、最近は下落傾向にあるようだが、それでも日本より上位に位置している。IMD国際競争ランキングとは違う結果ではあるが、スイス・デンマーク・スエーデンと北欧の小国が上位にランキングされている。日本が下位に甘んじているのは財政赤字など負の要素が強い。

本書を通じて最も着目すべきは“教育”にある。学生に対する優秀な教育が結果を導きだす一因ではある。しかし私は成人教育に注視したい。近年国内でも成熟社会の影響であるのか社会人教育が盛んである。しかし現状を概観すると職業には結びつかない自己啓発的な趣を感じる。カルチャーセンターの域を脱していないのではないだろうか。『2004年には成人の45%が職業関連の訓練や教育を受けている』というフィンランドとの違いを感じてならない。こうしたことの背景ついて著者は次のように述べている。

『学歴社会の現実は“これを勉強すれば新たな仕事のチャンスが増えるかもしれない、給料が増えるかもしれない、安定した職につけるかもしれないと学習意欲の向上に役立っている。また失業率が高く、就職がむずかしく、リストラの不安が常につきまとう厳しい現実があるフィンランドでは、今ある仕事を守り、ステップアップしていくにはいやが上にも自分の能力を磨き、知識を身につけていくしかない』

ここで現れている45%の人々がここまでの意識を持っているか否かを知るよしはない。45%の大人が絶えることなく成長している事実は大きい。居酒屋でたむろをしている国内の大人たちとは大きな違いである。セフティネットは重要である。向上心持ち続けることが最大のセフティネットではないだろうか。この教育は自己満足のカルチャーセンターとは大きな違いである。国内であれば職業に結びつく資格試験の勉強に近いのだ。

国際社会・グローバル社会と言われているがあまりに知らないことが多すぎる。少しでもギャップを埋めるためにこうした書を紐解くことは価値があるように思う。

 

希望のつくり方  玄田 有史

On 2010年12月9日, in 書評, by admin

希望のつくり方 (岩波新書)

経営学の類では著名な玄田教授であるが【希望学】なる領域の研究をなされているとは存じあげなかった。本書は著者名で1ページも開かず購入した。

そもそも【希望】とは何であるのか。例によって広辞苑を紐解いて見る。① ある事を成就させようと願い望むこと。② 将来によいことを期待する気持ち とある。明鏡国語辞典はこれに加え『将来に対する明るい見通し』とある。ざっくりまとめると“将来に対して期待しそれが成し遂げられる可能性を感じられる状態”かと思うのである。

本書はこうした希望が持ちにくい持てない社会に対して問題を投げかけ解の端緒を導き出している一冊である。子供の頃は誰しも漠然と明るい見通しを持っていた。いつのまにか『格差』や『違い』積み上がってくる。ギャップが積み上がると『希望』が持てないことに繋がりやすいのではない。少し厳しいかもしれないが“リセット”する勇気を持つことでいつでも希望は持てると私は思う。

著者は希望について次のように述べている。『希望とは何なのか、よくわかりませんでした。それがいろいろ考えるうち、どうやら希望というのは、四つの柱からなりたっていることがわかってきました』この四つとは ① 気持ち、思い、願い ② 将来こうなりたいという具体的なこと ③ 実現 Com true ④ 行動 であると結論づけている。

 この四つは“目標達成のキーワード”と同様である。著者は研究者であり目標達成のコーチングを行っているわけでないが、小さい目標を積重ね大きな目標を達成する昔ながらのプロセスが崩壊してしまっているのかも知れない。自らが変わらなければ状況は何もかわらないのだが“誰も自分を理解してくれない”と捉え負のスパイラルに入っているケースを多々見ることがある。『俯瞰して自らを見る勇気』『自らを棚卸する勇気』が必要なのだ。そのうえで②であげられた具体的イメージをしっかりと捉え、辿りつくまでのマイルストーンを明らかにしなければならない。マイルストーンに達するまでが④の行動となる。
行動は困難なことも多い。よって①の気持ちや強い思いが重要となる。こうしたことを繰り返すことによって③の実現が可能となるのである。
 
 本書は若者を主たる対象として論じているが、実社会ではミドルエイジ・クライシスにより希望を見出せない30代~40代も多いと思う。しかし結局自分で乗り越える他に方法はない。私自身こうして書きながら自分に言い聞かせているのだが、一生こうしたことを繰返すのだと考えている。

 本書は社会学観点から多様なことを学ばせてくれる一冊であった。

 

山行日誌 王岳

On 2010年12月7日, in life Style, by admin

12月4日 王岳へ登った。富士五湖のひとつ西湖からスタートし精進湖へ下山する。この時期の登山は午後3時には下山したいことから、日帰りの範囲は限定的となる。中央本線大月駅にて富士急行に乗換河口湖駅で下車。バスで約40分入ると登山口に到着となる。

ルートは・鍵掛峠 → 王岳 → 五湖山 → 女坂峠 → 精進バス停である。山行時間は5時間半。休憩や昼食を挟んでもゆったり登ることを計画していた。ゆったりの理由はNew Cameraのデビューにある。しかしアクシデントが起こった。正確には起こしたということになるのか。

バス降車場は【西湖いやしの里根場】となる。温泉やイベントを行なっている。鍵掛峠登山口が見当たらなかったことから店で【王岳登山口】を尋ね教えて頂いた。この尋ねかたが問題の発端であった。今回ガイドブックのみで地図でのルート確認を怠っており、他のルートは全く頭になかった。しかしガイドブックにはよく見ると確認できる“破線”ルートがあったのである。破線ルートは王岳直登であった。鍵掛峠まで1時間50分、王岳まで1時間10分、合計約3時間のルートである。

誤りに気がつかなかった理由はガイドブックの記載にあった。①車道をしばらく歩くこと ② 道が荒れていること ③ 沢をまくなどである。沢は枯れたことを覗いては同様であり、途中随所のリボンを確認しながら登ったのだ。しかしあまりにも道が荒れていることから途中2度程引き返しルート誤ったルートを修正しながらの登山だった。途中道標らしきものは一切見当たらなかった。

“根場”という本来見るはずのない所に辿りついたときは、2時間40分も過ぎていた。しかしそこは王岳山頂まで20㍍の所だったのである。そこではじめてルートの誤りを知ったのだ。自分自身はルート修正やあゆみの遅さでコースタイムをオーバーしているとばかり思っていた。

一気に疲れがでたことから早々に下山をすることにした。しかし頂上から眺める富士山は雄大であった。この眺めを写真に治めることができただけでも良しとしようかと思う。

 

テーマ<創造者の条件>

作家村上龍氏はカンブリア宮殿などTVでも活躍されている文化人なのでご存知の方も多いと思う。ホストである三宅宏治氏は、ボストンコンサルティング、アクセンチュアでコンサルタントの後、現在はKIT虎ノ門大学院(金沢工業大学大学院)主任教授をされている。

こんなお二人の対談をliveで聞く機会を得た。
そもそも創造者とは何か?一般に創造者を【神】とすることが多い。しかし本対談は創造者が【神】か否の議論をするわけではない。創造力、創造性を有することについての議論である。

結論を先取りすれば答えなどない。そもそも創造力の有無など主観に過ぎないのだ。但し評価は環境がするものであるから客観を無視することはできないのだが。作家で言えば本が売れないということになる。村上氏は“深く考えること”と“描写”という二つのコトを上げていた。

創造力と描写は客観ということに深い関係性があるである。ここには客観が存在するからなのだ。改めて広辞苑を紐解くと描写とは【描き写すこと。特に文芸・絵画・音楽などの芸術制作において、物の形体や事柄・感情などを客観的に表現すること】とある。【客観】が重要なのだ。

広辞苑は芸術というカテゴリーで述べているが、我々が求める創造性はビジネスにおけるイノベーションである。ここで求められる創造性は相手に理解や共感を得られる描写力が求められるのだ。一つ取り合えればプレゼンも描写の一端にあるのだろう。当然のことながら、プレゼン力は社内プレゼンでなく、マーケットに対するプレゼン力であることは言うまでもない。

もうひとつ【考え抜く力】が取り上げていた。テーマに向かって24時間考えぬく力。よく言われる話しではあるが、考えぬいて疲れたときに“浮かび上げる”または“ふってくる”こんなことなのだろう。

ビジネスの領域で考えれば、まずドメインの設定だろう。そこではどのようにドメインを切るのかが重要となる。そのうえで一定のゴールを描く。ここでも描写力が必要となる。ビジョンに近いのだろう。さらにビジョンを達するために考え抜くといことになる。このプロセスでイノベーションに近いものが生まれ、変化と改良をサステイナブルに行うことでイノベーションが可能になると考える。

 

通貨で読み解く世界経済―ドル、ユーロ、人民元、そして円 (中公新書)

 経済を含む社会生活全般を考えたときに、通貨問題は切り離すことはできない。実質的影響はもちろんメンタル面も無視することができない。これだけ輸入物資で生活をしていれば一般庶民にとり円高メリットは大きいはずだが中々そうはならない。
こうしたことから通貨は国内に限らず世界的な景気を左右する。よって経営と通貨問題は切り離せない関係性にある。イラクとの戦いは原油の決済をユーロに変えようとしたことが一因であるとも言われている。FTA,TPPなどにも影響力を示し、起こりうるすべてのものごとに深い関係性にある。本書はこうした通貨に関する基礎知識を得られる貴重な一冊である。

通貨問題として最も考えなければならないのは基軸通貨としての今後の『ドル』のありかたである。ギリシャやアイルランド、更には今後発生するかも知れないスペインの問題により『ユーロ』と『ドル』の関係性は若干変わったと思う。基軸通貨としてのドルについて著者は次のように述べている。

『基軸通貨としてのドルの特権は、対外債務を膨らませる諸刃の剣であり、中国を始めとする東アジア諸国や中東産油国などとの間に大幅な国際収支不均衡を生む温床となった。
この国際収支不均衡をファイナンスするため、アメリカに巨額の資金が流入しそれがアメリカの長期金利を押し下げる要因となった』、

 結果としてこうしたことがリーマンショックの一因に結びついている。著書は『今回の金融危機は国際金融システムの欠陥に起因するのか、それとも単にアメリカのマクロ政策運営の失敗によるものだったのか、それを検討するうえで、ドルという通貨の特殊性は無視し得ない』と論じている

 バブルが一国のマクロ政策の問題でなく“通貨”と深い関係性にあるとするのならIMFまたは一種の世界中央銀行的な存在が必要であるようにも感じる。こうした問題意識の元で本論を読み進むのだが、世界金融危機 基軸通貨ドル ユーロ 東アジアと人民元 円高 国際金融 と理解を深めるセグメントでまとめられている。

 国内が生活やビジネスの基板ではある。しかしグローバルな視野が今ほど求められているときはないように思う。本書では【グローバル・インバランス】という言葉が良く使われる。その意味は【世界的経常収支不均衡】である。過去を振り返れば、いささか日本には耳の痛い言葉ではある。しかしこの視点で郵政や農業などの問題を考察しなければならないのではないだろか。俯瞰して考察すれば単なる問題の先延ばしに過ぎないことが多い。

 これを自らの文脈に置き換え考察すると同様の問題を抱えているように感じてならない。
自らも先を見据え俯瞰して考え行動しなければならない。
 国際問題を考える教科書的な一冊だった。

 

ユーロ――危機の中の統一通貨 (岩波新書)

アイルランド、ギリシャとリーマンショック以降、世界を揺さぶる通貨であるユーロがどのような理念や思いで成り立っていったのかを論じた一冊である。こうした著書はルポライターがマーケットの視点から述べたものと、アカデミックな視点からの議論2通りあるように思う。本書はヨーロッパ経済論、経済統合論が先行である中央大学経済学教授が論じた一冊である。

統一通貨ユーロが誕生して約12年であるが、東アジア円通貨圏構想は1990年頃から論じられていた。APECもその一躍を担っていとも言える。さて通貨統合までの苦しい詳細は本書に譲るが、当然のことながら強弱入乱れるこうした統合において、強国にネガティブ要素があれば当然のことながら纏まることはない。ではなぜユーロではそれが可能だったのか本書では次のように述べている。

『イギリス・サッチャー首相とフランス・ミッテラン大統領はドイツ統一に反対したが、ソ連の再強化を警戒したアメリカは強く統一を支持し、ソ連のゴロバチョフ大統領も統一に反対しなかった。米ソが支持することになれば、イギリス、フランスが阻止するのは不可能であった。不可能とわかると条件闘争になる。
 EC諸国はドイツ統一を無条件に承認し、東ドイツを即ECに迎え入れ、また西ドイツの中央銀行制度を模範に通貨同盟を組織するという約束をした。その代償としてドイツはマルクを放棄し単一通貨を採用する。マルク法規とドイツ財政のECレベルでの規制によって一人歩きを封じる』と述べられている。

 欧州のドイツかまた欧州を離れて単独で行動するのか。統合され巨大化したドイツが中
欧州の支配権を確率しようとする可能性の芽を摘んでおきたいというのがECの目的でも
ありビジョンである。その思いが東ドイツ即加入や統一通貨において西ドイツの条件をの
むことにより初めて可能かなった。

 ユーロ成立が如何に困難であったかを本書から知ることができる。確かにギリシャ虚偽記載などの問題もある。しかし経常赤字が3%内などの条件を達成するため、社会保障費削減など国民一体となって努力をしているのだ。ユーロへ加盟しなければ小国として埋没してしまうという危機感がそうさせるのだろう。
 日本の置かれている環境も同様ではないか。TPP加盟をユーロ加盟として考察すれば良い。世界のルールに溶け込めてはじめて国内ルールは成立するのではないだろうか。グローバル・インバランスを日本は軽視していると感じざるを得ない。問題の当事者であるがグローバルの視点で問題を直視していないのである。先般も述べたように大卒就職率54%のトップ報道の経済面ではインドをはじめとしたグローバルな新卒雇用の拡大が報じられているのである。
 
ユーロ加盟国のような埋没しないための考察と具体的行動が我々に問われているのではないか。